日本古代国家は朝鮮民族が作った
投稿者: sugyonjp 投稿日時: 2004/07/04 23:09 投稿番号: [13699 / 38959]
天皇陵を管理する宮内庁は、陵の発掘はおろか外観の調査すら許可せず、
戦前に適当になされた神武天皇陵、綏靖天皇陵・・・などの指定をそのまま踏
襲し、それに対する批判にはまったく耳をかさないようです。
これには一理あります。過去、天皇陵から朝鮮半島とのかかわりを示す証
拠が実際に出たようでした。
1872年、仁徳陵古墳が水害でくずれて内部が露出しましたが、そこか
ら出土されたとされる銅鏡や環頭太刀などがアメリカのボストン美術館に所蔵
されました。
この鏡は、同心円上に丸い突起が七つあることから七子(ななつこの)鏡
とよばれますが、百済武寧王陵の宜子獣
帯鏡とそっくりなことがコンピューター画像解析により最近判明しました。
銅鏡の大きさはもちろんのこと、白虎や青龍など四神の紋様があることや、
全体の姿かたちなど瓜二つです。
一方、仁徳陵古墳の近くには渡来氏族の船氏や飛鳥部氏など有力な豪族が
住んでいたことが知られており、同古墳周辺は百済の影響が絶大だったようで
す。
その名残は現在でも地名などに残り、百済駅、百済大橋、南百済小学校な
どが現存します。おまけに百済姓を名のる人もいるくらいです。
仁徳陵古墳の主が仁徳大王かどうかは別にして、ともかく天皇の陵墓と考
えられているので、当時、倭の天皇(大王)は百済王と特別な関係にあったよ
うです。
もともと日本と韓国は、百済以前「同種」であったようですが、北畠親房
によれば、その記録は平安時代に燃やされたとのことでした(注1)。
<「太平記」の時代、後醍醐天皇の側近・北畠親房の書いた『神皇正統記』
には「昔日本は三韓と同種也と云事のありし、かの書をば、桓武の御代に焼き
すてられしなり」と書いてある>
から‐の‐かみ【韓神】
(朝鮮から渡来した神の意か) 守護神として宮内省に祀られていた神。大己貴
(オオナムチ)・少彦名(スクナビコナ)二神をさすという。
一般にある民族が外来の神を受け入れるというのは、相当な抵抗があるも
のです。倭でも仏教を受け入れるかどうかをめぐって内乱が起きたくらいです
が、天皇家が韓神を受け入れるのにほとんど困難はなかったようでした。
もともと、神社や神宮は韓国や中国からの借用であっただけに当然かもし
れません。井沢元彦流にいえば、韓神は外来の神というより、天皇家の出身地
そのものの神だったのかもしれません。それに加えて、当時、韓神は倭にすで
に深く浸透していたようでした。
韓神を祀った園韓神社は、もともと藤原氏の創建になるものとされていま
すが、祭神の大己貴、別名、大国主(オオクニヌシ)命などは外来の神という
意識すら薄くなっていたのかもしれません。オオクニヌシ、少彦名はいうまで
もなく、新羅から出雲に渡ったとされる素戔嗚尊(スサノオノミコト)の子孫
とされています。
平安時代、この韓神とともに園神(そののかみ)も一緒に祀られていたよ
うでした。この神も渡来の神だったようです。井上正昭教授によれば「韓神と
は百済系の神、園神とは新羅系の神ということになる。ともにわが国に渡来し
てきた、いわゆる今来(いまき)の神であった」とされました。
戦前に適当になされた神武天皇陵、綏靖天皇陵・・・などの指定をそのまま踏
襲し、それに対する批判にはまったく耳をかさないようです。
これには一理あります。過去、天皇陵から朝鮮半島とのかかわりを示す証
拠が実際に出たようでした。
1872年、仁徳陵古墳が水害でくずれて内部が露出しましたが、そこか
ら出土されたとされる銅鏡や環頭太刀などがアメリカのボストン美術館に所蔵
されました。
この鏡は、同心円上に丸い突起が七つあることから七子(ななつこの)鏡
とよばれますが、百済武寧王陵の宜子獣
帯鏡とそっくりなことがコンピューター画像解析により最近判明しました。
銅鏡の大きさはもちろんのこと、白虎や青龍など四神の紋様があることや、
全体の姿かたちなど瓜二つです。
一方、仁徳陵古墳の近くには渡来氏族の船氏や飛鳥部氏など有力な豪族が
住んでいたことが知られており、同古墳周辺は百済の影響が絶大だったようで
す。
その名残は現在でも地名などに残り、百済駅、百済大橋、南百済小学校な
どが現存します。おまけに百済姓を名のる人もいるくらいです。
仁徳陵古墳の主が仁徳大王かどうかは別にして、ともかく天皇の陵墓と考
えられているので、当時、倭の天皇(大王)は百済王と特別な関係にあったよ
うです。
もともと日本と韓国は、百済以前「同種」であったようですが、北畠親房
によれば、その記録は平安時代に燃やされたとのことでした(注1)。
<「太平記」の時代、後醍醐天皇の側近・北畠親房の書いた『神皇正統記』
には「昔日本は三韓と同種也と云事のありし、かの書をば、桓武の御代に焼き
すてられしなり」と書いてある>
から‐の‐かみ【韓神】
(朝鮮から渡来した神の意か) 守護神として宮内省に祀られていた神。大己貴
(オオナムチ)・少彦名(スクナビコナ)二神をさすという。
一般にある民族が外来の神を受け入れるというのは、相当な抵抗があるも
のです。倭でも仏教を受け入れるかどうかをめぐって内乱が起きたくらいです
が、天皇家が韓神を受け入れるのにほとんど困難はなかったようでした。
もともと、神社や神宮は韓国や中国からの借用であっただけに当然かもし
れません。井沢元彦流にいえば、韓神は外来の神というより、天皇家の出身地
そのものの神だったのかもしれません。それに加えて、当時、韓神は倭にすで
に深く浸透していたようでした。
韓神を祀った園韓神社は、もともと藤原氏の創建になるものとされていま
すが、祭神の大己貴、別名、大国主(オオクニヌシ)命などは外来の神という
意識すら薄くなっていたのかもしれません。オオクニヌシ、少彦名はいうまで
もなく、新羅から出雲に渡ったとされる素戔嗚尊(スサノオノミコト)の子孫
とされています。
平安時代、この韓神とともに園神(そののかみ)も一緒に祀られていたよ
うでした。この神も渡来の神だったようです。井上正昭教授によれば「韓神と
は百済系の神、園神とは新羅系の神ということになる。ともにわが国に渡来し
てきた、いわゆる今来(いまき)の神であった」とされました。
これは メッセージ 13682 (chousenboy さん)への返信です.