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あ、すんませんでした!

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2003/05/26 01:04 投稿番号: [4979 / 49973]
>邪馬台国下関説

愚輩めに話を振って頂き、トピ主代行様のご高配に深謝しますです!(汗)

下関と申しますと、卑弥呼=神功皇后となり、それは『日本書紀』編纂者達が推定した事ですな。
中国の公式史書に残るほど印象が強かった「倭女王」。倭国内で伝承に残るほどのスーパーウーマンと言えば、「オキナガタラシヒメ」、つまり神功皇后だろう!と、編者達は思った事でしょう。

しかし、神功皇后の新羅出兵は、半島側の公式史書である『三国史記』と照らし合わせると、どうも4世紀末から5世紀初頭にかけての事実の伝承としか、説明できないのですね。朝鮮の『三国史記』や中国吉林省に残る高句麗の『広開土王碑』によると、その時期に「倭」は盛んに半島に出兵しています。(この場合の「倭」は単なる海賊という人もいますが、新羅の都を十日間も包囲したり、高句麗正規軍と平壌付近で大激突できる海賊がいた訳はありません。また、木っ端海賊相手の戦争を顕彰碑に記すマヌケな王様はいる訳ありません。)

日本側では、「3世紀」に神功皇后が新羅に出兵し、船を陸地にのし上げて上陸し(まるで太平洋戦争の上陸戦みたいに)、新羅王を降し、王子「微叱己知波珍干岐」(ミシコチハトリカムキ=『三国史記』の未斯欣=ミシキンと同一人物と考えられる)を日本に連行しています。

神功皇后が快勝したのはアヤシイとしても、倭軍が新羅の都を十日間包囲し、王子を日本に連行したのは、朝鮮・日本の史書がともに記しています。
しかし! ミシキンは402年に日本に連行されているので、つまりは『日本書紀』の記述が古い時代である3世紀にまで伸ばされて記述されている事になります。(紀元2600年も、各天皇の寿命がやたらと長いのも、そのせい。)
という事で、卑弥呼=神功皇后という日本書紀編纂者の想定もハズレになってしまうわけです。

ただ、邪馬台国下関説といいますか、邪馬台国の中心地が必ずしも一ヶ所である必要もないわけです。
私がよく引用する安本美典氏は、福岡県甘木地方だと推定しており(「高天原」や奈良盆地との奇妙な地名の一致)、私もそうかなあと思うのですが、大分県に中心地があったとも思えるフシがあります。(理由はまたの機会に!)
また、邪馬台国は出雲を併合している可能性も強いので(オオクニヌシの国譲り伝説)、下関あたりに大本営みたいなのがあっても、別に不思議でも何でもありません。

以上のように、私は高天原=邪馬台国、卑弥呼=天照大神、という立場に立っております。
しかし、いわゆる邪馬台国論争など、始めたらキリが無いので、反論されたい方と敢えて討論する気力はございませんです。(苦笑)

えーと、これで答になっておりますでしょうか…?
もしピンボケでしたら、どうかご指摘くださいませ。
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