皇道派、統制派とうのは
投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2003/04/25 01:31 投稿番号: [3884 / 49973]
他称の言葉ですね。第三者・オブザーバー(マスコミ等)がつけたものですね。
>最近の日本政治史研究では、「ファシズム」という言葉はあまり使わないようです。
最近というと、いつころからですか。
陸軍青年将校グループと海軍青年将校グループは、結構交流、相互影響はありますね。
満州事変後の血盟団事件等は、井上が、陸軍の末松太平が満州に出征するときに、あとのことは我々に任せてくれ、といっておこしたものです。5.15には陸軍からは陸生を除けば参加しませんでしたが。
第一グループと第二グループはかなり早い時期に決別してますね。このあたりは、かなりの本にでてますが、具体的な内容は(なぜ尉官クラスの連中が佐官クラスの連中と決別したか。自分たちがおこなおうとすることと桜会とではちがうようだ、ということ)、大蔵貢・226事件への挽歌、末松の私の昭和史、などに詳しく出てきます。
統制派が、統制派といわれるようなグループをつくっていて、皇道派と対立していた、というような明確な線引きがあったわけではない。
有名な1921年のバーデンバーデンの三人会合(永田、小畑、岡村)も、後に3人が全員統制派になったわけではない。
権藤成卿は、出身が九州ということもあり、井上日召などの茨城組からはあまりおもんじられていなかったよう。井上は「私たちが、権藤氏の本を読んだり、講義をきいたりして、決起の決意をかためたなどということはない」などといっている。井上の同志・橘孝三郎氏は権藤氏を尊敬しているみたいだけど。
荒っぽく言うと、青年将校運動に参加していた者、それらのシンパは、全将校の1割。
これは メッセージ 3880 (nishina3777 さん)への返信です.
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