大使館員が心配しています。
投稿者: jgeilsbandfreek 投稿日時: 2006/05/11 12:37 投稿番号: [207 / 8735]
だけど、やっぱり
なんでしょうね。
【W杯コラム】サッカーそのものを楽しもう!
4年前に全世界をひっくり返すほど大騷ぎしたのがまるで昨日の出来事であるかのようなのに、またワールドカップだなんて…。サッカーが嫌いだとか、大騒ぎするのを見ていられない人にとっては今頃うんざりだろうが、とにかくこの世界は4年ごとに地球の自転が変わると思っている人々が数億、いや数十億人いる。
2002年は確かに韓国サッカーのターニングポイントだった。まだKリーグの人気があまりなく、正統派のサッカーファンたちは懸念を禁じ得ないのが事実だが、とにかく国家代表チームに偏った熱気だけでも大したものだ。
一方で2002年は韓国社会の政治社会的地形と社会文化的情念を大きく変える決定的な役割を果たすのにも貢献した。それが必ずしも正しいかどうかはさておき、サッカーがどれだけ強大なパワーを持っているのか、サッカーを単なるスポーツ程度と考えている人間に驚愕と衝撃を与えた。
2002年以降の人生はオマケだと思えるくらい、韓国のサッカーマニアには孫に思い出話をする姿を目に思い浮かべながら喜ぶ将来がすでに保障されているわけだ。まだサッカーが韓国人の生活や宗教のような存在になるまでには時間がかかる。しかし確かに2002年はサッカーの世界的位置づけと尊厳性を振り返るきっかけを与えた。
では4年後の今日、ドイツワールドカップはどうだろうか。人によってその見方はさまざまだろうが、韓国にとって最低限の目標は、予選突破より4年前の結果がフロックではないことを立証し、プライドを示すことだろう。最大の目標は何だろう。これにもいろいろな見方があるだろうが、私はサッカーそのものを楽しむ空間を作り出すこと、それ以上でもそれ以下でもないと考える。
たいてい私たちはスポーツの試合を国家の象徴性と結び付けたり、愛国心の本源的な根拠を求めるためサッカーのようなスポーツを活用したりするのに慣れている。ここドイツでは、ある在独韓国人団体が「ワールドカップのサッカー代表チームに対する応援を通じて韓民族の大同団結を図ろう」という言葉を掲げている光景を目にする。
おそらく韓国でも、サッカーをよく知らない反面この熱いムードに、もっともらしく論評するため民族主義・国家繁栄・社会統合などの単語を動員したがる人々が4年ごとに必ず現れる。
さらにひどい場合は、サッカーに及ぶことを反理性的なファシスト的現象だとか、社会現象の不条理から意図的に視線を外す既得権者層の陰謀とまで考える無骨な人間たちもいる。それも別に悪くはない。なぜならば、それも表現の自由だから。しかし驚天動地のゴールが決まり、涙を浮かべ必死に「韓国チーム」を応援するクライマックスになれば、そういう軽率な言葉は一気に吹っ飛ぶ。
いい加減な哲学や社会心理学や政治的スローガンをわざわざ掲げて、なぜサッカーをけなそうとするのだろうか?サッカーは神に与えられ、人間が仕上げた最も偉大な文化遺産だ。これだけでも人生は生きる価値があると自負する人々がいるに、サッカーの試合の度に軽率で知ったかぶりの冷笑主義や政治的オーバーセンスを動員してくれるな、と切に願う。
ドイツワールドカップは他国で開かれるイベントだ。そこで韓民族の運命や盲目的愛国主義を露骨に表すようなことがないことを祈る。そして韓国の応援対象は韓国代表チームだが、結局はサッカーそのものを応援することを祈る。ペレはブラジル人だが、彼は私たちサッカーファン全員の財産でもあるではないか…。サッカーよ永遠なれ!
ホ・ジン駐独大使館参事官(2002ワールドカップ韓国代表チームメディア担当官)
朝鮮日報
【W杯コラム】サッカーそのものを楽しもう!
4年前に全世界をひっくり返すほど大騷ぎしたのがまるで昨日の出来事であるかのようなのに、またワールドカップだなんて…。サッカーが嫌いだとか、大騒ぎするのを見ていられない人にとっては今頃うんざりだろうが、とにかくこの世界は4年ごとに地球の自転が変わると思っている人々が数億、いや数十億人いる。
2002年は確かに韓国サッカーのターニングポイントだった。まだKリーグの人気があまりなく、正統派のサッカーファンたちは懸念を禁じ得ないのが事実だが、とにかく国家代表チームに偏った熱気だけでも大したものだ。
一方で2002年は韓国社会の政治社会的地形と社会文化的情念を大きく変える決定的な役割を果たすのにも貢献した。それが必ずしも正しいかどうかはさておき、サッカーがどれだけ強大なパワーを持っているのか、サッカーを単なるスポーツ程度と考えている人間に驚愕と衝撃を与えた。
2002年以降の人生はオマケだと思えるくらい、韓国のサッカーマニアには孫に思い出話をする姿を目に思い浮かべながら喜ぶ将来がすでに保障されているわけだ。まだサッカーが韓国人の生活や宗教のような存在になるまでには時間がかかる。しかし確かに2002年はサッカーの世界的位置づけと尊厳性を振り返るきっかけを与えた。
では4年後の今日、ドイツワールドカップはどうだろうか。人によってその見方はさまざまだろうが、韓国にとって最低限の目標は、予選突破より4年前の結果がフロックではないことを立証し、プライドを示すことだろう。最大の目標は何だろう。これにもいろいろな見方があるだろうが、私はサッカーそのものを楽しむ空間を作り出すこと、それ以上でもそれ以下でもないと考える。
たいてい私たちはスポーツの試合を国家の象徴性と結び付けたり、愛国心の本源的な根拠を求めるためサッカーのようなスポーツを活用したりするのに慣れている。ここドイツでは、ある在独韓国人団体が「ワールドカップのサッカー代表チームに対する応援を通じて韓民族の大同団結を図ろう」という言葉を掲げている光景を目にする。
おそらく韓国でも、サッカーをよく知らない反面この熱いムードに、もっともらしく論評するため民族主義・国家繁栄・社会統合などの単語を動員したがる人々が4年ごとに必ず現れる。
さらにひどい場合は、サッカーに及ぶことを反理性的なファシスト的現象だとか、社会現象の不条理から意図的に視線を外す既得権者層の陰謀とまで考える無骨な人間たちもいる。それも別に悪くはない。なぜならば、それも表現の自由だから。しかし驚天動地のゴールが決まり、涙を浮かべ必死に「韓国チーム」を応援するクライマックスになれば、そういう軽率な言葉は一気に吹っ飛ぶ。
いい加減な哲学や社会心理学や政治的スローガンをわざわざ掲げて、なぜサッカーをけなそうとするのだろうか?サッカーは神に与えられ、人間が仕上げた最も偉大な文化遺産だ。これだけでも人生は生きる価値があると自負する人々がいるに、サッカーの試合の度に軽率で知ったかぶりの冷笑主義や政治的オーバーセンスを動員してくれるな、と切に願う。
ドイツワールドカップは他国で開かれるイベントだ。そこで韓民族の運命や盲目的愛国主義を露骨に表すようなことがないことを祈る。そして韓国の応援対象は韓国代表チームだが、結局はサッカーそのものを応援することを祈る。ペレはブラジル人だが、彼は私たちサッカーファン全員の財産でもあるではないか…。サッカーよ永遠なれ!
ホ・ジン駐独大使館参事官(2002ワールドカップ韓国代表チームメディア担当官)
朝鮮日報
これは メッセージ 1 (sampom337 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/4z9qa59a5dda1bca5d_1/207.html