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Re: 封建

投稿者: sinsei_yamatoteikoku_v1 投稿日時: 2006/07/31 07:24 投稿番号: [33593 / 49973]
>なぜ一生懸命働いて豊かになろうとしないのかと農民に聞くと、いくら収穫を増やしても役人に持っていかれるだけだから働いても働かなくても同じだと答えたとのこと

  その辺なんですよ。
  契約がまったく無視され、権力者の恣意で好きなだけ搾取できる社会では、みんなやる気を失うのは当然です。
  日本の封建制社会ではこんなことは許されなかったのです。
  年貢すらも団体交渉できちんと決めるわけですから。
  今の北朝鮮はまさに、李氏朝鮮の再来と言えるわけですな〜

>両班(貴族)は気紛れに奴婢を殺しても何の問題にもならず、

  徳川幕府、最初の大老の保科正之(家光の異母兄弟)は、町人を切り捨てご免の特権で無慈悲にも殺した旗本に対して蟄居をさせ、後日切腹を命じ、実質的には死刑に処しました。
  これ以来、武士は恐れをなして、江戸における辻斬りは激減したそうです。
  特権階級と言えども、恣意的判断で暴力をふるうことを江戸幕府は厳禁したのです。
  保科正之には近代的な人権感覚があったと見え、西欧の啓蒙的専制君主にも匹敵する人物です。
  保科正之はまた、江戸で大火があった時に、江戸城が燃えたのに、その再建は行わず、幕府の金庫から町並みの再建のために財政支出し、江戸を耐火都市に変えた人物でもあります。
  だから江戸城はなかったのです。
  こういった賢明な策が江戸幕府が260年も続き、たいした混乱もなく明治政府に政権をバトンタッチさせることに成功した要因でしょう。

  ちょ〜♪せんにもこういった先の見える人物はいました。
  ある皇帝は、   ちょ〜♪せん人が日本への使節団として行き、帰ってくると「日本みたいな野蛮国には学ぶものがなにもない。」と嘲笑していたのを聞いて叱りとばしたそうです。
  「膨大な国の予算を使って汝らを倭国へ派遣してきたのに、倭国からなにも学ぶべきものがないとは何事であるか!!いったいなんのために行ってきたのか!!」と激怒したそうです。
  まことにもっともな怒りなのですが、皇帝一人が外遊の意義を理解していても、他のちょ〜♪せん人がサッパリ理解せず、股広げて遊び惚けていたのだからどうしようもありません。
  その皇帝は自分で倭国へ行き、見聞を広めたくてもできない立場だったから、使節団を派遣し、少しでも外国の長所を学ばせようとしたのに、一般のちょ〜♪せん人の感覚がこれではねぇ。
  いまの南ちょ〜♪せん人にもこういったアホな使節団のような感覚の人はいっぱいいますね。
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