守旧、平凡だった対日外交
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2007/09/16 01:09 投稿番号: [38515 / 49973]
>反日外交で日本に反韓感情が広がり、韓国の利益が損なわれる事態が予想されるならともかく、皮肉にいえば、盧政権はむしろ日本での韓流ブームに安心して反日外交を続けたということかもしれない。
世論調査だと対韓イメージは過去最悪だし、つまり韓流ブームを捏造した為に友好は遠のいた。
皮肉だなぁ・・・
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【緯度経度】ソウル・黒田勝弘 守旧、平凡だった対日外交
韓国の盧武鉉大統領が“レームダック(権力衰退)現象”にさらされている。マスコミは政権末期の恒例(?)ともいうべき側近の“不正疑惑”を連日のように書き立てている。
「一匹オオカミで怖いモノ知らず」の政治家らしく、何事につけ自信満々で人を食う(?)ような発言を続けてきた大統領だが、ここにきてその自信に揺らぎが見える。最近、側近秘書官の女性がらみの疑惑事件でこんなことを言っている。
(中略)
大手紙を中心に気に食わないマスコミとケンカし続け、記者たちを叱(しか)り飛ばしてきた盧大統領が記者団の前でいつになく神妙だった(11日)。
(中略)
「自分は(就任直後の訪日で)もう過去の問題には触れない、日本の戦争責任は問わないと約束したが、それが国内的に批判を受け、時間が経つにつれて容易なことではないと分かった。自分は間違っていたと思うようになった。過去を言わないと日本の首脳たちは靖国神社に行き、過去が生き返ってくる。なかなか簡単に対応できる問題ではないと感じた。それで政府内でも余裕が持てなくなり、世論や与党内とも対立するなど非常に難しい問題になり、思うようにいかなかった。日韓関係が一番難しかった」(日本側ブリーフィングの要約)
自分は対日関係では“過去離れ”の方針だったのだが、マスコミなど世論や与党など国内で批判を受けたため、当初の考えを思うように進められず、結果的に“過去離れ”はできなかったというのだ。
「国内の批判」としては、たとえば2003年6月6日の初訪日ではこういうことがあった。
6月6日は韓国では国に殉じた人たちを顕彰する公休日の「顕忠日」だった。そこでマスコミや政界が「こんな日に日本を訪れ、天皇に会って宮中晩さん会とは」とイチャモンをつけた。言いがかりみたいな非難だ。
この時、日本では国会の日程に従っていわゆる「有事立法」が可決されたのだが、韓国マスコミは「韓国大統領の訪日の日に外交無礼」を強調し、そのことに抗議しない大統領はケシカランと非難を展開した。
「国内の批判」というのはこういうたぐいのもので、盧大統領はそれに影響され、当初の考えを変えたというのだ。
在任中、最も盛り上がった反日外交は、島根県での「竹島の日」制定や周辺海洋調査などをきっかけにした“独島問題”だったが、盧大統領自ら日本がまるで、韓国をまた侵略しようとしているかのように日本非難を繰り返した。
あれだけ自信満々で、マスコミなど世論の批判、非難をものともせず、対米関係をはじめ内政外交で所信を推し進めてきた大統領なのに、対日関係だけはどういうわけか世論の批判に当初から同調し、ついには世論を上回る(?)対日強硬論になってしまった。
盧武鉉大統領に対して日本側では、戦後(解放後)世代の初の大統領として、自信と余裕による“過去離れ”と新しい対日外交を期待した。しかし結果は最も過去にこだわった“守旧外交”に終わってしまった。
韓国では歴代政権がそのつど反日外交をやってきたので、盧政権の反日外交がとくに印象に残ることはない。しかし日本では「韓流ブーム」だからその「反日外交」は印象的だ。盧大統領は韓流ブームに乗ってなぜ“過去離れ”を目指さなかったのだろう。
盧大統領は「日韓関係が一番難しかった」と述懐しているが、本当は一番難しかったはずの対米関係では、世論や与党陣営など「国内の批判」を押し切って米韓FTA(自由貿易協定)締結という思い切った決断をしている。
結局、盧大統領にとって、日韓関係は反対や批判を押し切って“過去離れ”をするほど、メリット(利益)のある重要なテーマではなかったということだろう。日本については当面、誰も反対しない使い古された反日であしらっておけば済むと思ったのだ。
反日外交で日本に反韓感情が広がり、韓国の利益が損なわれる事態が予想されるならともかく、皮肉にいえば、盧政権はむしろ日本での韓流ブームに安心して反日外交を続けたということかもしれない。
ttp://www.sankei.co.jp/kokusai/korea/070915/kra070915001.htm
世論調査だと対韓イメージは過去最悪だし、つまり韓流ブームを捏造した為に友好は遠のいた。
皮肉だなぁ・・・
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【緯度経度】ソウル・黒田勝弘 守旧、平凡だった対日外交
韓国の盧武鉉大統領が“レームダック(権力衰退)現象”にさらされている。マスコミは政権末期の恒例(?)ともいうべき側近の“不正疑惑”を連日のように書き立てている。
「一匹オオカミで怖いモノ知らず」の政治家らしく、何事につけ自信満々で人を食う(?)ような発言を続けてきた大統領だが、ここにきてその自信に揺らぎが見える。最近、側近秘書官の女性がらみの疑惑事件でこんなことを言っている。
(中略)
大手紙を中心に気に食わないマスコミとケンカし続け、記者たちを叱(しか)り飛ばしてきた盧大統領が記者団の前でいつになく神妙だった(11日)。
(中略)
「自分は(就任直後の訪日で)もう過去の問題には触れない、日本の戦争責任は問わないと約束したが、それが国内的に批判を受け、時間が経つにつれて容易なことではないと分かった。自分は間違っていたと思うようになった。過去を言わないと日本の首脳たちは靖国神社に行き、過去が生き返ってくる。なかなか簡単に対応できる問題ではないと感じた。それで政府内でも余裕が持てなくなり、世論や与党内とも対立するなど非常に難しい問題になり、思うようにいかなかった。日韓関係が一番難しかった」(日本側ブリーフィングの要約)
自分は対日関係では“過去離れ”の方針だったのだが、マスコミなど世論や与党など国内で批判を受けたため、当初の考えを思うように進められず、結果的に“過去離れ”はできなかったというのだ。
「国内の批判」としては、たとえば2003年6月6日の初訪日ではこういうことがあった。
6月6日は韓国では国に殉じた人たちを顕彰する公休日の「顕忠日」だった。そこでマスコミや政界が「こんな日に日本を訪れ、天皇に会って宮中晩さん会とは」とイチャモンをつけた。言いがかりみたいな非難だ。
この時、日本では国会の日程に従っていわゆる「有事立法」が可決されたのだが、韓国マスコミは「韓国大統領の訪日の日に外交無礼」を強調し、そのことに抗議しない大統領はケシカランと非難を展開した。
「国内の批判」というのはこういうたぐいのもので、盧大統領はそれに影響され、当初の考えを変えたというのだ。
在任中、最も盛り上がった反日外交は、島根県での「竹島の日」制定や周辺海洋調査などをきっかけにした“独島問題”だったが、盧大統領自ら日本がまるで、韓国をまた侵略しようとしているかのように日本非難を繰り返した。
あれだけ自信満々で、マスコミなど世論の批判、非難をものともせず、対米関係をはじめ内政外交で所信を推し進めてきた大統領なのに、対日関係だけはどういうわけか世論の批判に当初から同調し、ついには世論を上回る(?)対日強硬論になってしまった。
盧武鉉大統領に対して日本側では、戦後(解放後)世代の初の大統領として、自信と余裕による“過去離れ”と新しい対日外交を期待した。しかし結果は最も過去にこだわった“守旧外交”に終わってしまった。
韓国では歴代政権がそのつど反日外交をやってきたので、盧政権の反日外交がとくに印象に残ることはない。しかし日本では「韓流ブーム」だからその「反日外交」は印象的だ。盧大統領は韓流ブームに乗ってなぜ“過去離れ”を目指さなかったのだろう。
盧大統領は「日韓関係が一番難しかった」と述懐しているが、本当は一番難しかったはずの対米関係では、世論や与党陣営など「国内の批判」を押し切って米韓FTA(自由貿易協定)締結という思い切った決断をしている。
結局、盧大統領にとって、日韓関係は反対や批判を押し切って“過去離れ”をするほど、メリット(利益)のある重要なテーマではなかったということだろう。日本については当面、誰も反対しない使い古された反日であしらっておけば済むと思ったのだ。
反日外交で日本に反韓感情が広がり、韓国の利益が損なわれる事態が予想されるならともかく、皮肉にいえば、盧政権はむしろ日本での韓流ブームに安心して反日外交を続けたということかもしれない。
ttp://www.sankei.co.jp/kokusai/korea/070915/kra070915001.htm
これは メッセージ 1 (korea_is_mini_japan さん)への返信です.
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