朝鮮最初の鉄道を調べてみました
投稿者: melancholy_night 投稿日時: 2008/03/07 11:20 投稿番号: [12292 / 30895]
最初の鉄道は日本によって1899年開業。最初の路面電車は朝鮮王室と米国人技術者の共同出資で設立した漢城電気が設計と工事を京都市電に委託し同じく1899年開業。
――――――――――
ソウル市電
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%A6%E3%83%AB%E5%B8%82%E9%9B%BB
概要
敷設へのいきさつ
李氏朝鮮は、下関条約で清からの冊封国を脱して1897年に大韓帝国となるものの、2年前の1895年には閔妃の暗殺事件、翌1896年には国王(大韓帝国発足で皇帝)の高宗がロシア公使館に逃げ込む露館播遷が起こるなど、内政は不安定であった。
高宗は清涼里(現在のソウル特別市北部の地域)の洪陵に閔妃の墓所を築造し、よく礼拝に赴いていたが、従者を多く連れる行列での参拝は多額の費用を要していた。そのためアメリカの技術者が、墓所まで路面電車を敷設し、普段は民の移動手段とすることで、経費の削減と増収の一石二鳥を図れるとして、電車敷設を促した。それが受け入れられたため、王室とアメリカの技術者の共同出資で漢城電気(資本金150万円 コールブラン氏とボストイック氏両氏が75万円、王室が75万円、うち王室は15万円のみ払込)が1898年に設立され、電車の敷設を行う事にした。この時、一足早く電車の導入を開始していた日本の京都電気鉄道(1895年開業)に設計と工事を依頼している。
運行開始と路線の拡大
東大門の横に発電所が併設され、1899年4月8日に西大門−清涼里間に開業式を催し、単線未舗装ながらも電車の運行は始められた。途中、鍾路 を東西に貫くルートであった。この時の車両は当時のアメリカの路面電車に見られたオープン型のスタイルで、乗降用扉がなく、車体側面に設けられたステップから直接車内へ出入りするものであった。建設時の経緯から、一般車8両とともに当初より貴賓車1両が製造された。運転は京都電鉄から出向した日本人が担ったと言う。電圧は直流600V、軌間は1067mmであった。
当初は電車に対する物珍しさから乗客が殺到したが、後に子供を轢死させる事故が起こると暴動が発生し、電車が焼失する事態まで招いた。これに伴い日本人の運転士は危険だとして全員が辞職し、代わってアメリカ人運転士が着任するまでの1週間、電車の運行は停止された。
その後、路線の拡張を計画する。南大門、旧龍山方面への延伸がなされ、車両も増備した。また、電気事業も好調で電車事業とともに拡張工事が必要となり、それに必要な資金を調達するため、漢城電気は米国信託会社に会社を売却し、資金を調達。韓美電気(社長ヘンリー・コールブラン、本社アメリカ)が事業を引き継いだ。
しかし韓美電気は、日本の渋沢栄一の商社へ会社ごと1909年に売却したため[1]、路面電車と電力ガス事業は日系の日韓瓦斯電気の管轄になった。なお、1910年には日韓併合がなされた。
――――――――――
朝鮮総督府鉄道
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%B7%8F%E7%9D%A3%E5%BA%9C%E9%89%84%E9%81%93
朝鮮半島での鉄道は、李氏朝鮮から日本が「日韓暫定合同条款」に基き鉄道敷設権を1894年8月20日に得て、鷺梁津(漢江西岸)〜済物浦間の鉄道を1899年に開通させたことに始まる。これは後に京仁線となった。続く1905年には京釜線が全通、そして翌1906年には日露戦争の軍事輸送を目的として京義線を日本が全通させた。
――――――――――
大韓民国の鉄道
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9F%93%E6%B0%91%E5%9B%BD%E3%81%AE%E9%89%84%E9%81%93
――――――――――
>王室とアメリカの技術者の共同出資で漢城電気(資本金150万円 コールブラン氏とボストイック氏両氏が75万円、王室が75万円、うち王室は15万円のみ払込)が1898年に設立され、電車の敷設を行う事にした。
王室が踏み倒した漢城電気の出資金はコールブランからの借金という体裁にしたようです。
>当初は電車に対する物珍しさから乗客が殺到したが、後に子供を轢死させる事故が起こると暴動が発生し、電車が焼失する事態まで招いた。これに伴い日本人の運転士は危険だとして全員が辞職し、代わってアメリカ人運転士が着任するまでの1週間、電車の運行は停止された。
日本人には偉そうにしてもアメリカ人には逆らえない体質は当時からでしょうか。
――――――――――
ソウル市電
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%A6%E3%83%AB%E5%B8%82%E9%9B%BB
概要
敷設へのいきさつ
李氏朝鮮は、下関条約で清からの冊封国を脱して1897年に大韓帝国となるものの、2年前の1895年には閔妃の暗殺事件、翌1896年には国王(大韓帝国発足で皇帝)の高宗がロシア公使館に逃げ込む露館播遷が起こるなど、内政は不安定であった。
高宗は清涼里(現在のソウル特別市北部の地域)の洪陵に閔妃の墓所を築造し、よく礼拝に赴いていたが、従者を多く連れる行列での参拝は多額の費用を要していた。そのためアメリカの技術者が、墓所まで路面電車を敷設し、普段は民の移動手段とすることで、経費の削減と増収の一石二鳥を図れるとして、電車敷設を促した。それが受け入れられたため、王室とアメリカの技術者の共同出資で漢城電気(資本金150万円 コールブラン氏とボストイック氏両氏が75万円、王室が75万円、うち王室は15万円のみ払込)が1898年に設立され、電車の敷設を行う事にした。この時、一足早く電車の導入を開始していた日本の京都電気鉄道(1895年開業)に設計と工事を依頼している。
運行開始と路線の拡大
東大門の横に発電所が併設され、1899年4月8日に西大門−清涼里間に開業式を催し、単線未舗装ながらも電車の運行は始められた。途中、鍾路 を東西に貫くルートであった。この時の車両は当時のアメリカの路面電車に見られたオープン型のスタイルで、乗降用扉がなく、車体側面に設けられたステップから直接車内へ出入りするものであった。建設時の経緯から、一般車8両とともに当初より貴賓車1両が製造された。運転は京都電鉄から出向した日本人が担ったと言う。電圧は直流600V、軌間は1067mmであった。
当初は電車に対する物珍しさから乗客が殺到したが、後に子供を轢死させる事故が起こると暴動が発生し、電車が焼失する事態まで招いた。これに伴い日本人の運転士は危険だとして全員が辞職し、代わってアメリカ人運転士が着任するまでの1週間、電車の運行は停止された。
その後、路線の拡張を計画する。南大門、旧龍山方面への延伸がなされ、車両も増備した。また、電気事業も好調で電車事業とともに拡張工事が必要となり、それに必要な資金を調達するため、漢城電気は米国信託会社に会社を売却し、資金を調達。韓美電気(社長ヘンリー・コールブラン、本社アメリカ)が事業を引き継いだ。
しかし韓美電気は、日本の渋沢栄一の商社へ会社ごと1909年に売却したため[1]、路面電車と電力ガス事業は日系の日韓瓦斯電気の管轄になった。なお、1910年には日韓併合がなされた。
――――――――――
朝鮮総督府鉄道
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%B7%8F%E7%9D%A3%E5%BA%9C%E9%89%84%E9%81%93
朝鮮半島での鉄道は、李氏朝鮮から日本が「日韓暫定合同条款」に基き鉄道敷設権を1894年8月20日に得て、鷺梁津(漢江西岸)〜済物浦間の鉄道を1899年に開通させたことに始まる。これは後に京仁線となった。続く1905年には京釜線が全通、そして翌1906年には日露戦争の軍事輸送を目的として京義線を日本が全通させた。
――――――――――
大韓民国の鉄道
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9F%93%E6%B0%91%E5%9B%BD%E3%81%AE%E9%89%84%E9%81%93
――――――――――
>王室とアメリカの技術者の共同出資で漢城電気(資本金150万円 コールブラン氏とボストイック氏両氏が75万円、王室が75万円、うち王室は15万円のみ払込)が1898年に設立され、電車の敷設を行う事にした。
王室が踏み倒した漢城電気の出資金はコールブランからの借金という体裁にしたようです。
>当初は電車に対する物珍しさから乗客が殺到したが、後に子供を轢死させる事故が起こると暴動が発生し、電車が焼失する事態まで招いた。これに伴い日本人の運転士は危険だとして全員が辞職し、代わってアメリカ人運転士が着任するまでの1週間、電車の運行は停止された。
日本人には偉そうにしてもアメリカ人には逆らえない体質は当時からでしょうか。
これは メッセージ 12287 (nanairokamen03 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/4z9qbfma4ha1a28bdbcba4rmfd2ra4bba4ha1aa_1/12292.html