大錯覚、ねぇ
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/10/02 19:31 投稿番号: [28263 / 49973]
>そこにモンゴル軍人たちより高麗軍がずっと勇猛だったとモンゴルの歴史書である '怨辞'でも記録しているから.
対馬・壱岐での勇猛さは有名ですね。
「日蓮註画讃巻第五「蒙古來」篇」には「二島百姓等、男はあるいは殺ころされあるいは虜とりこ、女は一所に集め、手を徹とおし、舷ふなばたに結付、虜の者は一人も害さざるなし。
肥前国松浦党数百人伐虜さる。この国の百姓男女等、壱岐・対馬の如し」
とあります。
>日本軍たちは高麗-モンゴルの連合軍に敗戦に敗戦を繰り返して多くの人名の損失を経験する.
高麗・モンゴル軍は、勝利に勝利を繰り返したのにかかわらず、なぜ陸に宿営せず船に戻ったのでしょうね?
>今もキュー収支部屋に行って見ればその頃モンゴル高麗連合軍に対する恐怖が泣く子供達を脅威する言語で使われている.
「ムクリ:モンゴル」「コクリ:高麗」ですね。「オランケ(オランカイ)」と同じようなものですよ。
>単純にモンゴルが日本を侵略しようと思ったことは日本が風富とか文化的に魅力のあるザングソイニカは絶対にではなくモンゴルに誠意を見せながら使臣を送らないことに対する対価を少しでも見せてくれるための政治的な決定だと見ることが一番正確だ. 日本を占領して見ても獲得することができることは何もないから.
一回目の侵略は「威力偵察」「威嚇」と見ることもできましょうが、二回目のは本格的な侵略ですよ。
そのあとも担当省庁である「征東行省」は廃止と復活を繰り返しながら、侵略の意思は放棄していませんね。
獲得するものがないというなら、なぜ執着したんでしょう?
>モンゴルがバラならいくらでも列島を廃墟で作ったと思うが単純に海を渡る征伐を準備するのが煩わしかったり理由に過ぎない.
煩わしいから丸投げ、というのですか。
支那大陸から出発した江南軍10万の準備は元でやっておりますよ。
>加美仮題はモンゴルと高麗の連合軍が日本を遠征する中間に開いた一つの自然現象であるだけですね. 単純に日本を求めたことは新風ではなくてモンゴルの興味オブウムイオッウルだけ.
大風が吹いて軍船が転覆したのは事実です。その事実にどういう意味づけをしたのかは別の問題でしょうけど。
これは メッセージ 28258 (pyeongyang_kim さん)への返信です.
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