歴史は繰り返す
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2004/07/09 18:22 投稿番号: [9811 / 49973]
これは今に始まった事じゃないけどね。
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「大韓民国」は使い捨てではない
1年ぶりに帰ってきた韓国は、大きな熱病に冒されていた。大統領弾劾と4.15総選挙の熱風が吹き荒れたかと思うと、首都移転とイラク派兵、そして北朝鮮核問題と南北接触がその後を継いだ。
そういった中、経済危機説は絶え間なく国民を苦しめ、政治は勝利者の合唱の裏で、次々と手錠をかけられる既得権者の呻き声が聞こえた。
そして、金鮮一(キム・ソンイル)さんの悲惨な死と手も付けられない政府、春闘だけではもの足りず夏闘の展開、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と新執権勢力の依然とした傲慢さ、「勝者がすべてをものにする」といった風に全国が真っ二つに分かれ、殺気まで感じられる。
ついにはパルチザンを民主化人物として認める事態にまで至った。政権交代は循環の概念ではなく、征服と懲罰の意味に変わり、世代交代は世代間のバトンタッチではなく、旧世代の追い出しとして認識されている。
変化は望ましいものだ。韓国はこれまで余りにも一つの“料理”だけを食べてきたという観点から、これからは多様性を消化すべき時がきた。過去、リーダーシップから疎外されていた人たちとその勢力が、「世の中が変わった」と叫んでいる。
しかし、彼らの大きな問題は、過去の既得権とは大きく違うと宣言した自分らが、さほど変わりがなく、適当に腐敗し、適当に人事請託し、適当に分け前をもらいながら既得権化しているという事実だ。
彼らのさらなる問題は、批判に耳を傾けようとしないということにある。現在の執権勢力と対立的な位置にある「敗者の抗弁」は、いいとしよう。
いまや、過去彼らを肯定的に見ていた小市民までもが、そして、過去権威主義勢力と民主化勢力の独走に反対してきた社会改革主義者までもが、徐々に盧政権とその勢力の二分法的な思考と硬直した独善を警戒しはじめた。
しかし、現在の執権勢力はそういった批判と警戒、善意の忠告までも陰謀だと思い込む「ハリネズミ症候群」にとらわれている。
これは単に現執権勢力の問題だけでは終わらない。このような硬直性と「勝者=正しいもの」の等式は、国の進路に大きな障害になり得るということに問題の深刻性がある。
われわれが民主主義を標榜する以上、われわれは執権者が互いに異なることを認め、また、批判者が“異なる”ことの限界を認識する線で折衝しなければならない。しかし、われわれは今“敵愾心”だけに生きている。
過去の政権の過ちがそこにあるとすれば、現執権勢力もはやり、同じ過ちを繰り返すだけに過ぎない。
このままでは、国が片方に偏り、大韓民国というお皿は割れてしまうかも知れない。大韓民国というお皿は使い捨てではない。選挙で勝ち、自分らの政策を展開し、自分らの“料理”を披露するというのだから、見守るほかない。他の人の提案や忠告を無視したとしても、それは彼らだけの料理だ。
しかし、彼らが決して無視してはならないのは、そのお皿は自分らと考えの異なる人たちも、いつかは使わなければならないお皿だということだ。
時代の変化によって修正可能で、治癒できる政策ならともかく、大韓民国の存在様式、憲法的な信頼、われわれが生きている“土台”のアイデンティティーまで勝手にしろと言った覚えはない。
民主主義が定着した国で、政権交代は保守と自由主義の循環を意味する。社会が片方に偏ると思った瞬間、適切な間隔を保ち、もう片方へと旋回させるバランスの役割をするのが、政権交代だ。
そのため、政治権力は国という家をしばらく借りて住む人に過ぎない。いつかは国民がそれに飽きたら、すばやく、その家を明け渡さなければならない。
そこでお願いしたい。何の色の料理をしようと、自分らの作品を作り上げようといいが、どうかお皿だけは割らないでほしい。
金大中(キム・デジュン)/理事記者
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/07/09/20040709000034.html
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「大韓民国」は使い捨てではない
1年ぶりに帰ってきた韓国は、大きな熱病に冒されていた。大統領弾劾と4.15総選挙の熱風が吹き荒れたかと思うと、首都移転とイラク派兵、そして北朝鮮核問題と南北接触がその後を継いだ。
そういった中、経済危機説は絶え間なく国民を苦しめ、政治は勝利者の合唱の裏で、次々と手錠をかけられる既得権者の呻き声が聞こえた。
そして、金鮮一(キム・ソンイル)さんの悲惨な死と手も付けられない政府、春闘だけではもの足りず夏闘の展開、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と新執権勢力の依然とした傲慢さ、「勝者がすべてをものにする」といった風に全国が真っ二つに分かれ、殺気まで感じられる。
ついにはパルチザンを民主化人物として認める事態にまで至った。政権交代は循環の概念ではなく、征服と懲罰の意味に変わり、世代交代は世代間のバトンタッチではなく、旧世代の追い出しとして認識されている。
変化は望ましいものだ。韓国はこれまで余りにも一つの“料理”だけを食べてきたという観点から、これからは多様性を消化すべき時がきた。過去、リーダーシップから疎外されていた人たちとその勢力が、「世の中が変わった」と叫んでいる。
しかし、彼らの大きな問題は、過去の既得権とは大きく違うと宣言した自分らが、さほど変わりがなく、適当に腐敗し、適当に人事請託し、適当に分け前をもらいながら既得権化しているという事実だ。
彼らのさらなる問題は、批判に耳を傾けようとしないということにある。現在の執権勢力と対立的な位置にある「敗者の抗弁」は、いいとしよう。
いまや、過去彼らを肯定的に見ていた小市民までもが、そして、過去権威主義勢力と民主化勢力の独走に反対してきた社会改革主義者までもが、徐々に盧政権とその勢力の二分法的な思考と硬直した独善を警戒しはじめた。
しかし、現在の執権勢力はそういった批判と警戒、善意の忠告までも陰謀だと思い込む「ハリネズミ症候群」にとらわれている。
これは単に現執権勢力の問題だけでは終わらない。このような硬直性と「勝者=正しいもの」の等式は、国の進路に大きな障害になり得るということに問題の深刻性がある。
われわれが民主主義を標榜する以上、われわれは執権者が互いに異なることを認め、また、批判者が“異なる”ことの限界を認識する線で折衝しなければならない。しかし、われわれは今“敵愾心”だけに生きている。
過去の政権の過ちがそこにあるとすれば、現執権勢力もはやり、同じ過ちを繰り返すだけに過ぎない。
このままでは、国が片方に偏り、大韓民国というお皿は割れてしまうかも知れない。大韓民国というお皿は使い捨てではない。選挙で勝ち、自分らの政策を展開し、自分らの“料理”を披露するというのだから、見守るほかない。他の人の提案や忠告を無視したとしても、それは彼らだけの料理だ。
しかし、彼らが決して無視してはならないのは、そのお皿は自分らと考えの異なる人たちも、いつかは使わなければならないお皿だということだ。
時代の変化によって修正可能で、治癒できる政策ならともかく、大韓民国の存在様式、憲法的な信頼、われわれが生きている“土台”のアイデンティティーまで勝手にしろと言った覚えはない。
民主主義が定着した国で、政権交代は保守と自由主義の循環を意味する。社会が片方に偏ると思った瞬間、適切な間隔を保ち、もう片方へと旋回させるバランスの役割をするのが、政権交代だ。
そのため、政治権力は国という家をしばらく借りて住む人に過ぎない。いつかは国民がそれに飽きたら、すばやく、その家を明け渡さなければならない。
そこでお願いしたい。何の色の料理をしようと、自分らの作品を作り上げようといいが、どうかお皿だけは割らないでほしい。
金大中(キム・デジュン)/理事記者
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/07/09/20040709000034.html
これは メッセージ 1 (korea_is_mini_japan さん)への返信です.
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