>>>Cさんや〜い!
投稿者: c5525jp 投稿日時: 2003/05/15 14:19 投稿番号: [4817 / 49973]
>分断はされんじゃったちゅう論法で、日本にも分断の責任があると云うちょりまんな〜
何でもかんでも“日本が悪い”という陳腐な主張の標本ですね。
日米交渉中に日本が求めた『通商無差別原則』を認めなかった美国の責任は完全無視ですね。
日本が求めた『通商無差別原則』は、当時の日本の苦衷が如実に現れている要求と云えましょう。排日移民法に象徴されるような当時の世界的な移民制限の上、ミアーズの著書にあるような関税障壁。このような情勢は、資源小国日本にとっては深刻極まりない情勢でありましょう。
ジョン・ヘイが打ち出した『門戸開放』政策は、打ち出した当時には時代遅れの代物で、その政策の本舗“英国”は、その政策を当時の実状には合致しないものとして、とうの昔に捨てたものであったようです。(ジョージ・ケナン著『アメリカ外交50年』より)
満州事変後、スティムソン・ドクトリンの中にも『門戸開放』の原則が出現しておりますが、持ち出した美国本人が1930年7月にスムート・ホーレイ関税法で『門戸開放』を拒んでいるのですから、いかがわしい主張でありましょう。
何れにせよ、日本が支那からの撤退の条件として求めた『通商無差別原則』を受入れなかった米国は、日本に攻撃させることによって欧州戦争に介入することが出来たのであり、それによってルーズベルトの戦後構想である、
○欧州支配 ソ連
○極東支配 中国
○アフリカ 英国
○太平洋 米国
の実現を図ろうとしたと云えましょう(ハミルトン・フィッシュ著『日米・開戦の悲劇』より)
結局、共産主義者にたぶらかされたルーズベルトの間抜けさが、悲劇の元凶であると云えましょう。
日本の降伏が1週間早かろうと、6ヶ月であろうと、共産主義者(ロシア帝国主義者)が満州に介入したことは明白でありましょう。それは、1919年のカラハン宣言後のロシア人の行動や、日本が降伏文書に調印した日にスターリンがソ連国民に対して行ったメッセージで、
**************************************
日本の侵略者どもは、単に我々の同盟国―中国、アメリカ、英国にだけ損害を与えたのではないということである。彼らは、我国にもまた、極めて重大な損害を及ぼした。それ故我々は、日本に対して更に自己の特別の勘定を有するものである。
日本が我国に対して自己の侵略を開始したのは、まだ1904年、露日戦争の時のことである。周知の通り、1904年2月、日本とロシアの間にはまだ折衝が続けられていた時、日本はツァーリ政府の弱体性に付け込んで、不意に、背信的に、戦争の宣言なしに、我国に襲い掛かり、旅順港の区域におけるロシア艦隊を攻撃した。(中略)
1904年の露日戦争の時のロシア軍の敗北は、国民の中に重苦しい思い出を残した。それは、我国の上に黒い汚点をとどめた。我々国民は、何時の日か日本が撃破され、汚点が払拭される時が来らんことを信じ、待っていた。我々は、年長世代の者たちは、40年の間、その日を待ち侘びていた。そして今や、その日が到来したのである。(清水威久『ソ連と日露戦争』)
**************************************
スターリンがこのようにソ連が旅順・大連を要求する根拠にふれていますので、日本に復讐するために、ナニガナンデモ、ドンナテヲツカッテモ、略奪軍を繰り出した筈です。
何でもかんでも“日本が悪い”という陳腐な主張の標本ですね。
日米交渉中に日本が求めた『通商無差別原則』を認めなかった美国の責任は完全無視ですね。
日本が求めた『通商無差別原則』は、当時の日本の苦衷が如実に現れている要求と云えましょう。排日移民法に象徴されるような当時の世界的な移民制限の上、ミアーズの著書にあるような関税障壁。このような情勢は、資源小国日本にとっては深刻極まりない情勢でありましょう。
ジョン・ヘイが打ち出した『門戸開放』政策は、打ち出した当時には時代遅れの代物で、その政策の本舗“英国”は、その政策を当時の実状には合致しないものとして、とうの昔に捨てたものであったようです。(ジョージ・ケナン著『アメリカ外交50年』より)
満州事変後、スティムソン・ドクトリンの中にも『門戸開放』の原則が出現しておりますが、持ち出した美国本人が1930年7月にスムート・ホーレイ関税法で『門戸開放』を拒んでいるのですから、いかがわしい主張でありましょう。
何れにせよ、日本が支那からの撤退の条件として求めた『通商無差別原則』を受入れなかった米国は、日本に攻撃させることによって欧州戦争に介入することが出来たのであり、それによってルーズベルトの戦後構想である、
○欧州支配 ソ連
○極東支配 中国
○アフリカ 英国
○太平洋 米国
の実現を図ろうとしたと云えましょう(ハミルトン・フィッシュ著『日米・開戦の悲劇』より)
結局、共産主義者にたぶらかされたルーズベルトの間抜けさが、悲劇の元凶であると云えましょう。
日本の降伏が1週間早かろうと、6ヶ月であろうと、共産主義者(ロシア帝国主義者)が満州に介入したことは明白でありましょう。それは、1919年のカラハン宣言後のロシア人の行動や、日本が降伏文書に調印した日にスターリンがソ連国民に対して行ったメッセージで、
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日本の侵略者どもは、単に我々の同盟国―中国、アメリカ、英国にだけ損害を与えたのではないということである。彼らは、我国にもまた、極めて重大な損害を及ぼした。それ故我々は、日本に対して更に自己の特別の勘定を有するものである。
日本が我国に対して自己の侵略を開始したのは、まだ1904年、露日戦争の時のことである。周知の通り、1904年2月、日本とロシアの間にはまだ折衝が続けられていた時、日本はツァーリ政府の弱体性に付け込んで、不意に、背信的に、戦争の宣言なしに、我国に襲い掛かり、旅順港の区域におけるロシア艦隊を攻撃した。(中略)
1904年の露日戦争の時のロシア軍の敗北は、国民の中に重苦しい思い出を残した。それは、我国の上に黒い汚点をとどめた。我々国民は、何時の日か日本が撃破され、汚点が払拭される時が来らんことを信じ、待っていた。我々は、年長世代の者たちは、40年の間、その日を待ち侘びていた。そして今や、その日が到来したのである。(清水威久『ソ連と日露戦争』)
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スターリンがこのようにソ連が旅順・大連を要求する根拠にふれていますので、日本に復讐するために、ナニガナンデモ、ドンナテヲツカッテモ、略奪軍を繰り出した筈です。
これは メッセージ 4812 (u26699jp さん)への返信です.
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