屈辱の象徴」三田渡碑の移転決定
投稿者: kohshien21c 投稿日時: 2008/06/19 11:35 投稿番号: [157 / 3699]
ケンチャナヨ
ttp://www.chosunonline.com/article/20080615000008
韓国の歴史上極めて大きな「屈辱の象徴」である三田渡碑(史跡第101号)が、現在の位置から北側に1キロほど離れたロッテワールド・マジックアイランドの入り口近くに移転されることになった。
文化財庁が9日に発表したところによると、「最近開かれた文化財委員会史跡分科会議で、“三田渡碑の移転は妥当だ”という意見で一致を見た」という。史跡分科委員長を務める梨花女子大の韓永愚(ハン・ヨンウ)碩座繁授(寄付金によって研究活動を行えるよう大学の指定を受けた教授)は、「これまで移転できなかったのは本来の場所が確認できなかったからで、今回は相当細かく考証が行われた」と語った。
これにより、現在ソウル市松坡区石村洞289‐3番地の住宅の中にある三田渡碑は、石村湖水西湖の北東側にある緑地帯へ移される見込みだ(地図参照)。ここは韓国を代表する遊園地、ロッテワールドのビルのすぐ裏手に当たり、西湖の中心にあるロッテワールド・マジックアイランドとも隣接している地点だ。松坡区のイ・ヨンジュ文化体育課長は、「ソウル市公園審議委員会の審議を経た後、文化財庁の予算支援を受け、来年上半期までに移転を終える計画だ」と語った。松坡区は、石碑を収容する建物を新たに作ることも検討しており、予算は1億ウォンから2億ウォン(約1037万円‐2075万円)と見積もられている。なお、仁祖が降伏する光景を描写した石碑の横の銅板は、1983年に作られたもので文化財的な価値はない、という文化財委員会の判断に基づき撤去される。
高さ5.7メートルのこの石碑は、1639年(仁祖17年)の丙子胡乱(清の朝鮮侵攻)に破れた朝鮮が、清の太宗の要求により彼の功徳を称えて建てたものだ。長い間百済古墳路などに放置されていたため、本来の位置が分からなくなり、1983年に現在の場所に移された。昨年には何者かが赤いスプレーで落書きをするなど、絶えずいたずらの被害にあっている。また、史跡の周辺100メートル以内の建物が新築時に高さ制限を受けるなどといった規制による住民の不満も根強く、松坡区は2003年から文化財庁とソウル市に石碑の移転を要請していた。
松坡区から依頼を受けたソウル市立大ソウル学研究所は、文献や古い地番図、住民の証言などを基に綿密に調査した結果、今年2月に報告書で「石碑の本来の位置はマジックアイランド横の石村湖水西湖北東部周辺」と結論付けた。石村湖水の水を汲み上げない限りその場所に建てるのは不可能なため、最も近い地点を選択したというわけだ。ただし、移転に対する憂慮の声もある。韓国文化遺産政策研究所のファン・ピョンウ所長は、「1983年に現在の場所へ石碑を建てた、という事実も既に歴史の一部なのに、開発のため本来の位置でもない場所へ史跡を移すのは問題がある」と語った。
ttp://www.chosunonline.com/article/20080615000008
韓国の歴史上極めて大きな「屈辱の象徴」である三田渡碑(史跡第101号)が、現在の位置から北側に1キロほど離れたロッテワールド・マジックアイランドの入り口近くに移転されることになった。
文化財庁が9日に発表したところによると、「最近開かれた文化財委員会史跡分科会議で、“三田渡碑の移転は妥当だ”という意見で一致を見た」という。史跡分科委員長を務める梨花女子大の韓永愚(ハン・ヨンウ)碩座繁授(寄付金によって研究活動を行えるよう大学の指定を受けた教授)は、「これまで移転できなかったのは本来の場所が確認できなかったからで、今回は相当細かく考証が行われた」と語った。
これにより、現在ソウル市松坡区石村洞289‐3番地の住宅の中にある三田渡碑は、石村湖水西湖の北東側にある緑地帯へ移される見込みだ(地図参照)。ここは韓国を代表する遊園地、ロッテワールドのビルのすぐ裏手に当たり、西湖の中心にあるロッテワールド・マジックアイランドとも隣接している地点だ。松坡区のイ・ヨンジュ文化体育課長は、「ソウル市公園審議委員会の審議を経た後、文化財庁の予算支援を受け、来年上半期までに移転を終える計画だ」と語った。松坡区は、石碑を収容する建物を新たに作ることも検討しており、予算は1億ウォンから2億ウォン(約1037万円‐2075万円)と見積もられている。なお、仁祖が降伏する光景を描写した石碑の横の銅板は、1983年に作られたもので文化財的な価値はない、という文化財委員会の判断に基づき撤去される。
高さ5.7メートルのこの石碑は、1639年(仁祖17年)の丙子胡乱(清の朝鮮侵攻)に破れた朝鮮が、清の太宗の要求により彼の功徳を称えて建てたものだ。長い間百済古墳路などに放置されていたため、本来の位置が分からなくなり、1983年に現在の場所に移された。昨年には何者かが赤いスプレーで落書きをするなど、絶えずいたずらの被害にあっている。また、史跡の周辺100メートル以内の建物が新築時に高さ制限を受けるなどといった規制による住民の不満も根強く、松坡区は2003年から文化財庁とソウル市に石碑の移転を要請していた。
松坡区から依頼を受けたソウル市立大ソウル学研究所は、文献や古い地番図、住民の証言などを基に綿密に調査した結果、今年2月に報告書で「石碑の本来の位置はマジックアイランド横の石村湖水西湖北東部周辺」と結論付けた。石村湖水の水を汲み上げない限りその場所に建てるのは不可能なため、最も近い地点を選択したというわけだ。ただし、移転に対する憂慮の声もある。韓国文化遺産政策研究所のファン・ピョンウ所長は、「1983年に現在の場所へ石碑を建てた、という事実も既に歴史の一部なのに、開発のため本来の位置でもない場所へ史跡を移すのは問題がある」と語った。
これは メッセージ 1 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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