「米国政府に勤めた最初の日本人、島庄寛」
投稿者: coreano_raza_infima 投稿日時: 2003/11/22 09:47 投稿番号: [8125 / 49973]
このトピの趣旨に沿わないのは承知しておりますが・・
もう一つ、「日系アメリカ人」で思い出した島庄寛さんの
ことを書かずにはいられません。
島庄寛さんは戦前の1916年に沖縄から飛行機乗りを夢見てハワイに移住し、
その後ワシントンDCに移っていますが、当時のワシントンは
人種差別がひどく徹底した白人社会でした。島さんは
辛苦を舐めながら皿洗い(週7ドル)を生活の糧としつつ飛行機工科学校に
通っていましたが、当時ワシントンの日本人学生は彼1人だったので
日本大使館で何か行事があるたび招待されていたそうです。
そして大使館のレセプションの席で有名なジョン・ヘンダーソン
に見出され、彼の住み込みの秘書に大抜擢?されたのでした。
ヘンダーソン家とは父は上院議員、財政界の大立者であり、
莫大な資産(銀行、鉱山、石油、鉄道=ヘンダーソン家専用
列車まであった=)をもつアメリカの大富豪として世界的に有名、
それらの資産を一人息子のジョン・ヘンダーソンが管理していました。
昨日まで貧民街の下宿(月7ドル)での働きながらの苦学生が今日は
ヘンダーソン・キャッスルと呼ばれる世界的大富豪の城で暮らすことになり、
ここから飛行機学校に通いました。
ジョン・ヘンダーソンが島さんに対して語った有名な言葉が
あります。「仕事のできる人間はアメリカ人の中にも大勢
いる。しかし、シマ。正直な人間を見つけだすことは容易い
ことではない。私が信頼できるのは、シマ、君だけだ」
1925年島さんが23歳の時、ジョン・ヘンダーソンは突然
亡くなりました。死ぬ間際に彼を呼び「私亡き後は
ヘンダーソン家を継ぐ者はいない。シマ、どうか母をよろしく
頼む。シマ、我が家の全財産を管理する全権を君に委任する。
我が家の名誉を守ってくれ。そして高齢の母をくれぐれも頼む」
苦しい息のもとで実の息子にでも言うようにこれだけの事を
あえぎあえぎ頼みました。
当時の新聞は財政界の大立者の死を報道したが、それより大きく
日本人がヘンダーソン家の全財産の管理権を受けたことを報じたそうです。
1931年、島さんが29歳の時、老婦人メリー・ヘンダーソン
(ジョン・ヘンダーソンの母)が亡くなり、彼は葬儀一切を総支配人として
執りしきりました。葬儀にはアメリカ大統領、上院議員はじめ、上流社交界
の人々が参列し新聞はその記事を一面トップで報じました。
その後、島さんは農務省に勤めるようになり、(アメリカ中央政府の
仕事につく日本人は彼が始めて)記事が写真入りで大々的に報道されました。
戦後の1945年には彼の尽力でワシントンDCに日系人会が創立され、
初代会長に就任しています。(ポトマック河畔の”桜祭り”も彼が始めた)
この頃、ワシントンに日本大使館がなかった時分、ワシントンを訪れる
日本政府閣僚、国会議員など皆、彼を頼って訪ねています。
その功績により日本大使館ができると、大使館から勲章を授けると
連絡されましたが、彼は「私は日本人として在留邦人の為に
誰もがやる当たり前の事しかやっていない」と断ったそうです。
私はこの高潔な言葉を聞いて中国・戦国時代の魯仲連の言葉「士が尊いのは
報賞を取らぬところにあります。それを取ったら商人と何らかわる
ところはありません(史記)」を思い出してしまいます。
まさに「日本人であることを誇りに思える」話のホンの一つでした。
翻ってこの韓国カテのシブラル、イルクジといった小人輩は他国を根拠の
無い罵倒・捏造で貶めることを「愛国的」(実態は韓国及び韓国人の品位を
貶める売国奴)と思っているクズども、島さんのこの言葉を聞いたら
恥ずかしさのあまり愧死するのが普通の人間でしょうな。(奴らは心が
”獣”なので人間の法則は通用しないのかもしれませんが)
私は島庄寛さんの訃報を昨年12月の新聞で知りました。
12月14日老衰による死去、101歳、でした。ご冥福をお祈りします、合掌・・。
ちなみに島さんの一人娘ルリさんはNASAに勤める科学者だそうです。
もう一つ、「日系アメリカ人」で思い出した島庄寛さんの
ことを書かずにはいられません。
島庄寛さんは戦前の1916年に沖縄から飛行機乗りを夢見てハワイに移住し、
その後ワシントンDCに移っていますが、当時のワシントンは
人種差別がひどく徹底した白人社会でした。島さんは
辛苦を舐めながら皿洗い(週7ドル)を生活の糧としつつ飛行機工科学校に
通っていましたが、当時ワシントンの日本人学生は彼1人だったので
日本大使館で何か行事があるたび招待されていたそうです。
そして大使館のレセプションの席で有名なジョン・ヘンダーソン
に見出され、彼の住み込みの秘書に大抜擢?されたのでした。
ヘンダーソン家とは父は上院議員、財政界の大立者であり、
莫大な資産(銀行、鉱山、石油、鉄道=ヘンダーソン家専用
列車まであった=)をもつアメリカの大富豪として世界的に有名、
それらの資産を一人息子のジョン・ヘンダーソンが管理していました。
昨日まで貧民街の下宿(月7ドル)での働きながらの苦学生が今日は
ヘンダーソン・キャッスルと呼ばれる世界的大富豪の城で暮らすことになり、
ここから飛行機学校に通いました。
ジョン・ヘンダーソンが島さんに対して語った有名な言葉が
あります。「仕事のできる人間はアメリカ人の中にも大勢
いる。しかし、シマ。正直な人間を見つけだすことは容易い
ことではない。私が信頼できるのは、シマ、君だけだ」
1925年島さんが23歳の時、ジョン・ヘンダーソンは突然
亡くなりました。死ぬ間際に彼を呼び「私亡き後は
ヘンダーソン家を継ぐ者はいない。シマ、どうか母をよろしく
頼む。シマ、我が家の全財産を管理する全権を君に委任する。
我が家の名誉を守ってくれ。そして高齢の母をくれぐれも頼む」
苦しい息のもとで実の息子にでも言うようにこれだけの事を
あえぎあえぎ頼みました。
当時の新聞は財政界の大立者の死を報道したが、それより大きく
日本人がヘンダーソン家の全財産の管理権を受けたことを報じたそうです。
1931年、島さんが29歳の時、老婦人メリー・ヘンダーソン
(ジョン・ヘンダーソンの母)が亡くなり、彼は葬儀一切を総支配人として
執りしきりました。葬儀にはアメリカ大統領、上院議員はじめ、上流社交界
の人々が参列し新聞はその記事を一面トップで報じました。
その後、島さんは農務省に勤めるようになり、(アメリカ中央政府の
仕事につく日本人は彼が始めて)記事が写真入りで大々的に報道されました。
戦後の1945年には彼の尽力でワシントンDCに日系人会が創立され、
初代会長に就任しています。(ポトマック河畔の”桜祭り”も彼が始めた)
この頃、ワシントンに日本大使館がなかった時分、ワシントンを訪れる
日本政府閣僚、国会議員など皆、彼を頼って訪ねています。
その功績により日本大使館ができると、大使館から勲章を授けると
連絡されましたが、彼は「私は日本人として在留邦人の為に
誰もがやる当たり前の事しかやっていない」と断ったそうです。
私はこの高潔な言葉を聞いて中国・戦国時代の魯仲連の言葉「士が尊いのは
報賞を取らぬところにあります。それを取ったら商人と何らかわる
ところはありません(史記)」を思い出してしまいます。
まさに「日本人であることを誇りに思える」話のホンの一つでした。
翻ってこの韓国カテのシブラル、イルクジといった小人輩は他国を根拠の
無い罵倒・捏造で貶めることを「愛国的」(実態は韓国及び韓国人の品位を
貶める売国奴)と思っているクズども、島さんのこの言葉を聞いたら
恥ずかしさのあまり愧死するのが普通の人間でしょうな。(奴らは心が
”獣”なので人間の法則は通用しないのかもしれませんが)
私は島庄寛さんの訃報を昨年12月の新聞で知りました。
12月14日老衰による死去、101歳、でした。ご冥福をお祈りします、合掌・・。
ちなみに島さんの一人娘ルリさんはNASAに勤める科学者だそうです。
これは メッセージ 8097 (honkytonk_2002_x さん)への返信です.
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