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寛永通宝出土

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/07/08 13:04 投稿番号: [24469 / 49973]
>研究所は、この西部洞遺跡からは官公署に貢納するための粉青沙器が多量出土しており、朝鮮末期までここに監獄施設が存在した点と、慶州がソウルと釜山(プサン)を結ぶ道の通過点に位置する点などから、この寛永通宝は、朝鮮(チョソン)後期に行われていた2国間交流の副産物と見るのが妥当だと説明した。

「監獄」と寛永通宝と、どう関係していると言うんだ?

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慶州で江戸時代の「寛永通宝」が出土

国立慶州(キョンジュ)文化財研究所が97年に発掘調査した慶州市西部洞(ソブドン)19番地一帯遺跡から、日本の江戸時代に鋳造され広く使われたとされる小銭「寛永通宝」が出土されたことが明らかになった。

この事実は、当時の調査団だった慶州文化財研究所(所長ユン・グンイル)が2003年、この遺跡調査結果を整理した「慶州西部洞19番地遺跡発掘調査報告より」を発刊したが、それに収録できなかった一部の遺物を保存処理する過程で最近、明らかになったものだ。

日本の江戸時代の小銭は、慶州地域はもちろん、韓半島全国を見ても出土は極めて珍しいと言われている。

1点が出土された寛永通宝(直径2.3センチ、厚さ0.1ミリ、重さ2.35グラム)という小銭は徳川家康執権当時の寛永3年(1626)当時、その年号を取って鋳造したもので、江戸時代全期間にわたり一種の基軸通貨として使われ続けたもの。

今回の慶州の出土品はここで確認される「寛永通宝」という文字の形態から日本の元文2年(1737)に鋳造されたいわゆる「日光正字寛永通宝である可能性が高いと研究所はみている。

寛永通宝は寛文8年(1688)を境としてその形態や書体が変わっており、学界ではこれを分岐点とし「新・旧寛永通宝」として区分しているが、今回の出土品は「新寛永通宝」に属するということだ。

研究所は、この西部洞遺跡からは官公署に貢納するための粉青沙器が多量出土しており、朝鮮末期までここに監獄施設が存在した点と、慶州がソウルと釜山(プサン)を結ぶ道の通過点に位置する点などから、この寛永通宝は、朝鮮(チョソン)後期に行われていた2国間交流の副産物と見るのが妥当だと説明した。


2005.07.08 12:12:38

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=65369&servcode=700§code=700
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