Re: 韓国軽視論←韓国人の参加、大歓迎
投稿者: tonpugi 投稿日時: 2008/07/22 13:51 投稿番号: [40695 / 49973]
7月14日に文部科学省が、2012年度から完全に実施される中学校の新学習指導要領の解説書を公表した。同省はその中で独島(トクト。日本名「竹島」)の領有問題に次のように触れた。
「また、我が国と韓国の間に竹島(ママ)をめぐって主張に相違があることなどにも触れ、北方領土(ママ)と同様に我が国の領土・領域について理解を深めさせることも必要である。」
(1)歴史的に朝鮮領であった独島(竹島)
江戸幕府は、独島のことを「松島」と呼び、「竹島」と呼ばれていた欝陵島とともに、日本人の渡航・居住が禁止された朝鮮領と認識していた。幕府の官撰地図に「松島」(独島)は記載されなかった。
明治政府も1905年の編入までは独島を朝鮮領と認識していた。1869年に調査のため朝鮮に派遣された外務省高官は、翌年提出した報告書『朝鮮国交際始末内探書』で、「竹島」(欝陵島)と「松島」(独島)は朝鮮付属になったとした。1877年、当時の最高国家機関である太政官が「日本海内竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」(注:「竹島」は欝陵島を、「外一島」は独島を指す)とする指令を発した。両島は版図外、すなわち日本領ではないとする公式宣言である。1894年、明治政府が国家事業として製作した地図が『大日本管轄分地図』として発刊されたが、そこに両島は記載されなかった。日本海軍は、『朝鮮水路誌』94年版・99年版に両島を記載した。これは独島が朝鮮領であると認識していたことを示している。1900年、大韓帝国は勅令41号で鬱陵島周辺の「石島」(独島)が同国の統治下にあるとした。これに対し明治政府は異見を出さなかった。
(2)朝鮮植民地支配の開始と結びついた独島略奪
ところが、1905年、明治政府は日露戦争のさなかに軍事施設建設を目的として、そして同時に韓国に対する植民地化政策の激化の只中で独島を強奪したのである。「米国はフィリピン、英国はインド、日本は朝鮮」を手に入れるとした日米英間の帝国主義的合意を背景に、1904年2月、日本軍は日露戦争突入とともに仁川に上陸し首都漢城を制圧した。同月には日韓議定書調印を強要、5月には対韓施設綱領の閣議決定、9月には第一次日韓協約を結んだ。ロシア海軍が日本の輸送船を沈める状況の下、11月にはロシアにおいて「リアンクール島」と呼ばれていた独島にロシア海軍監視用望楼の建設が可能であると予備調査で確認。翌1905年1月、明治政府が「リアンクール島」を「無主地」と決め付けてその領土編入を閣議決定し、「竹島」と命名した。その際、関係国であるはずの朝鮮との協議も、官報による公示もなかった。政府の訓令を受けた島根県が県告示40号で同島を「竹島」と命名し、隠岐島司の所管にすると公示した。同年7月、同島に望楼が着工され8月から活動が始まった。つまり、日露戦争に勝つための軍事施設の建設を目的として独島の領土編入が秘密裏に強行されたのである。これは、戦時を理由に他国領と認識していながら領土編入した、まさしく帝国主義的な領土獲得であった(以上の歴史経過は半月城「日本の竹島=独島放棄と領土編入」(『日朝関係史論集』、新幹社、2003)に拠る)。そして、それは1905年10月の「乙巳保護条約」の強制による朝鮮植民地支配の開始と一体のものであった。(引用終わり) 日本の労働者民衆のみなさん。
日帝の民族排外主義煽動を粉砕しよう。
歴史歪曲教科書に反対しよう。
日本の軍事大国化を許すな。
米軍と自衛隊の一体化を粉砕しよう。
米軍再編を粉砕しよう。
日韓労働者民衆は連帯しよう。
2008年7月20日
アジア共同行動日本連絡会議
追伸:原文が長すぎるというから半分以上削除したがアジア。。のサイトで原文を見たいならみてみ
「また、我が国と韓国の間に竹島(ママ)をめぐって主張に相違があることなどにも触れ、北方領土(ママ)と同様に我が国の領土・領域について理解を深めさせることも必要である。」
(1)歴史的に朝鮮領であった独島(竹島)
江戸幕府は、独島のことを「松島」と呼び、「竹島」と呼ばれていた欝陵島とともに、日本人の渡航・居住が禁止された朝鮮領と認識していた。幕府の官撰地図に「松島」(独島)は記載されなかった。
明治政府も1905年の編入までは独島を朝鮮領と認識していた。1869年に調査のため朝鮮に派遣された外務省高官は、翌年提出した報告書『朝鮮国交際始末内探書』で、「竹島」(欝陵島)と「松島」(独島)は朝鮮付属になったとした。1877年、当時の最高国家機関である太政官が「日本海内竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」(注:「竹島」は欝陵島を、「外一島」は独島を指す)とする指令を発した。両島は版図外、すなわち日本領ではないとする公式宣言である。1894年、明治政府が国家事業として製作した地図が『大日本管轄分地図』として発刊されたが、そこに両島は記載されなかった。日本海軍は、『朝鮮水路誌』94年版・99年版に両島を記載した。これは独島が朝鮮領であると認識していたことを示している。1900年、大韓帝国は勅令41号で鬱陵島周辺の「石島」(独島)が同国の統治下にあるとした。これに対し明治政府は異見を出さなかった。
(2)朝鮮植民地支配の開始と結びついた独島略奪
ところが、1905年、明治政府は日露戦争のさなかに軍事施設建設を目的として、そして同時に韓国に対する植民地化政策の激化の只中で独島を強奪したのである。「米国はフィリピン、英国はインド、日本は朝鮮」を手に入れるとした日米英間の帝国主義的合意を背景に、1904年2月、日本軍は日露戦争突入とともに仁川に上陸し首都漢城を制圧した。同月には日韓議定書調印を強要、5月には対韓施設綱領の閣議決定、9月には第一次日韓協約を結んだ。ロシア海軍が日本の輸送船を沈める状況の下、11月にはロシアにおいて「リアンクール島」と呼ばれていた独島にロシア海軍監視用望楼の建設が可能であると予備調査で確認。翌1905年1月、明治政府が「リアンクール島」を「無主地」と決め付けてその領土編入を閣議決定し、「竹島」と命名した。その際、関係国であるはずの朝鮮との協議も、官報による公示もなかった。政府の訓令を受けた島根県が県告示40号で同島を「竹島」と命名し、隠岐島司の所管にすると公示した。同年7月、同島に望楼が着工され8月から活動が始まった。つまり、日露戦争に勝つための軍事施設の建設を目的として独島の領土編入が秘密裏に強行されたのである。これは、戦時を理由に他国領と認識していながら領土編入した、まさしく帝国主義的な領土獲得であった(以上の歴史経過は半月城「日本の竹島=独島放棄と領土編入」(『日朝関係史論集』、新幹社、2003)に拠る)。そして、それは1905年10月の「乙巳保護条約」の強制による朝鮮植民地支配の開始と一体のものであった。(引用終わり) 日本の労働者民衆のみなさん。
日帝の民族排外主義煽動を粉砕しよう。
歴史歪曲教科書に反対しよう。
日本の軍事大国化を許すな。
米軍と自衛隊の一体化を粉砕しよう。
米軍再編を粉砕しよう。
日韓労働者民衆は連帯しよう。
2008年7月20日
アジア共同行動日本連絡会議
追伸:原文が長すぎるというから半分以上削除したがアジア。。のサイトで原文を見たいならみてみ
これは メッセージ 1 (korea_is_mini_japan さん)への返信です.
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