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高句麗の時も‘国際格闘技試合’

投稿者: japanese_chosun 投稿日時: 2007/11/27 23:11 投稿番号: [3866 / 8735]
http://photo-media.hanmail.net/200711/26/chosun/20071126032304.191.0.jpg
▲「広開土大王盃争奪国際シルム大会」でも開かれたのか?高句麗最全盛期だった西紀5世紀、中国集
安の高句麗古墳である角抵塚に描かれたシルム。左側選手は典型的な外国人の顔をしている。

シルム選手たちの異種格闘技進出が活発だ。手と足を使って相手を圧する入式打撃大会であるK1に一
番先に進出した選手は天下壮士チェ・ホンマンだった。引き続きイ・テヒョン、キム・ヨンヒョンな
ど天下壮士出身が相次いで異種格闘技に跳びこんだ。シルム選手出身ではないが、ユン・ドンシク、
キム・ミンス、秋成勲(以上柔道出身)、そしてチェ・ヨンス、チ・インジン(以上ボクシング)などがK
1は勿論、プライドなど総合格闘技大会に進出して‘第2の格闘人生’を始めた。格闘技進出が活発な
のは、我が民族の血をひいた伝統かも知れない。

私たちの歴史上初めて開かれた国際スポーツ競技は何だったろうか?遺物を見たらサッカーでも野球
でもない、今日のテッキョンやテコンドーにつながった手搏戯とシルムだったと推定される。西紀357
年に描かれた記録された黄海道安岳3号墳の前室左側壁には手搏競技をする選手たちの姿が見える。
このうち右側選手は目つきや平面的な顔などが典型的な私たちの顔、高句麗人の姿だ。しかし、左側
の選手は鋭い目つきや高い鼻筋などでひと目で外国人であることが分かる。それもモンゴルや中国、
東南アジア、あるいは日本人など東アジア人ではなく、最低でも中東やインド地域から来た選手だ。

5世紀中葉墓と推定される中国集安舞踊塚にも高く聳え立つ鼻の外国人が高句麗人と手搏の実力を競っ
ている。今の異種格闘技選手たちが試合用パンツだけ身に着けるように、彼らも試合服のパンツだけ
着て格闘をしたことを壁画は知らせてくれる。一方、五世紀墓と考えられる角抵塚(中国集安)には国
際シルム大会が開かれたことを証明する。この墓の名前が角抵塚になったのは、シルムをする姿を墓
室左側に描いたからだ。角抵は二人が取り組んで力を競う競技を言う。角抵塚シルムの絵は1600年前
のシルムと今のシルムがあまり変わっていないことを知らせてくれる。一番右側には杖を持った審判
の年寄りが立っている。西暦五世紀中盤頃の墳墓と考えられる中国集安長川1号墳の部屋の右側壁にも
シルム図が描かれているが、顔姿が確実ではなくて選手たちの国籍は確認できない。

古墳の壁画はこのように西紀四世紀以後から高句麗で「国際格闘技試合」が活発に開かれたことを教
えてくれる。この中で手搏競技は中国漢の時の古墳の壁画にもたびたび登場する。日本最古の歴史書
である‘日本書紀’にも垂仁王7年(西暦前23年)「王の前で二人の壮士が格闘技(原文には‘脚力・
力’)をしている途中一人が死んだ」と言う文が出る。

またアジア内陸地域の人々は葬礼の時、シルムをする風俗があったという研究もある。高句麗の格闘
技風俗はこのように東アジア地域の伝統とも結びついたものだった。しかし、2006年4月、南北韓が共
同調査したところによれば、私たち歴史上‘最初の国際スポーツ競技’を記録した安岳3号墳は色を塗
った所がはがれるなど毀損がひどい状態だった。
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