現代自、日本市場テコ入れで全県に出店へ
投稿者: japanese_chosun 投稿日時: 2007/03/08 22:27 投稿番号: [34302 / 38959]
日本での販売テコ入れの目玉は、今秋に発売する排気量1・6〜2・0リットルクラスの「i30」(欧州での車名)で、背面の扉が上に開くハッチバック車だ。本拠地・韓国や欧州とほぼ同時期に日本へ投入することで話題性を高め、トヨタ自動車の「オーリス」、フォルクスワーゲンの「ゴルフ」を追撃する構えだ。
また、現代自は、「ヒュンダイ」ブランドを全国に浸透させるため、09年をめどに、現在は系列販売店がない山梨、愛媛、宮崎など11の空白県に店舗を置く。
エンジンや部品の無償修理を「新車購入時から最高で10年間または走行距離10万キロ・メートルまで」とするなど日本車や他の輸入車と比べて手厚いアフターサービスを売り物にする。
(2007年3月8日3時27分 読売新聞)
韓国初、日米移住100年史が写真集に
1923年9月の関東大震災当時、日本の役人によって無残にも虐殺された朝鮮人たちの死体、労働だけでは足りず日本の炭鉱会社の広報用写真のモデルにまで動員された朝鮮人強制労働者たち、家庭にある金属類を「寄付」との名目で取り上げながら日本帝国が投げつけた「貯金通帳」…。
1903年に移民船「ゲーリック号」に乗って米国ハワイに到着した朝鮮人たちがさとうきび畑で収穫している姿、新郎の写真1枚見ただけでハワイに嫁いだ新婦たち、1919年3・1運動(韓国抗日独立運動)直後にロサンゼルス近郊のある大学で開催された韓国人集会…。
およそ100年前、米国や日本に移住した韓国人たちの生活像を記録した写真集が韓国国内で初めて出版された。在外同胞財団が企画し、出版社「現実文化研究」が収集・分類して2冊にまとめた『在日韓国人100年の写真記録:分断の境界を崩す2人の在日の望郷歌』と『米州韓国人移民史100年の写真記録:100年響いたゲーリック号の汽笛』だ。米国に移住した韓国人らの写真集はかつて米州地域の韓国人団体などにより出版されたことがあるが、日本に移住した韓国人らの姿を込めた写真集は、国内外を通じて今回が初めて。
今回出版された写真集は、100年前の早期移住民らの生活から最近の韓国人らの姿までを、時期別に編集している。日本編は544点、米国編には448点の写真が収録されている。写真集に掲載された写真資料は、在外同胞財団と現実文化研究が1年余りにわたって探し回り、あちこちに散らばっていた個人や団体所蔵の資料を集めたものだ。この写真集は単なる歴史的な記録というだけでなく、「軍事訓練合格通知書」「酒の配給票」のように些細なもののように見える資料までを網羅しており、日本と米国で韓国人らがどのように過ごしてきたのか、1つ1つ示している。
現実文化研究のキム・スギ現実文化研究代表は「特に日本編の写真は、個人の所蔵資料、東京港区所在の“在日韓人歴史資料館”、“日帝強占下強制動員被害真相究明委員会”などが所蔵する資料だが、ほとんどが初めて一般公開されるもの」と語った。韓国近代史の研究者でもある、東亜歴史研究所イ・ミンウォン所長も「朝鮮人らが集団で居住していた地域の様子など、日本編の写真は今までに公開されたことのない貴重な資料」と話している。
なお、韓国人らの米国移住は1902年12月、ハワイのさとうきび畑で働くために移民した101-102人が最初で、今では300万人もの韓国人が米国に居住している。一方日本への移住は1905年9月、関釜連絡船「壱岐丸」が運航されるようになった頃から始まった。当時は新しい学問を学ぼうと留学生たちが海を渡り、太平洋戦争のときには朝鮮人数十万人が日本に強制連行された。
李恒洙(イ・ハンス)記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
また、現代自は、「ヒュンダイ」ブランドを全国に浸透させるため、09年をめどに、現在は系列販売店がない山梨、愛媛、宮崎など11の空白県に店舗を置く。
エンジンや部品の無償修理を「新車購入時から最高で10年間または走行距離10万キロ・メートルまで」とするなど日本車や他の輸入車と比べて手厚いアフターサービスを売り物にする。
(2007年3月8日3時27分 読売新聞)
韓国初、日米移住100年史が写真集に
1923年9月の関東大震災当時、日本の役人によって無残にも虐殺された朝鮮人たちの死体、労働だけでは足りず日本の炭鉱会社の広報用写真のモデルにまで動員された朝鮮人強制労働者たち、家庭にある金属類を「寄付」との名目で取り上げながら日本帝国が投げつけた「貯金通帳」…。
1903年に移民船「ゲーリック号」に乗って米国ハワイに到着した朝鮮人たちがさとうきび畑で収穫している姿、新郎の写真1枚見ただけでハワイに嫁いだ新婦たち、1919年3・1運動(韓国抗日独立運動)直後にロサンゼルス近郊のある大学で開催された韓国人集会…。
およそ100年前、米国や日本に移住した韓国人たちの生活像を記録した写真集が韓国国内で初めて出版された。在外同胞財団が企画し、出版社「現実文化研究」が収集・分類して2冊にまとめた『在日韓国人100年の写真記録:分断の境界を崩す2人の在日の望郷歌』と『米州韓国人移民史100年の写真記録:100年響いたゲーリック号の汽笛』だ。米国に移住した韓国人らの写真集はかつて米州地域の韓国人団体などにより出版されたことがあるが、日本に移住した韓国人らの姿を込めた写真集は、国内外を通じて今回が初めて。
今回出版された写真集は、100年前の早期移住民らの生活から最近の韓国人らの姿までを、時期別に編集している。日本編は544点、米国編には448点の写真が収録されている。写真集に掲載された写真資料は、在外同胞財団と現実文化研究が1年余りにわたって探し回り、あちこちに散らばっていた個人や団体所蔵の資料を集めたものだ。この写真集は単なる歴史的な記録というだけでなく、「軍事訓練合格通知書」「酒の配給票」のように些細なもののように見える資料までを網羅しており、日本と米国で韓国人らがどのように過ごしてきたのか、1つ1つ示している。
現実文化研究のキム・スギ現実文化研究代表は「特に日本編の写真は、個人の所蔵資料、東京港区所在の“在日韓人歴史資料館”、“日帝強占下強制動員被害真相究明委員会”などが所蔵する資料だが、ほとんどが初めて一般公開されるもの」と語った。韓国近代史の研究者でもある、東亜歴史研究所イ・ミンウォン所長も「朝鮮人らが集団で居住していた地域の様子など、日本編の写真は今までに公開されたことのない貴重な資料」と話している。
なお、韓国人らの米国移住は1902年12月、ハワイのさとうきび畑で働くために移民した101-102人が最初で、今では300万人もの韓国人が米国に居住している。一方日本への移住は1905年9月、関釜連絡船「壱岐丸」が運航されるようになった頃から始まった。当時は新しい学問を学ぼうと留学生たちが海を渡り、太平洋戦争のときには朝鮮人数十万人が日本に強制連行された。
李恒洙(イ・ハンス)記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS