■2日間で下ろされた太極旗■
それでは韓国の「光復」はいかにもたらされたのか?
昭和
20年8月15日に終戦を迎えると、朝鮮総督府の遠藤柳作・
政務総監は朝鮮語新聞「中央日報」社長・呂運享と会い、一切
の統治機構を韓国人の自治組織に引き渡すことを申し出た。
呂運享は、その日の夕方、自らを委員長とする「朝鮮建国準
備委員会」を組織して、総督府から治安維持の権限を引き取り、
放送局や新聞社などの言論機関を引き継いだ。建物という建物
には、民族の旗「太極旗」が翻った。
しかし連合軍は8月16日に総督府に機密命令を発し、しば
らく朝鮮統治を続け、統治機構を保全したまま連合軍に引き渡
すように命令した。18日、総督府はやむなく行政権を取り戻
した。太極旗が下ろされ、ふたたび日章旗が掲げられた。
朝鮮側は激怒したが、なすすべはなかった。呂運享は半島全
土に「朝鮮建国準備委員会」の支部を作らせ、ソウルに1千名
余りの代議員を集めて、「朝鮮人民共和国」の樹立を宣言した
が、米ソ両国はこれを無視した。
9月8日、米軍が仁川に上陸すると、「朝鮮人民共和国」の
代表が迎えたが、まったく相手にされず、逆に500人ほどの
朝鮮人が太極旗を掲げ、花束をもって米軍に近寄ろうとしたら、
米軍が勘違いして発砲し、多数の重軽傷者が出る有様だった。
9月9日、アメリカ側は沖縄第24軍団ホッジ中将、第57
機動部隊司令長官キンケード大将、日本側は朝鮮総督・阿部信
行大将、朝鮮軍管区司令官・上月良夫中将との間で、休戦協定
が結ばれたが、朝鮮側はまったく蚊帳の外に置かれていた。
ルーズベルト大統領はヤルタ会談で、朝鮮半島は独立させず、
連合国による信託統治とし、その期間は20年から30年くら
い必要だと述べていた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog190.html