今日の「反省しる!」
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2004/03/18 00:22 投稿番号: [8624 / 49973]
やはりフツーではなかったか。
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「日本が謝罪するその日まで…」 水曜集会が600回
水曜日の今月17日の正午、ソウル・鐘路(チョンロ)区にある日本大使館の前には慰安婦女性など250人余が集まった。その中にイ・ヨンス(女性/76歳)さんの姿もあった。集会に参加するため、大邱(テグ)から汽車で上京した。
イさんは「12年前この集会に初めて出た時は真っ黒だった髪が、今は白髪になった」とし、「日本政府が公式に謝罪するまで、最後まで闘争する」と涙混じりに言った。
黄色いチョッキを着た慰安婦女性たちは、「戦争犯罪を認めよ」と書いたA4サイズの赤い警告状を日本大使館に向かって差し出した。大使館の正門に配置された警察2個中隊の250人余が、水曜集会の参加者を囲い込んだ。
集会が本格的に始まるや、地面にプラスチック制盾を並べた戦闘警察が、デモ隊が歩道から出られないように身体でバリケードを作り、だんだん迫ってきた。ある慰安婦女性はいきなり立ち上がり、「身体の弱いお年よりが何か騒動でも起こせると思ったか。なぜ、これほどまでに圧迫するのか」と抗議した。
毎週水曜日になると、慰安婦女性たちは日本大使館に集まってきた。しかし、この日の集会は特別だった。この日で水曜集会が600回目を迎えたのだ。この日は普段より5倍も多い人々が集まった。
同日の水曜集会は、韓国をはじめ米国のニューヨーク、メリーランド、サウスフロリダ、スペインのバルセロナ、ベルギーのルーバン、ドイツのベルリン、台湾のタイペイ、フィリピンのマニラなど8カ国で、現地の女性団体や平和団体、人権団体などの主催で同時に行われた。
キム・スンドク(女性/84歳)さんは「今まで長い間、集会を行ってきたが、何も変っていない」とし、「私たちは来週の水曜日にもまたここに集まる計画」とした。
集会参加者は元日本軍慰安婦の女性から日本人団体、政治家、一般市民に至るまで多様だった。600回目の水曜集会に参加するためわざわざ韓国を訪れた日本人もいた。
日本人と在日韓国人の集まりである「平和会」所属のカワミツ・ミユキ(女・19)さんは「教科書問題で関心を持つようになった韓国の現実を直接経験するため訪ねて来た」とし、「お婆さんたちが600回に至るまで寒くても暑くても名誉回復を求め、苦労なさっているのを考えると耐えられない」と涙を流した。
コイデ・マサオ(36・自営業)さんは「初めてだが今日集会に参加することになり大変誇りに思う。日本人として日本政府に対し非常に恥かしく思う」とうなだれた。
この日、集会に参加した一般市民たちも2時間もの間続く集会現場を離れようとせず、最後まで見守った。京畿(キョンギ)道ファス高等学校のチョン・ソル(女・17)さんは「学校新聞に記事を載せるため学校の先生や友たち10人と一緒に集会に参加することになった」とし、「日帝時代当時の悲しい歴史をお婆さんたちから直接聞いて、他の友たちにも知らせたい」と話した。
韓国挺身隊問題対策協議会はこの日の集会で慰安婦被害者の名誉回復と平和を念願する「600人宣言文」を発表し、慰安婦問題の速やかな解決を促す一方、日本大使館側に公開抗議書簡を渡した。
水曜集会は1992年1月8日に宮澤喜一当時首相の訪韓を控え始まった。今年で12周年に差し掛かり韓国最長集会に記録された。
申知恩(シン・ジウン)記者 ifyouare@chosun.com
チャン・サンジン記者 jhin@chosun.com
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/03/17/20040317000068.html
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期待させたのに戦争に負けてすみません、と謝ったらどうなるかな。
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「日本が謝罪するその日まで…」 水曜集会が600回
水曜日の今月17日の正午、ソウル・鐘路(チョンロ)区にある日本大使館の前には慰安婦女性など250人余が集まった。その中にイ・ヨンス(女性/76歳)さんの姿もあった。集会に参加するため、大邱(テグ)から汽車で上京した。
イさんは「12年前この集会に初めて出た時は真っ黒だった髪が、今は白髪になった」とし、「日本政府が公式に謝罪するまで、最後まで闘争する」と涙混じりに言った。
黄色いチョッキを着た慰安婦女性たちは、「戦争犯罪を認めよ」と書いたA4サイズの赤い警告状を日本大使館に向かって差し出した。大使館の正門に配置された警察2個中隊の250人余が、水曜集会の参加者を囲い込んだ。
集会が本格的に始まるや、地面にプラスチック制盾を並べた戦闘警察が、デモ隊が歩道から出られないように身体でバリケードを作り、だんだん迫ってきた。ある慰安婦女性はいきなり立ち上がり、「身体の弱いお年よりが何か騒動でも起こせると思ったか。なぜ、これほどまでに圧迫するのか」と抗議した。
毎週水曜日になると、慰安婦女性たちは日本大使館に集まってきた。しかし、この日の集会は特別だった。この日で水曜集会が600回目を迎えたのだ。この日は普段より5倍も多い人々が集まった。
同日の水曜集会は、韓国をはじめ米国のニューヨーク、メリーランド、サウスフロリダ、スペインのバルセロナ、ベルギーのルーバン、ドイツのベルリン、台湾のタイペイ、フィリピンのマニラなど8カ国で、現地の女性団体や平和団体、人権団体などの主催で同時に行われた。
キム・スンドク(女性/84歳)さんは「今まで長い間、集会を行ってきたが、何も変っていない」とし、「私たちは来週の水曜日にもまたここに集まる計画」とした。
集会参加者は元日本軍慰安婦の女性から日本人団体、政治家、一般市民に至るまで多様だった。600回目の水曜集会に参加するためわざわざ韓国を訪れた日本人もいた。
日本人と在日韓国人の集まりである「平和会」所属のカワミツ・ミユキ(女・19)さんは「教科書問題で関心を持つようになった韓国の現実を直接経験するため訪ねて来た」とし、「お婆さんたちが600回に至るまで寒くても暑くても名誉回復を求め、苦労なさっているのを考えると耐えられない」と涙を流した。
コイデ・マサオ(36・自営業)さんは「初めてだが今日集会に参加することになり大変誇りに思う。日本人として日本政府に対し非常に恥かしく思う」とうなだれた。
この日、集会に参加した一般市民たちも2時間もの間続く集会現場を離れようとせず、最後まで見守った。京畿(キョンギ)道ファス高等学校のチョン・ソル(女・17)さんは「学校新聞に記事を載せるため学校の先生や友たち10人と一緒に集会に参加することになった」とし、「日帝時代当時の悲しい歴史をお婆さんたちから直接聞いて、他の友たちにも知らせたい」と話した。
韓国挺身隊問題対策協議会はこの日の集会で慰安婦被害者の名誉回復と平和を念願する「600人宣言文」を発表し、慰安婦問題の速やかな解決を促す一方、日本大使館側に公開抗議書簡を渡した。
水曜集会は1992年1月8日に宮澤喜一当時首相の訪韓を控え始まった。今年で12周年に差し掛かり韓国最長集会に記録された。
申知恩(シン・ジウン)記者 ifyouare@chosun.com
チャン・サンジン記者 jhin@chosun.com
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/03/17/20040317000068.html
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期待させたのに戦争に負けてすみません、と謝ったらどうなるかな。
これは メッセージ 1 (korea_is_mini_japan さん)への返信です.
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