>>花札にいいぐさは
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/06/27 18:21 投稿番号: [23979 / 49973]
>>花札にいいぐさは
>「いじめ」「援助交際」の言葉はそのまま使って、
日本からの悪い影響ということになってるとか?!
まるで、「日本脳炎」なんていう病気の名前は喜んで使うのにねえ。
その代わり、漆器をjapan(頭文字は小文字)なんて呼ぶのは、ゼッタイに気に入らないか、あるいは「ウリナラ起源」説に持っていく事でしょう。今までの彼らのパターンを見ていると。
つうか、援助交際にしろいじめにしろ、どこからの影響だなんて、あるもんですか。その集団自体の問題でしょうが。
>倭寇は中国側にとっても悩むことだったとか本で読みました。
そうです。明朝では、「北虜南倭」と言って、北方民族の侵入と、東シナ海の倭寇の跳梁が、どちらも頭痛の種でした。
なお、後期倭寇の最大のリーダーは、王直という中国人でした。
>外征で成功したのが珍しいことだからなのでしょうか?
成功…とはちょっと言い難いんですけどね。
いや、対馬も確かに海賊の基地でもありました。そして、領主の宗氏も、貧しいこの島ならやむをえないと、大目に見ていたフシがあります。(のちに宗氏が朝鮮と関係を改善すると、海賊たちに「朝鮮には行くなよ。どうしても行くなら中国に行け」だなんて領主が言ったりしました。これは中国にとっては大迷惑だった事でしょう。)
なんか、あの事件はどちらも痛み分けという感じ。いや、死傷者数は、攻めた側の朝鮮国軍の方が多くて、しかも「ぼちぼち風向きが変わるとアンタら帰れなくなるよ」と対馬側から言われて、本当に帰ってしまっているんですから。
それでなんかイマイチだったので、もう一回対馬を攻撃しようとしたけど、今度は対馬の宗氏も、その上司たる九州の少弐氏も「今度来たら決死の覚悟で戦う」という意気込みを見せたし、朝鮮の民衆も、作戦のための徴税を恐れて、土地から逃亡してしまうなど、具体的に無理になったんです。
ただ、日本側では「まさか、またも元寇か?!」と十分に驚いたので、「効き目」はありました。
さて、朝鮮との貿易は、朝鮮側の希望で、日本からは全て対馬の宗氏を通さないとダメという事になりました。
当時、実際に朝鮮にとっては、日本の物産に対してはあまり魅力を感じていなかったので、つまりは「損」になりました。
朝鮮にとっては、日本との貿易は、倭寇対策のための一種のミカジメ的な意味を持ってしまったわけです。
極端な例でいうと、日本商人が、日本刀を2、3本持ってくるだけで、朝鮮から莫大なコメや豆をもらったりと、だいたい朝鮮にとっては「また取られちゃったニダ!(涙)」ってなもんでした。(分かった! これはイルボンに対する「太陽政策」だったニダ!W)
それに、日本人不法滞在者が朝鮮にどんどん増えて、困ったみたいです。(今から見ると、ヘンでしょう?)
これも、室町幕府足利氏の失政の一つでしょうね。朝鮮使節も、「どうやらイルボン王(将軍)は、京都の周辺地域にしか勢力が及んでいないニダ。それぞれの土地の豪族がそれぞれの土地で権力を握っているニダ。これじゃあ、倭寇の取り締まりも、ろくに出来るはずが無いニダ」と、祖国に報告しています。
また、日本の物産にほとんど関心の無かった朝鮮が、今になってなんでも「ウリナラ起源ニダ!」と騒ぐのは、どう考えてもおかしいんです。(笑)
>たしか対馬を韓国領土とか言ってるんですよね( ̄∇ ̄?)
上述の「応永の外寇」ごろにも、そういう意識は強かったんですけど、朝鮮側で描かれた地図で、対馬を朝鮮領土として描いたものはありません。
何よりも、朝鮮王朝の外交官向け公式ハンドブックの『海東諸国紀』(1471年)でも、「日本国対馬島」と記載されていますし、対馬領主宗氏に対しても、「日本国対馬州太守平公閣下」(宗氏は、平中納言知盛の子孫を名乗っている)と宛名を書いています。
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/eastasia/k11l.jpg
逆に、周防の大名大内氏、この一族は百済人の末裔ということになっていますが(本姓は「多々良」)、その大内氏、朝鮮政府にこう言います。
「私の家計は百済人の末裔です。貴国とのつながりもあるわけです。そこでお願いなのですが、私と私の領民のために、貴国の土地を少し分けて、住まわせてもらえませんか?」と。
朝鮮政府では、「別にかまわないニダ」となりかけましたが、「いや! これは何かたくらみがあるニダ! きっとそこから更に領地を広げる魂胆に違いないニダ!」となり、この話は立ち消えとなりました。
時代は下って幕末、長州藩が禁門の変で負けると、高杉新作が計画したのは、朝鮮の土地を少し分捕\xA4
>「いじめ」「援助交際」の言葉はそのまま使って、
日本からの悪い影響ということになってるとか?!
まるで、「日本脳炎」なんていう病気の名前は喜んで使うのにねえ。
その代わり、漆器をjapan(頭文字は小文字)なんて呼ぶのは、ゼッタイに気に入らないか、あるいは「ウリナラ起源」説に持っていく事でしょう。今までの彼らのパターンを見ていると。
つうか、援助交際にしろいじめにしろ、どこからの影響だなんて、あるもんですか。その集団自体の問題でしょうが。
>倭寇は中国側にとっても悩むことだったとか本で読みました。
そうです。明朝では、「北虜南倭」と言って、北方民族の侵入と、東シナ海の倭寇の跳梁が、どちらも頭痛の種でした。
なお、後期倭寇の最大のリーダーは、王直という中国人でした。
>外征で成功したのが珍しいことだからなのでしょうか?
成功…とはちょっと言い難いんですけどね。
いや、対馬も確かに海賊の基地でもありました。そして、領主の宗氏も、貧しいこの島ならやむをえないと、大目に見ていたフシがあります。(のちに宗氏が朝鮮と関係を改善すると、海賊たちに「朝鮮には行くなよ。どうしても行くなら中国に行け」だなんて領主が言ったりしました。これは中国にとっては大迷惑だった事でしょう。)
なんか、あの事件はどちらも痛み分けという感じ。いや、死傷者数は、攻めた側の朝鮮国軍の方が多くて、しかも「ぼちぼち風向きが変わるとアンタら帰れなくなるよ」と対馬側から言われて、本当に帰ってしまっているんですから。
それでなんかイマイチだったので、もう一回対馬を攻撃しようとしたけど、今度は対馬の宗氏も、その上司たる九州の少弐氏も「今度来たら決死の覚悟で戦う」という意気込みを見せたし、朝鮮の民衆も、作戦のための徴税を恐れて、土地から逃亡してしまうなど、具体的に無理になったんです。
ただ、日本側では「まさか、またも元寇か?!」と十分に驚いたので、「効き目」はありました。
さて、朝鮮との貿易は、朝鮮側の希望で、日本からは全て対馬の宗氏を通さないとダメという事になりました。
当時、実際に朝鮮にとっては、日本の物産に対してはあまり魅力を感じていなかったので、つまりは「損」になりました。
朝鮮にとっては、日本との貿易は、倭寇対策のための一種のミカジメ的な意味を持ってしまったわけです。
極端な例でいうと、日本商人が、日本刀を2、3本持ってくるだけで、朝鮮から莫大なコメや豆をもらったりと、だいたい朝鮮にとっては「また取られちゃったニダ!(涙)」ってなもんでした。(分かった! これはイルボンに対する「太陽政策」だったニダ!W)
それに、日本人不法滞在者が朝鮮にどんどん増えて、困ったみたいです。(今から見ると、ヘンでしょう?)
これも、室町幕府足利氏の失政の一つでしょうね。朝鮮使節も、「どうやらイルボン王(将軍)は、京都の周辺地域にしか勢力が及んでいないニダ。それぞれの土地の豪族がそれぞれの土地で権力を握っているニダ。これじゃあ、倭寇の取り締まりも、ろくに出来るはずが無いニダ」と、祖国に報告しています。
また、日本の物産にほとんど関心の無かった朝鮮が、今になってなんでも「ウリナラ起源ニダ!」と騒ぐのは、どう考えてもおかしいんです。(笑)
>たしか対馬を韓国領土とか言ってるんですよね( ̄∇ ̄?)
上述の「応永の外寇」ごろにも、そういう意識は強かったんですけど、朝鮮側で描かれた地図で、対馬を朝鮮領土として描いたものはありません。
何よりも、朝鮮王朝の外交官向け公式ハンドブックの『海東諸国紀』(1471年)でも、「日本国対馬島」と記載されていますし、対馬領主宗氏に対しても、「日本国対馬州太守平公閣下」(宗氏は、平中納言知盛の子孫を名乗っている)と宛名を書いています。
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/eastasia/k11l.jpg
逆に、周防の大名大内氏、この一族は百済人の末裔ということになっていますが(本姓は「多々良」)、その大内氏、朝鮮政府にこう言います。
「私の家計は百済人の末裔です。貴国とのつながりもあるわけです。そこでお願いなのですが、私と私の領民のために、貴国の土地を少し分けて、住まわせてもらえませんか?」と。
朝鮮政府では、「別にかまわないニダ」となりかけましたが、「いや! これは何かたくらみがあるニダ! きっとそこから更に領地を広げる魂胆に違いないニダ!」となり、この話は立ち消えとなりました。
時代は下って幕末、長州藩が禁門の変で負けると、高杉新作が計画したのは、朝鮮の土地を少し分捕\xA4
これは メッセージ 23978 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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