徳川慶喜に助けられた朝鮮は…?
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2004/03/31 01:51 投稿番号: [8741 / 49973]
朝鮮とアメリカの関係が危うくなった時、「まあまあ」と取り成したのは将軍慶喜。
これは、渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(平凡社東洋文庫)の第四巻にも、詳しく書かれています。(徳川幕府の朝鮮経略論としては、よく纏められています。)
さて、今日見つけたサイトのコピペ。(なかなかコンサイス。)
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1860年には、日本は、欧米五ケ国との条約締結のことを朝鮮に連絡している。フランス艦隊の江華遠征があった時、朝鮮は対馬の宗氏を介して徳川幕府にこのことを連絡してきたが、前年に日本は既にこの情報を得ており、鋭意調査中であった。
1867年、駐日仏・米両国公使から朝鮮に問責の兵を派遣すべしとの風説を聞いた徳川幕府は、使節を派遣して進んで米鮮の間を仲介し、国際情勢を朝鮮に説こうとした。徳川慶喜の朝鮮への使節派遣の御裁可を請う文書には「朝鮮国の儀従来の旧好唇歯の国柄外国より兵を向彼国滅亡に至り候はゞ皇国の大患とも可相成」という一節がある(『朝鮮開国交渉始末』32頁)。また、駐日米公使に送った書簡には「我に就て和を構ずるに至らば、貴国旌旗を回へし、旧怨を棄て、相友善するの道を開かんことを希望す、尤彼の頑固の悪習牢として、説べからざるに至れるは難測といへども、隣羲に於て我が尽くすべきを尽くし、四海の和平を祈るは我が大君の素志なり」(『近代日鮮関係の研究、上』朝鮮総督府編、明治百年史叢書、109頁)とあり、米国は日本国政府の調停を受諾し、謝意を表わしている。
しかし、朝鮮側は、前例がないとか、凶作・悪疫流行・外難などを理由として日本の差遣を拒否し、対して日本は粘り強く交渉を申しこんだが、大政奉還や戊辰戦争のため結局は自然消滅するにいたった。
http://www.interq.or.jp/sheep/clarex/krjp/krjp06.html
これは メッセージ 1 (korea_is_mini_japan さん)への返信です.
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