ちょっと、これはなあ…
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/03/09 22:10 投稿番号: [18760 / 49973]
韓氏は、「日本に支配された事がいいとは言わない。しかし、ロシアに支配される事を考えれば、不幸中の幸いだ。ロシアに支配されていれば、国民は強制移住させられ、しかもロシア革命で共産化していたからだ」と言っただけなんだけどなあ。
それを、「日本の植民地支配は韓国の祝福」と言ったというのは、歪曲だろうが。
この記事の書き方はとても面白いんだけどさ。
・・・・・・・・・・・・・・・
【噴水台】韓昇助
「創作には見る人を飽きさせない程度の誇張が不可避だ」。
熾烈な作品が伝える強烈なメッセージが、時には嫌悪感を与えることもある。 その理由をはっきりととらえるのは難しかったが、日本人女流作家の塩野七生がひとまず解答をくれた。
『私の人生は映画館から始まった』という批評本で、彼女はこのように言葉を続けた。
「ただ誇張は少しだけしなければならない。あまりにも誇張し過ぎると、現実から外れる。 … ジャック・ニコルソン、ロバート・デ・ニーロの気味が悪いほどの優れた表現力から、あたかも現実に対するある偏向した認識を強要される感じがする」。
どっちみち創作者が表現する現実は「ある現実」であり「全体現実」ではない。 ある現実に没頭した余りにそれを全体現実と信じる時、不快な誇張が出てくる。
「親日行為がまさに反民族行為か」と反問した韓昇助(ハン・スンジョ)前高麗(コリョ)大名誉教授は、誇張が行き過ぎて嫌悪感を与えたケースだ。
彼は、親日右派と親北左傾が敵対的に闘いながら存在するある現実にだけ没頭したようだ。 そして親日右派を選んだ人に道徳的自負心を提供しなければならないという使命感から「日本の植民地支配は韓国の祝福」という見解に到達したと思われる。
だが、もっと大きな現実では親日と親北が共存する。 国権(国の主権)と国体(自由民主主義)が厳然とした国民はためらうことがない。 自由で堂々としている。 日帝国権喪失期の親日は卑屈と無能だったが、国権が回復した独立国で親日は悪口を言うことではない。 6・25戦争期の親北は存在感と正体性の否定だったが、自由と市場の国体が確立された国で親北は平和管理と憐憫だ。
親日であり、また親北でもありうる。同時的な親米と親中も可能だ。しっかしとした意見を持つ成熟した大人が、あらゆる性質と意図を持つ複数の人をうかがいながら交流するのと同じことである。
問題は、国権まで否定する魂が抜けた親日にある。 今日の親北勢力が憎いとして、過去に国権を否定した親日まで擁護する論理だ。 大韓民国の国体を否定するえせ親北も同じだ。 昨日の親日勢力がまだ力があるといって、今日育まれてきた国体までも否認する考えではないか。
創誇張は、過去と現在、大と小の境界を越えない範囲でされてこそ、共感力がある。
全栄基(チョン・ヨンギ)政治部次長 < chunyg@joongang.co.kr >
2005.03.09 20:54
http://japanese.joins.com/html/2005/0309/20050309205448100.html
それを、「日本の植民地支配は韓国の祝福」と言ったというのは、歪曲だろうが。
この記事の書き方はとても面白いんだけどさ。
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【噴水台】韓昇助
「創作には見る人を飽きさせない程度の誇張が不可避だ」。
熾烈な作品が伝える強烈なメッセージが、時には嫌悪感を与えることもある。 その理由をはっきりととらえるのは難しかったが、日本人女流作家の塩野七生がひとまず解答をくれた。
『私の人生は映画館から始まった』という批評本で、彼女はこのように言葉を続けた。
「ただ誇張は少しだけしなければならない。あまりにも誇張し過ぎると、現実から外れる。 … ジャック・ニコルソン、ロバート・デ・ニーロの気味が悪いほどの優れた表現力から、あたかも現実に対するある偏向した認識を強要される感じがする」。
どっちみち創作者が表現する現実は「ある現実」であり「全体現実」ではない。 ある現実に没頭した余りにそれを全体現実と信じる時、不快な誇張が出てくる。
「親日行為がまさに反民族行為か」と反問した韓昇助(ハン・スンジョ)前高麗(コリョ)大名誉教授は、誇張が行き過ぎて嫌悪感を与えたケースだ。
彼は、親日右派と親北左傾が敵対的に闘いながら存在するある現実にだけ没頭したようだ。 そして親日右派を選んだ人に道徳的自負心を提供しなければならないという使命感から「日本の植民地支配は韓国の祝福」という見解に到達したと思われる。
だが、もっと大きな現実では親日と親北が共存する。 国権(国の主権)と国体(自由民主主義)が厳然とした国民はためらうことがない。 自由で堂々としている。 日帝国権喪失期の親日は卑屈と無能だったが、国権が回復した独立国で親日は悪口を言うことではない。 6・25戦争期の親北は存在感と正体性の否定だったが、自由と市場の国体が確立された国で親北は平和管理と憐憫だ。
親日であり、また親北でもありうる。同時的な親米と親中も可能だ。しっかしとした意見を持つ成熟した大人が、あらゆる性質と意図を持つ複数の人をうかがいながら交流するのと同じことである。
問題は、国権まで否定する魂が抜けた親日にある。 今日の親北勢力が憎いとして、過去に国権を否定した親日まで擁護する論理だ。 大韓民国の国体を否定するえせ親北も同じだ。 昨日の親日勢力がまだ力があるといって、今日育まれてきた国体までも否認する考えではないか。
創誇張は、過去と現在、大と小の境界を越えない範囲でされてこそ、共感力がある。
全栄基(チョン・ヨンギ)政治部次長 < chunyg@joongang.co.kr >
2005.03.09 20:54
http://japanese.joins.com/html/2005/0309/20050309205448100.html
これは メッセージ 1 (korea_is_mini_japan さん)への返信です.
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