>>ダメダメ
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/10/02 00:27 投稿番号: [28227 / 49973]
pyeongyang_kimくんの「モンゴルと高麗の関係研究」と、以下の著書との整合性に悩みます。(笑)
黄文雄著『韓国は日本人がつくった』より、モンゴルと高麗関係部分の抜粋。
>朝鮮は中国歴代王朝の属国に甘んじ続けた。五代十国時代の数年間に例外の時期が在ったものの、ずっと中華帝国の「千年属国」であった事は史実なのだ。
>この朝鮮史と比べて、ベトナム史は実に対照的であった。ベトナム人は1000年以上に亘って中華帝国の侵略に抵抗し続けたのだ。唐末の内乱により広東に南漢政権が生まれるとベトナムは自立したし、938年には呉権が南漢干渉軍を破って独立を確保した。その後、ベトナム内の王朝は変わり続けたが、宋、元、明、清などの干渉軍を斥けている。
>この様に、ベトナムでは中華帝国の干渉を排除しようとする意志が強かった。中華帝国の属国となっている時でさえ、それは表面的なものでしかなく、中華帝国も宗主国としての体面を保つだけの君臨でしか無かった。
>これに対し、朝鮮歴代王朝の「尊中華」は半端なものでは無かった。事大(小国が大国に事える)主義そのもので有るだけでは無く、属国願望が徹底して有った。時には、中華王朝が迷惑がるほど、その願望は強かったのだ。
>中華帝国を始めとする北方諸王朝への「貢女」の献上は、古代から既に有名だったのだ。
>特に元の時代、モンゴル人の百数十年に亘る長期支配下では、貢女、女(むすめ)の供出の催促が厳しかった。朝鮮女性に於ける早婚の習俗は、この様なモンゴル人支配の下で生まれたものだとも分析されている。この「貢女」の歴史は、中国の歴史書だけではなく、「韓国通史」などの韓国人学者による「通史」にも散見できる。
>元時代、モンゴル人統監下での貢女献上は、高麗朝の貴族社会にとっては苦痛なほどであった。なにしろ、「処女」を献上しなければならないのだ。これが慣例となってしまった朝鮮では、元が抱える南宋の降人部隊「蛮子軍」に女を献上した事から、明や清へと朝鮮の貢女献上の悲喜劇が続いた。その記録は、「高麗史」「稼亭集」や墓誌に多く残っている。
>高麗が元に服属した後の元宗15(1274)年3月、元は朝鮮へ南宋の軍人(蛮子軍)を派遣した際、高麗の婦女140名の供出を要求した。これに対し、高麗政府は「結婚都監」を設け、市井の独身女性、逆賊の妻、僧人の女をかき集めて数を満たしたのだった。
>集められた女達は、「貢女」や「官妓」として強制連行され、1人絹12匹の化粧代で元のモンゴル人部隊へ売られて行った。結果としては、元の要求に仕方なく応じたと言うよりも、高麗政府はこれ幸いに人身売買で化粧代を稼いだ形となった。
>その翌年の忠烈王元年、元は高麗へ南宋の降人部隊「蛮子軍」1400人を派遣し、駐屯させた。高麗政府は、軍人達を慰める為再び「寡婦処女推考別監」を設け、各地へ役人を派遣し推考選別したのだった。
黄文雄著『韓国は日本人がつくった』より、モンゴルと高麗関係部分の抜粋。
>朝鮮は中国歴代王朝の属国に甘んじ続けた。五代十国時代の数年間に例外の時期が在ったものの、ずっと中華帝国の「千年属国」であった事は史実なのだ。
>この朝鮮史と比べて、ベトナム史は実に対照的であった。ベトナム人は1000年以上に亘って中華帝国の侵略に抵抗し続けたのだ。唐末の内乱により広東に南漢政権が生まれるとベトナムは自立したし、938年には呉権が南漢干渉軍を破って独立を確保した。その後、ベトナム内の王朝は変わり続けたが、宋、元、明、清などの干渉軍を斥けている。
>この様に、ベトナムでは中華帝国の干渉を排除しようとする意志が強かった。中華帝国の属国となっている時でさえ、それは表面的なものでしかなく、中華帝国も宗主国としての体面を保つだけの君臨でしか無かった。
>これに対し、朝鮮歴代王朝の「尊中華」は半端なものでは無かった。事大(小国が大国に事える)主義そのもので有るだけでは無く、属国願望が徹底して有った。時には、中華王朝が迷惑がるほど、その願望は強かったのだ。
>中華帝国を始めとする北方諸王朝への「貢女」の献上は、古代から既に有名だったのだ。
>特に元の時代、モンゴル人の百数十年に亘る長期支配下では、貢女、女(むすめ)の供出の催促が厳しかった。朝鮮女性に於ける早婚の習俗は、この様なモンゴル人支配の下で生まれたものだとも分析されている。この「貢女」の歴史は、中国の歴史書だけではなく、「韓国通史」などの韓国人学者による「通史」にも散見できる。
>元時代、モンゴル人統監下での貢女献上は、高麗朝の貴族社会にとっては苦痛なほどであった。なにしろ、「処女」を献上しなければならないのだ。これが慣例となってしまった朝鮮では、元が抱える南宋の降人部隊「蛮子軍」に女を献上した事から、明や清へと朝鮮の貢女献上の悲喜劇が続いた。その記録は、「高麗史」「稼亭集」や墓誌に多く残っている。
>高麗が元に服属した後の元宗15(1274)年3月、元は朝鮮へ南宋の軍人(蛮子軍)を派遣した際、高麗の婦女140名の供出を要求した。これに対し、高麗政府は「結婚都監」を設け、市井の独身女性、逆賊の妻、僧人の女をかき集めて数を満たしたのだった。
>集められた女達は、「貢女」や「官妓」として強制連行され、1人絹12匹の化粧代で元のモンゴル人部隊へ売られて行った。結果としては、元の要求に仕方なく応じたと言うよりも、高麗政府はこれ幸いに人身売買で化粧代を稼いだ形となった。
>その翌年の忠烈王元年、元は高麗へ南宋の降人部隊「蛮子軍」1400人を派遣し、駐屯させた。高麗政府は、軍人達を慰める為再び「寡婦処女推考別監」を設け、各地へ役人を派遣し推考選別したのだった。
これは メッセージ 28223 (doronpa90 さん)への返信です.
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