グロッサーさんへ
投稿者: tsumi7 投稿日時: 2011/06/15 00:57 投稿番号: [47788 / 49973]
はじめまして。
昔は話し合えばわかる、などとおもっていましたが、今ではそう
思いません。なんというかはじめから違うのです。
はじめに観念がある、という言葉は実は司馬遼太郎の「世に棲む日々」の
吉田松陰の部分の中に書かれていたことばでした。
これが頭の中に残って韓国生活のなかで再びよみがえってきたといいましょうか、、
個人的に「傲慢な人間」が嫌いです。自分が正しいと思うのは悪くないと
思う。しかし、傲慢な人間は自分が正しいと思う、のではなく、
それは「自明の理」なんです。考える余地もないし、じぶんをふりかえることもない。私がいう傲慢な人間とは「絶対的に自分が正しいと、自明の理として思っている人」のことをいいます。
韓国の儒教がこういう傲慢なタイプの韓国人を増やしてきたと
思う。自分が絶対正しい、と思ってる人はどこの国にもいるし、こういう人は本人が幸せなだけでまわりに多大な迷惑をかけていると思います。
でも、傲慢な人の中にも人からいわれたり、あるできごとをとおして
何かを考えたりして、少し傲慢さがとれることもある。
しかし、韓国人の場合はそれがまったくない人がいる、、ように思われます。韓国的な「観念」の餌食になってしまった人だと思う。
親から受けた教育、その人の性向、などいろいろあると思いますが、、
自分は絶対的に正しいという考え方から脱却できないのは人として不幸なことだと思っています。長文お読みくださりありがとうございます。
つたない投稿をこれからも続けると思いますが、読んでくだされば
ありがたいです。
これは メッセージ 47777 (grosser770 さん)への返信です.
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