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カテずれ (台湾)

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2004/10/24 22:12 投稿番号: [14199 / 49973]
招待受け   来年再訪「農地確かめたい」   宇佐市の中島力男さん


台湾からの表彰状を手にする中島力男さんと妻の孝子さん(後列中央)ら家族=宇佐市の老人保健施設オアシス宇佐
  大戦をはさんで約20年間、農業水利技師として台湾農業の発展に大きな足跡を残した宇佐市下乙女の中島力男さん(99)が100歳を迎える来年4月、水利関係者の招きで現地を訪れる。台湾南西部の嘉南平野で、かんがいや営農指導に当たった中島さん。再訪する日を今から楽しみにしている。


  中島さんは東京農業大学を卒業した一九二七年、台湾へ渡った。日本の統治下にあった現地では、石川県出身の八田与一技師を中心に、嘉南の広大な地に水路を巡らし、農業を根付かせようという壮大な計画が進められていた。

  八田氏らの手によって三〇年、東洋一の規模といわれた烏山頭ダム(貯水量約二億トン)が完成。約十五万ヘクタールの土地のかんがいが可能となった。中島さんは地元の地主らでつくる組合「嘉南大シュウ(土へんに川)水利会」に就職。かんがいや排水事業など、ソフト部門を担当した。

  嘉南平野には、海水が季節風に乗って運ばれていた。最大の課題は、土壌に含まれる塩分の除去だった。総延長約一万六千キロの給排水路が整備され、研究を重ね、塩分地の改良に成功。

  不足する水を有効に活用するため、コメ、サトウキビ、緑肥用の植物(雑作)を栽培する三年輪作の普及にも尽力。農作物の生産量は飛躍的に伸びていった。

  中島さんは「台湾の人を差別的に見る先輩もいたが、わたしは対等の人間関係で互いを尊重しなければ仕事はできないと思っていた。会食を重ね、酒を飲んで台湾人と打ち解けていった」と振り返る。終戦後もノウハウ伝授のため、約二年間現地にとどまった。

  中島さんの功績をたたえ、烏山頭ダムの近くには亡くなった八田氏の銅像とともに、生前墓が建てられている。二〇〇一年十一月、嘉南農田水利会の徐金錫会長が宇佐市を訪れ、中島さんに表彰状を手渡した。ことし五月にも再び訪れ、「来年の百歳のお祝いは台湾で」と中島さんを招待した。

  中島さんは「わたしが引き揚げた後の農地がどうなっているか、この目で確かめたい」と話している。



[2004年10月22日14:16]

http://www.oita-press.co.jp/read/read.cgi?2004=10=22=484241=yukan
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