朝鮮時代の対中・対日使臣交流研究
投稿者: kohshien21c 投稿日時: 2008/05/22 11:00 投稿番号: [17 / 3699]
曹圭益教授が『朝鮮通信使・使行録研究叢書』を刊行
「韓・中・日3国が文化的に共有し得るテキストについての論文が全て集まったことになります。研究すべき分野の極めて広大な“ブルー・オーシャン”が、目の前に揃うようになりました」
崇実大国文科の曹圭益(チョ・ギュイク)教授(写真)は最近、『朝鮮通信使・使行録研究叢書』全13巻(学古斉)の刊行を終えた。この叢書には、朝鮮通信使の使行録に関する韓国内外の研究論文137編が全て盛り込まれている。「使行録」とは、外交使節が記した公式・非公式記録の通称だ。朝鮮時代に日本へ通信使として派遣された使臣が残した使行録には、呉允謙(オ・ユンギョン)の『東槎日録』、申濡(シン・ユ)の『海槎録』、金仁謙(キム・インギョン)の『日東壮遊歌』など、合わせて37編がある。
今回の叢書は、2006年の『燕行録研究叢書』全10巻の発刊に続くもの。燕行録とは、中国との間を往復した使臣が書き残した記録だ。二つの叢書の発刊は、中国と日本など周辺国と往来したかつての人々の見聞を研究した成果が全23巻の書冊に集大成されたということを意味する。
朝鮮通信使は1636年(仁祖14年)から1811年まで、朝鮮から日本の徳川幕府に派遣された外交使節だ。曹教授は「記録を残した人物は、その大半が当代きっての知識人で、小中華意識をはじめとする支配理念のスペクトラムから自由になり得なかった存在だ。しかし、新たに接した異国の文物から知らず知らずのうちに覚醒と意識転換の端緒を会得し、それを自分の記録に表出させている」と語った。
『朝鮮通信使・使行録研究叢書』に収録された論文の筆者は、東国大の金泰俊(キム・テジュン)名誉教授、江原大史学科の孫承竽(ソン・スンチョル)教授、西江大史学科のチョン・ドゥヒ教授、高麗大韓国史学科のチョ・グァン教授、全北大人文学部の河宇鳳(ハ・ウボン)教授、延世大国文科の許敬震(ホ・ギョンジン)教授、梨花女子大美術史学科の洪善杓(ホン・ソンピョ)教授、慶煕大日本語学科の箕輪吉次教授ら、60人余りに上る。
叢書は文学(1‐3巻)、外交(4‐6巻)、歴史(7・8巻)、文化・絵画(9・10巻)、思想・認識・経済・貿易・民族(11・12巻)などさまざまな分野を網羅し、学問の壁を取り払った。また、「朝鮮通信使および日本使臣を通じて見た韓・日間の飲食文化」「朝鮮通信使の日光遊覧に現れた韓・日文化観光交流に関する考察」など、独特な分野の論文も多い。最終13巻には、朝鮮通信使の路程と現在残っている遺跡を含む使臣資料を載せている。
兪碩在(ユ・ソクジェ)記者
http://www.chosunonline.com/article/20080520000059
>小中華意識をはじめとする支配理念のスペクトラムから自由になり得なかった存在だ。しかし、新たに接した異国の文物から知らず知らずのうちに覚醒と意識転換の端緒を会得し、それを自分の記録に表出させている」と語った。
そうだろうか?
朝鮮通信使、金仁謙の著書『日東壮遊歌』では
街の繁栄では大阪には及ばない。
しかし倭王(天皇)が住む都であり、とても贅沢な都市だ。
山の姿は勇壮、川は平野を巡って流れ、肥沃な農地が無限に広がっている。
この豊かな楽園を倭人が所有しているのだ。
悔しい。
「帝」や「天皇」を自称し、子や孫にまで伝えられるのだ。
悔しい。
この犬のような倭人を全て掃討したい。
この土地を朝鮮の領土にして、朝鮮王の徳で礼節の国にしたい。
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当時の日本が繁栄している現実を見ても分析せず、日本から持ち帰った水車の資料を元に水車の製作が出来ぬ自分等のレベルの低さを認識せず、ただ羨ましがり、根拠の無い妄想で日本人を見下していただけ。
自分等の因習や古い思想に囚われ覚醒しなかったから日韓併合に至った。
支那人は日清戦争で敗れたのは、近代化に於いて日本に立ち遅れたことだと気付き、戦後10年に亘り2万数千名の留学生を日本に送り込み、近代自然科学や社会科学、医療、文学などを学び、辛亥革命を起こし近代化を図った。やはり宗主国の支那人と属国の朝鮮人とはえらい違いがある。
「韓・中・日3国が文化的に共有し得るテキストについての論文が全て集まったことになります。研究すべき分野の極めて広大な“ブルー・オーシャン”が、目の前に揃うようになりました」
崇実大国文科の曹圭益(チョ・ギュイク)教授(写真)は最近、『朝鮮通信使・使行録研究叢書』全13巻(学古斉)の刊行を終えた。この叢書には、朝鮮通信使の使行録に関する韓国内外の研究論文137編が全て盛り込まれている。「使行録」とは、外交使節が記した公式・非公式記録の通称だ。朝鮮時代に日本へ通信使として派遣された使臣が残した使行録には、呉允謙(オ・ユンギョン)の『東槎日録』、申濡(シン・ユ)の『海槎録』、金仁謙(キム・インギョン)の『日東壮遊歌』など、合わせて37編がある。
今回の叢書は、2006年の『燕行録研究叢書』全10巻の発刊に続くもの。燕行録とは、中国との間を往復した使臣が書き残した記録だ。二つの叢書の発刊は、中国と日本など周辺国と往来したかつての人々の見聞を研究した成果が全23巻の書冊に集大成されたということを意味する。
朝鮮通信使は1636年(仁祖14年)から1811年まで、朝鮮から日本の徳川幕府に派遣された外交使節だ。曹教授は「記録を残した人物は、その大半が当代きっての知識人で、小中華意識をはじめとする支配理念のスペクトラムから自由になり得なかった存在だ。しかし、新たに接した異国の文物から知らず知らずのうちに覚醒と意識転換の端緒を会得し、それを自分の記録に表出させている」と語った。
『朝鮮通信使・使行録研究叢書』に収録された論文の筆者は、東国大の金泰俊(キム・テジュン)名誉教授、江原大史学科の孫承竽(ソン・スンチョル)教授、西江大史学科のチョン・ドゥヒ教授、高麗大韓国史学科のチョ・グァン教授、全北大人文学部の河宇鳳(ハ・ウボン)教授、延世大国文科の許敬震(ホ・ギョンジン)教授、梨花女子大美術史学科の洪善杓(ホン・ソンピョ)教授、慶煕大日本語学科の箕輪吉次教授ら、60人余りに上る。
叢書は文学(1‐3巻)、外交(4‐6巻)、歴史(7・8巻)、文化・絵画(9・10巻)、思想・認識・経済・貿易・民族(11・12巻)などさまざまな分野を網羅し、学問の壁を取り払った。また、「朝鮮通信使および日本使臣を通じて見た韓・日間の飲食文化」「朝鮮通信使の日光遊覧に現れた韓・日文化観光交流に関する考察」など、独特な分野の論文も多い。最終13巻には、朝鮮通信使の路程と現在残っている遺跡を含む使臣資料を載せている。
兪碩在(ユ・ソクジェ)記者
http://www.chosunonline.com/article/20080520000059
>小中華意識をはじめとする支配理念のスペクトラムから自由になり得なかった存在だ。しかし、新たに接した異国の文物から知らず知らずのうちに覚醒と意識転換の端緒を会得し、それを自分の記録に表出させている」と語った。
そうだろうか?
朝鮮通信使、金仁謙の著書『日東壮遊歌』では
街の繁栄では大阪には及ばない。
しかし倭王(天皇)が住む都であり、とても贅沢な都市だ。
山の姿は勇壮、川は平野を巡って流れ、肥沃な農地が無限に広がっている。
この豊かな楽園を倭人が所有しているのだ。
悔しい。
「帝」や「天皇」を自称し、子や孫にまで伝えられるのだ。
悔しい。
この犬のような倭人を全て掃討したい。
この土地を朝鮮の領土にして、朝鮮王の徳で礼節の国にしたい。
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当時の日本が繁栄している現実を見ても分析せず、日本から持ち帰った水車の資料を元に水車の製作が出来ぬ自分等のレベルの低さを認識せず、ただ羨ましがり、根拠の無い妄想で日本人を見下していただけ。
自分等の因習や古い思想に囚われ覚醒しなかったから日韓併合に至った。
支那人は日清戦争で敗れたのは、近代化に於いて日本に立ち遅れたことだと気付き、戦後10年に亘り2万数千名の留学生を日本に送り込み、近代自然科学や社会科学、医療、文学などを学び、辛亥革命を起こし近代化を図った。やはり宗主国の支那人と属国の朝鮮人とはえらい違いがある。
これは メッセージ 1 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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