河恩珠の苦悩?
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/06/10 19:10 投稿番号: [2848 / 8735]
一応スポーツの話題なので。
>河恩珠にとって日本は借りのある国だ。河恩珠は複雑な思いだった。前半は調子が出ず、河恩珠は背の高さ(2メートル2センチ)を生かすことができないまま2得点に終わった。しかし、後半に入ると勝負どころで高い確率で得点を重ね、日本を破る原動力となった。河恩珠は試合後のインタビューで「冷静になろうと努力した」と語ったが、それほど冷静な気持ちで試合に臨むのが難しかったということだろう。日本の内海監督は「河恩珠が日本代表だったら結果はどうなっていたと思うか」との質問に対し、笑いながら「さあ」とだけ答えた。しかし、三国志の袁紹のように内心は悔しかっただろう。
河恩珠=関羽、内海監督=袁紹という見立てですか……ことごとく的外れじゃないかと。
どうせなら、内海監督=曹操、韓国代表チーム=劉備とでもしたほうがまだわかりやすいだろうに。関羽が恩義と借りを感じたのは、自分の辞去を認めた曹操であって、袁紹じゃないんだしねぇ。
・・・・・・・
日本戦で大活躍した「バスケ元日本代表」河恩珠の苦悩
三国志では劉備を生涯の君主とする関羽に多くの試練が立ちはだかる。その代表的事件は次のようなものだ。
弱体化した劉備と一時別れた関羽は曹操に捕らえられた。しか、関羽の君主である劉備は袁紹陣営に合流する。
袁紹と曹操との激しい戦いが起こった。苦戦していた曹操は、関羽に袁紹の勢いを抑えるよう命ずる。劉備が袁紹側にいることを知らなかった関羽は、曹操への借りを返すために戦場に出て、袁紹軍最高の勇将である顔良らの首を取った。
殉国者をたたえる顕忠日(6月6日)に行われた第22回アジア女子バスケットボール選手権での韓国と日本との試合で韓国のセンター、河恩珠(ハ・ウンジュ)が日本代表の選手たちと笑顔で話をしていた。
高校時代、ヒザの負傷で苦しんでいた河恩珠はバスケットをやめようと決心した。しかし学校側は、バスケット部を退部する条件として選手生活放棄の覚書を要求した。結局河恩珠は日本に渡り、苦労の末に再起に成功した。また、日本のプロリーグでプレーするため日本に帰化しなければならなかった。
WNBA(全米女子バスケットボール協会)ロサンゼルス・スパークスに移籍した河恩珠は、紆余(うよ)曲折の末韓国に復帰した。韓国籍も回復し、今大会では韓国代表にも選ばれた。
河恩珠にとって日本は借りのある国だ。河恩珠は複雑な思いだった。前半は調子が出ず、河恩珠は背の高さ(2メートル2センチ)を生かすことができないまま2得点に終わった。しかし、後半に入ると勝負どころで高い確率で得点を重ね、日本を破る原動力となった。河恩珠は試合後のインタビューで「冷静になろうと努力した」と語ったが、それほど冷静な気持ちで試合に臨むのが難しかったということだろう。日本の内海監督は「河恩珠が日本代表だったら結果はどうなっていたと思うか」との質問に対し、笑いながら「さあ」とだけ答えた。しかし、三国志の袁紹のように内心は悔しかっただろう。
リュ・ドンヒョク記者
スポーツ朝鮮/朝鮮日報JNS
http://www.chosunonline.com/article/20070608000033
>河恩珠にとって日本は借りのある国だ。河恩珠は複雑な思いだった。前半は調子が出ず、河恩珠は背の高さ(2メートル2センチ)を生かすことができないまま2得点に終わった。しかし、後半に入ると勝負どころで高い確率で得点を重ね、日本を破る原動力となった。河恩珠は試合後のインタビューで「冷静になろうと努力した」と語ったが、それほど冷静な気持ちで試合に臨むのが難しかったということだろう。日本の内海監督は「河恩珠が日本代表だったら結果はどうなっていたと思うか」との質問に対し、笑いながら「さあ」とだけ答えた。しかし、三国志の袁紹のように内心は悔しかっただろう。
河恩珠=関羽、内海監督=袁紹という見立てですか……ことごとく的外れじゃないかと。
どうせなら、内海監督=曹操、韓国代表チーム=劉備とでもしたほうがまだわかりやすいだろうに。関羽が恩義と借りを感じたのは、自分の辞去を認めた曹操であって、袁紹じゃないんだしねぇ。
・・・・・・・
日本戦で大活躍した「バスケ元日本代表」河恩珠の苦悩
三国志では劉備を生涯の君主とする関羽に多くの試練が立ちはだかる。その代表的事件は次のようなものだ。
弱体化した劉備と一時別れた関羽は曹操に捕らえられた。しか、関羽の君主である劉備は袁紹陣営に合流する。
袁紹と曹操との激しい戦いが起こった。苦戦していた曹操は、関羽に袁紹の勢いを抑えるよう命ずる。劉備が袁紹側にいることを知らなかった関羽は、曹操への借りを返すために戦場に出て、袁紹軍最高の勇将である顔良らの首を取った。
殉国者をたたえる顕忠日(6月6日)に行われた第22回アジア女子バスケットボール選手権での韓国と日本との試合で韓国のセンター、河恩珠(ハ・ウンジュ)が日本代表の選手たちと笑顔で話をしていた。
高校時代、ヒザの負傷で苦しんでいた河恩珠はバスケットをやめようと決心した。しかし学校側は、バスケット部を退部する条件として選手生活放棄の覚書を要求した。結局河恩珠は日本に渡り、苦労の末に再起に成功した。また、日本のプロリーグでプレーするため日本に帰化しなければならなかった。
WNBA(全米女子バスケットボール協会)ロサンゼルス・スパークスに移籍した河恩珠は、紆余(うよ)曲折の末韓国に復帰した。韓国籍も回復し、今大会では韓国代表にも選ばれた。
河恩珠にとって日本は借りのある国だ。河恩珠は複雑な思いだった。前半は調子が出ず、河恩珠は背の高さ(2メートル2センチ)を生かすことができないまま2得点に終わった。しかし、後半に入ると勝負どころで高い確率で得点を重ね、日本を破る原動力となった。河恩珠は試合後のインタビューで「冷静になろうと努力した」と語ったが、それほど冷静な気持ちで試合に臨むのが難しかったということだろう。日本の内海監督は「河恩珠が日本代表だったら結果はどうなっていたと思うか」との質問に対し、笑いながら「さあ」とだけ答えた。しかし、三国志の袁紹のように内心は悔しかっただろう。
リュ・ドンヒョク記者
スポーツ朝鮮/朝鮮日報JNS
http://www.chosunonline.com/article/20070608000033
これは メッセージ 1 (sampom337 さん)への返信です.
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