>百済の郷歌
投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2005/06/25 19:02 投稿番号: [23935 / 49973]
>>百済の郷歌にたどりつく。
郷歌(ヒヤンガ)は三国時代〜統一新羅の時代も含め、
ほんの僅か、25首だけしか残っていません。
実は歌集を編纂したという記録はあるのです。
真成女王(シンスン・ユワン)が命じて編纂されたのが、西暦888年。
「三代目(さんだいもく)」と言われています。
郷札(Hyangchal)で書かれたこの歌集は、実在したことは間違いありませんが、なかなか発見されません。
少なくとも日本・韓国の図書館や大学資料室の中にはないということだけはすでに調査済みだそうです。
西暦888年と言う時代は。
日本では村上天皇が源順ら5人に万葉集を解読せよと命じた947年の59年前ということになります。
また、古今和歌集成立が905年。それをさかのぼることわずかに17年前。
このような事情を鑑みれば、当時、和歌作りが盛んであった日本の朝廷が
歌集作りの参考資料として三代目の写本の一つを取り寄せた可能性は高いと考えます。
三代目には郷歌が500首から1000首位あるのではなかろうかと推定されます。
が、あくまで「参考資料」ではなかろうかと。
元々郷歌は、歌謡としての高句麗の黄鳥歌、百済の井邑詞、新羅の郷歌である彗星歌、薯童謡です。
ただ表記方法が、漢字の音と訓、新羅時代の吏読で表記されている点で、
万葉集、古今和歌集を「表記する」上での「参考資料」としたのでは、と考えますが・・・
「百済の郷歌」・・・いってみれば「童歌」ですしね(苦笑
これは メッセージ 23933 (anti_hijacker さん)への返信です.
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