Re: 台湾有情 廟に響く君が代
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2007/05/14 13:04 投稿番号: [10603 / 30895]
>「集落への墜落を避けようと機体を引き起こして、間一髪でその惨事を回避した」
>と思わせる「何か」が存在したわけで。
もっと詳しい記事。
インプさんの投稿です。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=bdibf4bcta4na4bfa4aa4nffc4z5doc0 bel&sid=1835396&mid=5725
http://www.nippon-taiwan.jp/yougo.html
台南市の北西5キロの郊外に、「鎮安堂飛虎将軍廟」がある。そこに奉られているのは、 大東亜戦争中、台南上空の空中戦で壮烈な戦死を遂げた日本海軍の杉浦茂峰少尉である。
昭和19年10月12日、大東亜戦争も末期に近く、米軍は台湾各地に航空決戦を挑んで きた。午前7時19分、米軍機台南来襲、日本零戦は上昇し空中戦、零戦は勇敢に戦ったが、 数を頼む米軍機には勝てず、一機又一機と撃墜されていった。そのうちの一機は尾翼より発火し、海尾の大集落へ向かって落下していった。このまま落下したら、海尾の町は大火事に なる。そのとき、零戦は機種を上げて上昇し、海尾の町をはずれ東方の畑の方へ飛び去った。 飛行士は落下傘で飛び降りたが、グラマンの機銃掃射を浴びて、落下傘は破れて、飛行士は 墜落した。
(以下、略)
-------------------------------------- -
>住民が日本兵に敵意抱いていれば、こういう見解は出ない
>そこが重要なんでしょう。
>逆に敵意丸出しの民族がこれを見ていたら・・・
>つまり歴史の「事実」はひとつだけど、見る側によって正反対の見方もできる。
>そういうものでしょう。
ここが一番問題ですね。
韓国は戦後の反日歴史観のために、「事実」すら伝えられない。
感謝しろとは思いませんが。
-------------------------------------- -
海防艦「第八一号」艦長・坂元正信少佐の証言。
『 -- それからもっぱら日本海、朝鮮南岸から東シナ海の哨戒にうつって、本土周辺しか行動できなくなったわけです。とくに、朝鮮南岸の哨戒ですね。
(昭和20年)5月18日に、麗水と済州島を結ぶ連絡船の燕京丸が、B24に爆撃されて、これを救援に行ったことがあるんです。
三千トンぐらいの船で、乗客はほとんど朝鮮の人なのですが二千四百人ぐらい乗っていた。燃え上がる船から、乗客がどんどん海の中に飛びこんでいるんです。そこで私は、強引に燕京丸に接舷して乗客を移乗させたんですが、六百人ほど収容すると、いっぱいになってしまいましてね。やむなく応援を頼んで引き揚げたことがありました。このことはあとで現地の人から大変、感謝されましてね。「八一号」が済州島に寄ると、盛んに歓迎されたものでした。
それから現地の漁師のために、漁船を援護するということもやりましたよ。私の艦が哨戒していると、周りに五〜六百隻の漁船が集まってきて漁をするんです。彼らにとっては、たのもしい味方だったんですね。』
---- 佐藤和正著「艦長たちの太平洋戦争」より抜粋 ----
>と思わせる「何か」が存在したわけで。
もっと詳しい記事。
インプさんの投稿です。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=bdibf4bcta4na4bfa4aa4nffc4z5doc0 bel&sid=1835396&mid=5725
http://www.nippon-taiwan.jp/yougo.html
台南市の北西5キロの郊外に、「鎮安堂飛虎将軍廟」がある。そこに奉られているのは、 大東亜戦争中、台南上空の空中戦で壮烈な戦死を遂げた日本海軍の杉浦茂峰少尉である。
昭和19年10月12日、大東亜戦争も末期に近く、米軍は台湾各地に航空決戦を挑んで きた。午前7時19分、米軍機台南来襲、日本零戦は上昇し空中戦、零戦は勇敢に戦ったが、 数を頼む米軍機には勝てず、一機又一機と撃墜されていった。そのうちの一機は尾翼より発火し、海尾の大集落へ向かって落下していった。このまま落下したら、海尾の町は大火事に なる。そのとき、零戦は機種を上げて上昇し、海尾の町をはずれ東方の畑の方へ飛び去った。 飛行士は落下傘で飛び降りたが、グラマンの機銃掃射を浴びて、落下傘は破れて、飛行士は 墜落した。
(以下、略)
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>住民が日本兵に敵意抱いていれば、こういう見解は出ない
>そこが重要なんでしょう。
>逆に敵意丸出しの民族がこれを見ていたら・・・
>つまり歴史の「事実」はひとつだけど、見る側によって正反対の見方もできる。
>そういうものでしょう。
ここが一番問題ですね。
韓国は戦後の反日歴史観のために、「事実」すら伝えられない。
感謝しろとは思いませんが。
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海防艦「第八一号」艦長・坂元正信少佐の証言。
『 -- それからもっぱら日本海、朝鮮南岸から東シナ海の哨戒にうつって、本土周辺しか行動できなくなったわけです。とくに、朝鮮南岸の哨戒ですね。
(昭和20年)5月18日に、麗水と済州島を結ぶ連絡船の燕京丸が、B24に爆撃されて、これを救援に行ったことがあるんです。
三千トンぐらいの船で、乗客はほとんど朝鮮の人なのですが二千四百人ぐらい乗っていた。燃え上がる船から、乗客がどんどん海の中に飛びこんでいるんです。そこで私は、強引に燕京丸に接舷して乗客を移乗させたんですが、六百人ほど収容すると、いっぱいになってしまいましてね。やむなく応援を頼んで引き揚げたことがありました。このことはあとで現地の人から大変、感謝されましてね。「八一号」が済州島に寄ると、盛んに歓迎されたものでした。
それから現地の漁師のために、漁船を援護するということもやりましたよ。私の艦が哨戒していると、周りに五〜六百隻の漁船が集まってきて漁をするんです。彼らにとっては、たのもしい味方だったんですね。』
---- 佐藤和正著「艦長たちの太平洋戦争」より抜粋 ----
これは メッセージ 10602 (dylake2r5j1 さん)への返信です.
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