>メキシコへの移民100周年ニダ!
投稿者: coreano_raza_infima 投稿日時: 2005/05/10 23:07 投稿番号: [22008 / 49973]
「メキシコへの鮮人移民100周年」ですか、20世紀初頭にラテンアメリカの地に鮮人が
入ってきた経路を知りたいですね。多分、華人と共に奴隷”苦力”としてメキシコに
”強制連行”された鮮人が最初の「移民」ではないでしょうか?
そうだとすると鮮人移民100周年パレードの写真に見えるハングルの幟には「メキシコ政府は
謝罪シル!」と書いてあるのかもしれません!?(メキシコ人は誰もハングルなど知らないから
知らぬが仏だが)
みたところパレードに参加している人はニダー系の顔ばかりですね、現地メキシコ人は
周囲で物珍しそうに見ているのもいますが、ほとんどは無関心もしくは「嫌われ者の
コレアーノ(鮮人)どもが、なに騒いでいるんだか」という感じでありましょう。
私はブラジルで行われた日系移民80周年(1988年)のパレードの写真をみたことがありますが、
パレードには日系のみならず多くの現地ブラジル人が参加しており、彼らの掲げるポルトガル語で
「日本人、ありがとう」と書かれた横断幕をもっているブラジル人(非日系)もいました。
その辺り、ラテンアメリカで現地の人々からの評価の違いが現れています。
歴史上、ラテンアメリカ諸国のうち日本と最初に接触のあったメキシコですが、
http://mex-jpn-amigo.org/contents01_1920.html
http://mex-jpn-amigo.org/contents01.html
メキシコで活躍した日本人では松田英二理学博士が有名です。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~manebin/jiten/jiten-html/cactus_thelocactus_matsudae.htm
ネットではあまり松田博士の関する情報が見つからないので補足しますと、戦前メキシコに渡った
松田博士は当初メキシコで農場経営(エスペランサ農場)及び現地メキシコ人への
育英事業を営んでいましたが、その後、メキシコ国立大学の教授・正研究員(生物学・植物学)
としてメキシコで活躍、800余の新種発見発表、60万点に及ぶ植物標本、4千余の鳥類、爬虫類の
標本を残したそうです。メキシのみならず南北アメリカの学会で活躍し、最後は南米ペルーで
1977年亡くなられました。
上記年表で1897年「メキシコへの第一次移民は同時にラテン・アメリカの初の日本人移民であった」
とあるのは事実ではありません。アルゼンチンへの移民第1号である牧野金蔵氏(神奈川県出身)
は1886年にアルゼンチンに入国しています。ただし日本とアルゼンチンが国交を結んで
(修好通商条約締結後)からの正式移民は1900年の榛葉贇雄氏(佐賀県出身)ら2人の若者でした。
榛葉贇雄氏については以前に他トピで書きましたが、当時の世界的に有名な英国の作家
ウイリアム(ギジェルモ)・ハドソンの妹にあたるラウラ・ハドソンと結婚、間に生まれた娘
ビオレッタ榛葉さん(何度も来日)はハドソン家の血を引く唯一の人物でした。
そういえば日露戦争中に当時アルゼンチンで日本の「東京国民新聞」や「東京報知新聞」の通信員を
していた榛葉贇雄氏は現地の新聞に(当時の主要紙ラ・ナシオン他4紙及びチリ・ウルグアイの
新聞にも)日本擁護の記事の投稿をしていて、それが随分現地の人々の日本への理解に貢献した
そうです。
入ってきた経路を知りたいですね。多分、華人と共に奴隷”苦力”としてメキシコに
”強制連行”された鮮人が最初の「移民」ではないでしょうか?
そうだとすると鮮人移民100周年パレードの写真に見えるハングルの幟には「メキシコ政府は
謝罪シル!」と書いてあるのかもしれません!?(メキシコ人は誰もハングルなど知らないから
知らぬが仏だが)
みたところパレードに参加している人はニダー系の顔ばかりですね、現地メキシコ人は
周囲で物珍しそうに見ているのもいますが、ほとんどは無関心もしくは「嫌われ者の
コレアーノ(鮮人)どもが、なに騒いでいるんだか」という感じでありましょう。
私はブラジルで行われた日系移民80周年(1988年)のパレードの写真をみたことがありますが、
パレードには日系のみならず多くの現地ブラジル人が参加しており、彼らの掲げるポルトガル語で
「日本人、ありがとう」と書かれた横断幕をもっているブラジル人(非日系)もいました。
その辺り、ラテンアメリカで現地の人々からの評価の違いが現れています。
歴史上、ラテンアメリカ諸国のうち日本と最初に接触のあったメキシコですが、
http://mex-jpn-amigo.org/contents01_1920.html
http://mex-jpn-amigo.org/contents01.html
メキシコで活躍した日本人では松田英二理学博士が有名です。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~manebin/jiten/jiten-html/cactus_thelocactus_matsudae.htm
ネットではあまり松田博士の関する情報が見つからないので補足しますと、戦前メキシコに渡った
松田博士は当初メキシコで農場経営(エスペランサ農場)及び現地メキシコ人への
育英事業を営んでいましたが、その後、メキシコ国立大学の教授・正研究員(生物学・植物学)
としてメキシコで活躍、800余の新種発見発表、60万点に及ぶ植物標本、4千余の鳥類、爬虫類の
標本を残したそうです。メキシのみならず南北アメリカの学会で活躍し、最後は南米ペルーで
1977年亡くなられました。
上記年表で1897年「メキシコへの第一次移民は同時にラテン・アメリカの初の日本人移民であった」
とあるのは事実ではありません。アルゼンチンへの移民第1号である牧野金蔵氏(神奈川県出身)
は1886年にアルゼンチンに入国しています。ただし日本とアルゼンチンが国交を結んで
(修好通商条約締結後)からの正式移民は1900年の榛葉贇雄氏(佐賀県出身)ら2人の若者でした。
榛葉贇雄氏については以前に他トピで書きましたが、当時の世界的に有名な英国の作家
ウイリアム(ギジェルモ)・ハドソンの妹にあたるラウラ・ハドソンと結婚、間に生まれた娘
ビオレッタ榛葉さん(何度も来日)はハドソン家の血を引く唯一の人物でした。
そういえば日露戦争中に当時アルゼンチンで日本の「東京国民新聞」や「東京報知新聞」の通信員を
していた榛葉贇雄氏は現地の新聞に(当時の主要紙ラ・ナシオン他4紙及びチリ・ウルグアイの
新聞にも)日本擁護の記事の投稿をしていて、それが随分現地の人々の日本への理解に貢献した
そうです。
これは メッセージ 21976 (honkytonk_2002_x さん)への返信です.
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