総連関係者の「本音」
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/03/28 16:52 投稿番号: [19963 / 49973]
>「ワールドカップサッカーの時は、おれも韓国を応援したけど、うちの長男は(家族の中では少数者である)日本人の嫁のことを忘れてもう大騒ぎさ。終わってから『お前、嫁さんの気持ちも考えろ』って説教したんだ。おべっかじゃない。『自分とは別の愛着を持った人がいるんだから、常に相手のことを考えていかないと、うまくいかないよ』って」
これ、フツーの感覚だよね。ホッとする。
あの、万景峰号入港の時、拉致被害者家族が抗議のシュプレヒコールをやっているにもかかわらず、浮かれて踊りながら降りてきた無神経な在日の老婆がいたけど、あれは例外だと信じたいね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もう一つの60年:在日韓国・朝鮮人の戦後史/5止 3067人の思い /宮城
◇子供には幅広い選択肢を−−常に相手のことを考えて
在日2世の呉世龍(オセヨン)さん(66)は、北朝鮮が建国されたころの高揚感を今も覚えているという。
「(仙台市宮城野区)苦竹の朝鮮人集落にあった朝鮮学校で、『ついに私たちの国ができた。私たちは解放された』と教えられたんですよ。うれしかった」。1948年9月。57年前の出来事だった。
そして今、既に4世、5世が誕生する一方、偏見や差別をはねのける原動力だった祖国への思いは揺らぎ、民族性も薄れ始めている。
「本当に共和国(北朝鮮)の政府を信用して支持している人はほとんどいない。(現体制は)そう長く持たないだろうとみんな思っている」。朝鮮総連関係者は、そんな本音を漏らし、別の関係者は「今の自分たち」をこう表現した。
「私たちを語るキーワードは『不安定』。自分のアイデンティティーとしての民族性を守りたいという部分と、日本社会と共存共生したいという気持ちの両方に分裂しているんです」
□ □
戦後60年。「在日」という視点を借りて日本社会を見つめてみよう。そんな思いから、約4カ月をかけ30人を超える在日韓国・朝鮮人の人々に会った。何時間もかけて一代記を語ってくれた1世、在日という存在に新たな価値を見いだそうとする3世。生きざまは違うが、多くの人が日本人以上に日本社会に真正面から向き合っていた。向き合わざるをえなかった。
例えば、仙台市太白区で焼き肉店を営む朴正彦(パクチョンオン)さん(40)は、自分と自分の子供のことを、こんなふうに話す。
「私は在日であることに誇りを持っている。でも、私の子供は日本に一握りしかいない『在日の子供』として生まれてきてしまった。少なくてもその点、他の子供とは違う。だから親が補ってやりたい」
朴さんにとって「補う」とは、日本人と同じ環境で学ばせ、幅広い選択肢を用意してやること、子供の可能性を奪わないことだという。
□ □
03年末現在、県内に住む在日韓国・朝鮮人の数は3067人(日本国籍取得者は除く)。237万人の県人口の0・1%という少数者だ。日々の暮らしの中で、日本人ならば意識せずに済むことを在日の人々は意識し、時として日本社会への怒りを爆発させた。なぜだったのか。
その答えと、未来に向かって日本が在日韓国・朝鮮人社会や近隣の国々とより良い関係を築くカギが、呉さんがしてくれた話の中にあるような気がした。
「ワールドカップサッカーの時は、おれも韓国を応援したけど、うちの長男は(家族の中では少数者である)日本人の嫁のことを忘れてもう大騒ぎさ。終わってから『お前、嫁さんの気持ちも考えろ』って説教したんだ。おべっかじゃない。『自分とは別の愛着を持った人がいるんだから、常に相手のことを考えていかないと、うまくいかないよ』って」=おわり(この連載記事は鈴木英生、写真は長谷川直亮が担当しました)
………………………………………………………………………………………………………
◇縮まる日本社会との距離
在日韓国・朝鮮人の結婚相手は、9割以上が日本人。生まれた子供は、両親どちらかの国籍を選べるため、日本国籍になるケースも少なくない。日本国籍取得者も95年以降は全国で年1万人前後で推移するようになった(90年のほぼ2倍)。世代交代で国籍へのこだわりが薄れたことが背景にあるとされる。
3月28日朝刊
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050328-00000107-mailo-l04
これ、フツーの感覚だよね。ホッとする。
あの、万景峰号入港の時、拉致被害者家族が抗議のシュプレヒコールをやっているにもかかわらず、浮かれて踊りながら降りてきた無神経な在日の老婆がいたけど、あれは例外だと信じたいね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もう一つの60年:在日韓国・朝鮮人の戦後史/5止 3067人の思い /宮城
◇子供には幅広い選択肢を−−常に相手のことを考えて
在日2世の呉世龍(オセヨン)さん(66)は、北朝鮮が建国されたころの高揚感を今も覚えているという。
「(仙台市宮城野区)苦竹の朝鮮人集落にあった朝鮮学校で、『ついに私たちの国ができた。私たちは解放された』と教えられたんですよ。うれしかった」。1948年9月。57年前の出来事だった。
そして今、既に4世、5世が誕生する一方、偏見や差別をはねのける原動力だった祖国への思いは揺らぎ、民族性も薄れ始めている。
「本当に共和国(北朝鮮)の政府を信用して支持している人はほとんどいない。(現体制は)そう長く持たないだろうとみんな思っている」。朝鮮総連関係者は、そんな本音を漏らし、別の関係者は「今の自分たち」をこう表現した。
「私たちを語るキーワードは『不安定』。自分のアイデンティティーとしての民族性を守りたいという部分と、日本社会と共存共生したいという気持ちの両方に分裂しているんです」
□ □
戦後60年。「在日」という視点を借りて日本社会を見つめてみよう。そんな思いから、約4カ月をかけ30人を超える在日韓国・朝鮮人の人々に会った。何時間もかけて一代記を語ってくれた1世、在日という存在に新たな価値を見いだそうとする3世。生きざまは違うが、多くの人が日本人以上に日本社会に真正面から向き合っていた。向き合わざるをえなかった。
例えば、仙台市太白区で焼き肉店を営む朴正彦(パクチョンオン)さん(40)は、自分と自分の子供のことを、こんなふうに話す。
「私は在日であることに誇りを持っている。でも、私の子供は日本に一握りしかいない『在日の子供』として生まれてきてしまった。少なくてもその点、他の子供とは違う。だから親が補ってやりたい」
朴さんにとって「補う」とは、日本人と同じ環境で学ばせ、幅広い選択肢を用意してやること、子供の可能性を奪わないことだという。
□ □
03年末現在、県内に住む在日韓国・朝鮮人の数は3067人(日本国籍取得者は除く)。237万人の県人口の0・1%という少数者だ。日々の暮らしの中で、日本人ならば意識せずに済むことを在日の人々は意識し、時として日本社会への怒りを爆発させた。なぜだったのか。
その答えと、未来に向かって日本が在日韓国・朝鮮人社会や近隣の国々とより良い関係を築くカギが、呉さんがしてくれた話の中にあるような気がした。
「ワールドカップサッカーの時は、おれも韓国を応援したけど、うちの長男は(家族の中では少数者である)日本人の嫁のことを忘れてもう大騒ぎさ。終わってから『お前、嫁さんの気持ちも考えろ』って説教したんだ。おべっかじゃない。『自分とは別の愛着を持った人がいるんだから、常に相手のことを考えていかないと、うまくいかないよ』って」=おわり(この連載記事は鈴木英生、写真は長谷川直亮が担当しました)
………………………………………………………………………………………………………
◇縮まる日本社会との距離
在日韓国・朝鮮人の結婚相手は、9割以上が日本人。生まれた子供は、両親どちらかの国籍を選べるため、日本国籍になるケースも少なくない。日本国籍取得者も95年以降は全国で年1万人前後で推移するようになった(90年のほぼ2倍)。世代交代で国籍へのこだわりが薄れたことが背景にあるとされる。
3月28日朝刊
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050328-00000107-mailo-l04
これは メッセージ 1 (korea_is_mini_japan さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/4z9q7zbbkoc0a2ab4z9qbfma4nbb22ca1a2bg4bf7de_1/19963.html