旧満州開拓団:慰霊碑撤去 7月に建立
投稿者: melancholy_night 投稿日時: 2011/08/08 11:58 投稿番号: [3260 / 3699]
http://mainichi.jp/select/world/news/20110808k0000m030088000c.html
旧満州開拓団:慰霊碑撤去 7月に建立、反発招く 中国
旧満州開拓団員の氏名を刻んだ慰霊の石碑=中国黒竜江省方正県で2011年7月28日(共同) 6日付の中国夕刊紙、法制晩報は、黒竜江省方正県で、日本の旧満州開拓団員の氏名を刻んだ慰霊の石碑が、同日朝までに取り壊され、撤去されたと報じた。石碑に対しては中国国内で強い反発が出ており、同紙によると、方正県当局はインターネット上で、石碑を処分する方針を示したという。
石碑には3日午後、赤いペンキがかけられ、中国共産党機関紙、人民日報系の環球時報は6日、石碑を建てた同県政府に謝罪と撤去を求める社説を掲載していた。
法制晩報によると、現地に行った男性らが6日朝、既に石碑がなくなっているのを発見、れんがなどのがれきが積まれていた。中国の通信社、中国新聞社は、取り壊しが5日深夜から始まり、6日未明には重機も使って作業が続けられたとの地元住民の話を伝えた。
石碑は7月、開拓団員の眠る共同の墓「日本人公墓」のそばに建立。長野や埼玉、山口など各県出身の死亡者約250人の氏名が刻まれていた。
石碑建立が報道されると、インターネット上で「小日本(日本人の蔑称)の記念碑をつくるなんて国の恥」などと取り上げられたことで騒ぎが拡大。方正県政府は、中国メディアを通じて「中華民族の人道主義の心を感じ、歴史の教訓をくみ取ってもらうため」と目的を説明していた。(北京・共同)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110806-00000569-san-int
反日教育のつけ 中国、旧満蒙開拓団慰霊碑撤去
産経新聞 8月6日(土)22時10分配信
【北京=矢板明夫】中国の黒龍江省方正県が建てた旧満蒙開拓団の慰霊碑が、国内世論の反発と過激派による破壊行為を受けて撤去されたことは、江沢民時代に実施した反日教育をうけた世代が中国の世論を形成する主流となりつつあることをうかがわせたと同時に、民族感情を法律より優先する中国の一面を露呈している。
1945年夏のソ連軍の参戦によって、黒竜江省各地の旧満蒙開拓団員は難民と化し、逃げる途中に方正県で足止めされ、混乱の中に大勢が死亡した。1963年に周恩来首相(当時)の指示で同県内に日本人公墓が造られた当時は、中国政府も国民も「戦争の責任は軍国主義者にあり、日本人民は中国人と同じく被害者だった」という見方を示し、強い反対はなかった。
しかし、1989年に発足した江沢民政権は、反日教育を徹底的に実施し、「日本人民はみな加害者」という価値観が形成された。慰霊碑建設にネット上で反発する人も、過激行動を取る人も反日教育を受けた世代が中心だ。当局が慰霊碑を撤去したのは、国民の批判の矛先が政府に向けられることを警戒したためであり、反日教育のつけが回ってきたともいえる。
また、公的財産の慰霊碑を破壊した5人を放任した上に、政府系メディアまでが「5壮士」とその行動をたたえたことについて、現地の日本人には「法律に基づいて彼らを処罰しなければ、日本製自動車の破壊や日本レストランの襲撃までもみな正当化されてしまう」(大手企業駐在員)と懸念する声がある。
旧満州開拓団:慰霊碑撤去 7月に建立、反発招く 中国
旧満州開拓団員の氏名を刻んだ慰霊の石碑=中国黒竜江省方正県で2011年7月28日(共同) 6日付の中国夕刊紙、法制晩報は、黒竜江省方正県で、日本の旧満州開拓団員の氏名を刻んだ慰霊の石碑が、同日朝までに取り壊され、撤去されたと報じた。石碑に対しては中国国内で強い反発が出ており、同紙によると、方正県当局はインターネット上で、石碑を処分する方針を示したという。
石碑には3日午後、赤いペンキがかけられ、中国共産党機関紙、人民日報系の環球時報は6日、石碑を建てた同県政府に謝罪と撤去を求める社説を掲載していた。
法制晩報によると、現地に行った男性らが6日朝、既に石碑がなくなっているのを発見、れんがなどのがれきが積まれていた。中国の通信社、中国新聞社は、取り壊しが5日深夜から始まり、6日未明には重機も使って作業が続けられたとの地元住民の話を伝えた。
石碑は7月、開拓団員の眠る共同の墓「日本人公墓」のそばに建立。長野や埼玉、山口など各県出身の死亡者約250人の氏名が刻まれていた。
石碑建立が報道されると、インターネット上で「小日本(日本人の蔑称)の記念碑をつくるなんて国の恥」などと取り上げられたことで騒ぎが拡大。方正県政府は、中国メディアを通じて「中華民族の人道主義の心を感じ、歴史の教訓をくみ取ってもらうため」と目的を説明していた。(北京・共同)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110806-00000569-san-int
反日教育のつけ 中国、旧満蒙開拓団慰霊碑撤去
産経新聞 8月6日(土)22時10分配信
【北京=矢板明夫】中国の黒龍江省方正県が建てた旧満蒙開拓団の慰霊碑が、国内世論の反発と過激派による破壊行為を受けて撤去されたことは、江沢民時代に実施した反日教育をうけた世代が中国の世論を形成する主流となりつつあることをうかがわせたと同時に、民族感情を法律より優先する中国の一面を露呈している。
1945年夏のソ連軍の参戦によって、黒竜江省各地の旧満蒙開拓団員は難民と化し、逃げる途中に方正県で足止めされ、混乱の中に大勢が死亡した。1963年に周恩来首相(当時)の指示で同県内に日本人公墓が造られた当時は、中国政府も国民も「戦争の責任は軍国主義者にあり、日本人民は中国人と同じく被害者だった」という見方を示し、強い反対はなかった。
しかし、1989年に発足した江沢民政権は、反日教育を徹底的に実施し、「日本人民はみな加害者」という価値観が形成された。慰霊碑建設にネット上で反発する人も、過激行動を取る人も反日教育を受けた世代が中心だ。当局が慰霊碑を撤去したのは、国民の批判の矛先が政府に向けられることを警戒したためであり、反日教育のつけが回ってきたともいえる。
また、公的財産の慰霊碑を破壊した5人を放任した上に、政府系メディアまでが「5壮士」とその行動をたたえたことについて、現地の日本人には「法律に基づいて彼らを処罰しなければ、日本製自動車の破壊や日本レストランの襲撃までもみな正当化されてしまう」(大手企業駐在員)と懸念する声がある。
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