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イルボンはローマ法王を見習うニダ!

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/04/06 21:13 投稿番号: [20371 / 49973]
暗喩か。(笑)

それより、見事にイスラム側と講和した神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の方が、プラグマティックだし、しかも平和も齎したし、見習うべきじゃないか?

「いっそのこと、イルボンはウリナラを放っておいて欲しかったニダ!」とまで言う勇気は無いんだもんなあ。(笑)
それを言っちゃうと、「現代韓国」の否定になるもんな。

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【噴水台】千年の悔悟



ここ、神秘的なシスティナの壁画の下に/枢機卿たちが集まる/天国の鍵を継承するための重大な共同の責任を抱えて/まさにこの地に集まる。

ヨハネ・パウロ2世教皇は、自分が世を去った後にある新たな教皇選出のための世界枢機卿会議(コンクラーベ)を2年前に詩で表現した(チェ・ソンウン訳『私の中にあなたの安息の地があるから』、暖かい手)。

記憶に生き生きと残るある年の8月と10月/2度のコンクラーベでもそうだったので/…/1度死ぬのは人間の運命、その後は審判が従う!

1978年には教皇2人が相次いで逝去した。 短い期間に2度のコンクラーベを経て、彼は教皇の座に上った。 死は運命だが、終わりではないというメッセージだった。教皇は生前に既に経験した人の様に、死の入り口で霊魂と永遠が出会う状況を描き写した。

「私が死んでも全部がなくなるのではない。 私の中に消滅し得ないそれがある。 それが今、この瞬間、あるがままのその方と直面している」。

「消滅し得ないそれ」とは、霊魂のことだ。 「あるがままのその方」とは、永遠でもあり、カトリックの神様でもあるだろう。

教皇によれば、死は暗かったり曖昧だったりするものではない。 すれ違ってなくなるものでもない。 死は人に最後に訪れる明白さだ。 まぶしい光だ。 全てのものが、その前で裸になって表れる。 歴史も良心も死の前では明白に表れると言った。 死んでも死なない霊魂の永遠さを語った。

この様な生命観のためだろうか。パウロ2世教皇は、100年を超えない人生より、1000年を超える歴史を生きてきた様に感じられる。彼は、彼の1000年前の先輩教皇らが起こした十字軍遠征の独善と残酷さを悔悟した。 イスラムに謝罪した。 1000年間不仲だったギリシャ正教に対し、カトリックが犯した罪を懺悔したこともあった。

1000年の悔悟とは、1000年前に先祖が犯した罪を自分が犯した様に感じ、苦しむことだ。 1人の人生の視野では可能ではない。 1000年の歴史観と感受性がなければならぬ。 しかも謝罪とは、先代の過ちを公表して組織の精神を否定することではなかろうか。 祈祷で積んだ1000年の勇気が必要だろう。

死の性質をよく知っている人は、生き方も良い。 生きることは死に向かうことだからだ。 教皇の生と死がその様だ。

全栄基(チョン・ヨンギ)政治部次長 < chunyg@joongang. co. kr >


2005.04.06 19:48

http://japanese.joins.com/html/2005/0406/20050406194813100.html
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