朝鮮日報のランキング好き
投稿者: rachi_yamero 投稿日時: 2005/05/08 07:48 投稿番号: [23709 / 38959]
横レス失礼します。
以下朝鮮民族の民族性に対する私見です。
>韓国って「世界で何番目」とか「世界で第何位」とか「どこそこに追いついた」みたいな話がすきですね。
朝鮮では高麗時代に大陸から伝わった儒教を国家統治の基本理念としました。儒教は長幼の序など人間の序列を強調する教えですが李氏朝鮮ではこれが極端に硬直化して無慈悲なカースト制度(奴隷階層を含む固定化された身分階層制度)を作り出しました。寛容な仏教を国家統治の基本理念とした日本と、この点で好対照を成します。
李氏朝鮮のカースト制度は日本が朝鮮半島を支配することによって完全に破壊されたはずでしたが現実にはその名残は今も残り、ランキング(序列)に異常にこだわるのもその一つの表われと思われます。北朝鮮では「三階層五十一成分」としてカースト制度が復活しているともいえます。北朝鮮は日本統治前の李氏朝鮮封建社会が、まさに復活したものと見られるので、私は金氏朝鮮と呼ぶのが相応しいと思っています。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143583&tid=beaec0tbcsaja4nkacdaba4h2ddbja4ka4da 4a4a4fa1ya1ya1ya1ya1y&sid=1143583&mid=79066&thr=79055&cur=79055&dir=d
――――――――――
【身分制度】
朝鮮社会の運営は身分制に基礎をおいていた。身分は、血縁によって世襲されている社会的地位を法制的に確認し、統治面ではこれを土台にして役割分担を付与するものである。
朝鮮時代の社会身分は法制的に良人と賤人に大きく分けられていた。良人はさらに職業、家柄、居住地などによって両班、中人、常民に区分され、これによる社会的役割分担が行なわれていた。これら身分層間では区分が厳格で、相互交流が抑制されていた。
両班は文班と武班を通称する言葉からでたものだが、次第に身分名称に変わっていった。概して彼らは儒学を学んだ在野の学者であったために士族ともいった。彼らは自らの社会的身分を子々孫々にまで維持するために、官僚になるための儒学の勉強に専念し、官僚を目指す生き方を営んだ。そして彼らは官職を利用して社会全般にわたる特権を保障されていた。
中人は両班層の下で実務を執行する下部の支配身分層であった。技術官、郷吏、胥吏、士官、軍校、庶蘖などがこれに属した。
常民は平民、良民とも呼ばれたが、主に農業、商業、手工業などの生産活動に従事した身分層であった。彼らは生産活動に従事した関係で国家に対して租税、役、貢納の義務があった。彼らは法制的には自由人として教育と政治的出世の機会が許容されていたが、現実的には多くの制限をうけていた。
常民の中では農民が大部分で、工匠、商人などはその数が少なかった。工匠は官営や民営の手工業場で作業をした。しかし朝鮮前期には私的に手工業に従事した人はたいへん少なかった。
商人には国家統制下で商取引に従事する市塵商人と、全国の市場を舞台に行商する褓負商がいた。商人もやはり朝鮮王朝の農本政策によって活動が制限され、農民より賤しい扱いをうけた。
賤人には奴婢、白丁、役者、巫女、娼妓などがいた。賤人の大部分を占める奴婢は、所有者にしたがって公奴婢と私奴婢に区分され、労役で自らの役割を遂行した。奴婢は一種の財産として取り扱われ、売買、相続、贈与の対象であった。奴婢は結婚して家庭を作ることができたが、主人に隷属していて生活の自律権はなかった。
(国定韓国高等学校歴史教科書から)
以下朝鮮民族の民族性に対する私見です。
>韓国って「世界で何番目」とか「世界で第何位」とか「どこそこに追いついた」みたいな話がすきですね。
朝鮮では高麗時代に大陸から伝わった儒教を国家統治の基本理念としました。儒教は長幼の序など人間の序列を強調する教えですが李氏朝鮮ではこれが極端に硬直化して無慈悲なカースト制度(奴隷階層を含む固定化された身分階層制度)を作り出しました。寛容な仏教を国家統治の基本理念とした日本と、この点で好対照を成します。
李氏朝鮮のカースト制度は日本が朝鮮半島を支配することによって完全に破壊されたはずでしたが現実にはその名残は今も残り、ランキング(序列)に異常にこだわるのもその一つの表われと思われます。北朝鮮では「三階層五十一成分」としてカースト制度が復活しているともいえます。北朝鮮は日本統治前の李氏朝鮮封建社会が、まさに復活したものと見られるので、私は金氏朝鮮と呼ぶのが相応しいと思っています。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143583&tid=beaec0tbcsaja4nkacdaba4h2ddbja4ka4da 4a4a4fa1ya1ya1ya1ya1y&sid=1143583&mid=79066&thr=79055&cur=79055&dir=d
――――――――――
【身分制度】
朝鮮社会の運営は身分制に基礎をおいていた。身分は、血縁によって世襲されている社会的地位を法制的に確認し、統治面ではこれを土台にして役割分担を付与するものである。
朝鮮時代の社会身分は法制的に良人と賤人に大きく分けられていた。良人はさらに職業、家柄、居住地などによって両班、中人、常民に区分され、これによる社会的役割分担が行なわれていた。これら身分層間では区分が厳格で、相互交流が抑制されていた。
両班は文班と武班を通称する言葉からでたものだが、次第に身分名称に変わっていった。概して彼らは儒学を学んだ在野の学者であったために士族ともいった。彼らは自らの社会的身分を子々孫々にまで維持するために、官僚になるための儒学の勉強に専念し、官僚を目指す生き方を営んだ。そして彼らは官職を利用して社会全般にわたる特権を保障されていた。
中人は両班層の下で実務を執行する下部の支配身分層であった。技術官、郷吏、胥吏、士官、軍校、庶蘖などがこれに属した。
常民は平民、良民とも呼ばれたが、主に農業、商業、手工業などの生産活動に従事した身分層であった。彼らは生産活動に従事した関係で国家に対して租税、役、貢納の義務があった。彼らは法制的には自由人として教育と政治的出世の機会が許容されていたが、現実的には多くの制限をうけていた。
常民の中では農民が大部分で、工匠、商人などはその数が少なかった。工匠は官営や民営の手工業場で作業をした。しかし朝鮮前期には私的に手工業に従事した人はたいへん少なかった。
商人には国家統制下で商取引に従事する市塵商人と、全国の市場を舞台に行商する褓負商がいた。商人もやはり朝鮮王朝の農本政策によって活動が制限され、農民より賤しい扱いをうけた。
賤人には奴婢、白丁、役者、巫女、娼妓などがいた。賤人の大部分を占める奴婢は、所有者にしたがって公奴婢と私奴婢に区分され、労役で自らの役割を遂行した。奴婢は一種の財産として取り扱われ、売買、相続、贈与の対象であった。奴婢は結婚して家庭を作ることができたが、主人に隷属していて生活の自律権はなかった。
(国定韓国高等学校歴史教科書から)
これは メッセージ 23684 (syunsuke_murasawa さん)への返信です.