福田の日本
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2007/09/20 22:08 投稿番号: [38600 / 49973]
>「韓国・中国で嫌がる靖国神社参拝どうしてするのか」
中韓が「日本が存在するのがイヤだ」と言ったら、日本を滅ぼすのか。
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福田の日本(上)「中庸の血統」…極右外交はない
「韓国・中国で嫌がる靖国神社参拝どうしてするのか」
53歳で政界入門…慎重+バランスのリーダーシップ
日本自民党は23日、新総裁を選出する。多数党の総裁が25日、国会で正式に新首相に選ばれる。
情況から福田康夫(71、写真)元官房長官の首相就任が確実視されている。安倍政権で‘右’に傾いた日本がどんな方向に向くのか、かじを取る船長福田氏の将来はどうだろうか、3回にわたって察してみる。
19日午前、群馬県高崎市の福田事務所。地区党を守る支持者たちは福田氏首相就任行事の準備におおわらわだ。福田首相が就任すれば群馬(上州)地方では4人目の宰相となる。安倍晋三首相の出身地山口県(長州地方、8人)に続いて多い。しかし戦後のみをみれば群馬が単独1位だ。
◆「中庸」の血統群馬=両地方の伝統は大いに異なる。明治維新を導いた功労者で松下村塾出身の多くの右翼人物が首相になった。伊藤博文から安倍首相に至るまですべて右翼のにおいを漂わせた。
一方、群馬には傑出した調整型戦略家たちが布陣した。群馬地区党の宮島謙二氏(60)は「山口出身の宰相たちが一方にかたよった政治を追い求めたら群馬の福田赳夫(福田康夫の父)、中曽根康弘、小渕恵三元首相は中庸を最高の徳目とした」と説明した。「庶民派の福田」「威風堂々たる中曽根」「町のおじさん小渕」など日本首相のスタイルはまちまちだった。
しかし、これらを貫く精神は一様だった。福田は米国・アジアとのバランスのとれた外交政策を貫徹した。中曽根氏は現職首相として初めて靖国神社を参拝したが、周辺国が反対すると翌年これを止めている。小渕氏は米国から「冷めたピザ」という皮肉を受けながらも米国とアジアの大切さを同時に強調し「韓日パートナーシップ」を実現させた。皆「バランス」と「調整」を全身で実践した。
このような性向は戦国時代、莫強な家門の間で知略を駆使し、後日明治維新時まで大名、藩主として生き残った群馬の武将真田の家門の伝統に由来しているという分析もある。
◆「反急進形中道志向」=新首相として有力な福田氏は太平洋戦争真っ最中だったとき「日本本土で米国と戦えば竹槍を持って戦いに出る」と言った熱血小学生だった。しかし麻布高校、早稲田大政治経済学部と進む間に彼の性格は内気に変わっていった。
その後、石油会社である丸善(現コスモ石油)に入社し、17年間、平凡な職場生活を送る。2年間、米国駐在員経験もした。政治は弟が受け継ぐと思っていた。1972年、首相の座をめぐり、父親と田中角栄が熾烈な政争をするときも彼は目もくれなかったという。父親がさびしさのあまり「康夫はどうしてそんなに無愛想なのか」と嘆いたほどだった。しかし康夫は国際情勢に左右されやすい石油ビジネスに関与し、政治と外交は現実に即していなければならないし、いつかは自らこれを実現するという意志を固めた。天然資源がない日本の企業が安心して働くことができる環境を作るのが最高の外交であると同時に政治だと考えるようになったのだ。
53歳の年齢で政界に入門した彼の政治スタイルは、一言で「反急進」だ。志向するリーダーシップも「強要するリーダーシップ」ではない「バランスの取れたリーダーシップ」だ。小泉純一郎前首相や安倍首相のように「自民党をぶち壊す」「戦後体制から脱却する」と叫ぶには体質的に拒否感を見せる。
このため、福田新政権は小泉−安倍とつながってきた「右派政権」とは思想的にも、政策的にも大きな違いを見せそうだ。
彼は靖国神社参拝問題について、15日「相手(韓国、中国)が嫌がることを敢えてする必要はない」と言い切った。北朝鮮の日本人拉致問題に対しても「対話で解決しなければならない」とし「圧力」が中心だった前任首相らとは違う態度を見せた。集団的自衛権の行使を禁止した政府の憲法解釈を変更しようとする動きや、憲法改正についても慎重な立場だ。慎重さが福田氏のトレードマークなのだ。
ttp://japanese.joins.com/article/article.php?aid=91335&servcode=200§code=200
中韓が「日本が存在するのがイヤだ」と言ったら、日本を滅ぼすのか。
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福田の日本(上)「中庸の血統」…極右外交はない
「韓国・中国で嫌がる靖国神社参拝どうしてするのか」
53歳で政界入門…慎重+バランスのリーダーシップ
日本自民党は23日、新総裁を選出する。多数党の総裁が25日、国会で正式に新首相に選ばれる。
情況から福田康夫(71、写真)元官房長官の首相就任が確実視されている。安倍政権で‘右’に傾いた日本がどんな方向に向くのか、かじを取る船長福田氏の将来はどうだろうか、3回にわたって察してみる。
19日午前、群馬県高崎市の福田事務所。地区党を守る支持者たちは福田氏首相就任行事の準備におおわらわだ。福田首相が就任すれば群馬(上州)地方では4人目の宰相となる。安倍晋三首相の出身地山口県(長州地方、8人)に続いて多い。しかし戦後のみをみれば群馬が単独1位だ。
◆「中庸」の血統群馬=両地方の伝統は大いに異なる。明治維新を導いた功労者で松下村塾出身の多くの右翼人物が首相になった。伊藤博文から安倍首相に至るまですべて右翼のにおいを漂わせた。
一方、群馬には傑出した調整型戦略家たちが布陣した。群馬地区党の宮島謙二氏(60)は「山口出身の宰相たちが一方にかたよった政治を追い求めたら群馬の福田赳夫(福田康夫の父)、中曽根康弘、小渕恵三元首相は中庸を最高の徳目とした」と説明した。「庶民派の福田」「威風堂々たる中曽根」「町のおじさん小渕」など日本首相のスタイルはまちまちだった。
しかし、これらを貫く精神は一様だった。福田は米国・アジアとのバランスのとれた外交政策を貫徹した。中曽根氏は現職首相として初めて靖国神社を参拝したが、周辺国が反対すると翌年これを止めている。小渕氏は米国から「冷めたピザ」という皮肉を受けながらも米国とアジアの大切さを同時に強調し「韓日パートナーシップ」を実現させた。皆「バランス」と「調整」を全身で実践した。
このような性向は戦国時代、莫強な家門の間で知略を駆使し、後日明治維新時まで大名、藩主として生き残った群馬の武将真田の家門の伝統に由来しているという分析もある。
◆「反急進形中道志向」=新首相として有力な福田氏は太平洋戦争真っ最中だったとき「日本本土で米国と戦えば竹槍を持って戦いに出る」と言った熱血小学生だった。しかし麻布高校、早稲田大政治経済学部と進む間に彼の性格は内気に変わっていった。
その後、石油会社である丸善(現コスモ石油)に入社し、17年間、平凡な職場生活を送る。2年間、米国駐在員経験もした。政治は弟が受け継ぐと思っていた。1972年、首相の座をめぐり、父親と田中角栄が熾烈な政争をするときも彼は目もくれなかったという。父親がさびしさのあまり「康夫はどうしてそんなに無愛想なのか」と嘆いたほどだった。しかし康夫は国際情勢に左右されやすい石油ビジネスに関与し、政治と外交は現実に即していなければならないし、いつかは自らこれを実現するという意志を固めた。天然資源がない日本の企業が安心して働くことができる環境を作るのが最高の外交であると同時に政治だと考えるようになったのだ。
53歳の年齢で政界に入門した彼の政治スタイルは、一言で「反急進」だ。志向するリーダーシップも「強要するリーダーシップ」ではない「バランスの取れたリーダーシップ」だ。小泉純一郎前首相や安倍首相のように「自民党をぶち壊す」「戦後体制から脱却する」と叫ぶには体質的に拒否感を見せる。
このため、福田新政権は小泉−安倍とつながってきた「右派政権」とは思想的にも、政策的にも大きな違いを見せそうだ。
彼は靖国神社参拝問題について、15日「相手(韓国、中国)が嫌がることを敢えてする必要はない」と言い切った。北朝鮮の日本人拉致問題に対しても「対話で解決しなければならない」とし「圧力」が中心だった前任首相らとは違う態度を見せた。集団的自衛権の行使を禁止した政府の憲法解釈を変更しようとする動きや、憲法改正についても慎重な立場だ。慎重さが福田氏のトレードマークなのだ。
ttp://japanese.joins.com/article/article.php?aid=91335&servcode=200§code=200
これは メッセージ 1 (korea_is_mini_japan さん)への返信です.
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