韓統連の会員、正規パスポートで初の祖国
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2004/10/14 02:17 投稿番号: [13806 / 49973]
うーん…。
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編集2004.10.13(水)18:52
「祖国の無関心-日本の差別、韓国人の自負心でがんばる」
△クァクスホ在日韓国民主統一連合副議長、ソンセイル事務総長、イジョンス在日韓青年同盟委員長(右側から)。日本の韓国人民主化団体の関係者が13日にソウル市鍾路区壽松洞にある疑問死真相糾明委員会を訪問し、ハンサンボム委員長と面談をするために委員長室に入っている。
正式なパスポートで訪韓‥感慨に染まる韓統連会員
「日本で韓国人として生きていくということ、 それも故国からの何の助けも受けずに生きていくのは とてもつらかったです。」
去る10日、初めて正式なパスポートで入国した在日韓国民主統一連合の会員は、大部分が在日同胞2〜3世だ。韓統連の会員は韓国人だが、反国家団体の判決を受けたため、これまで日本で無国籍者のように生きてきた。
クァクスホ韓統連副議長は、民族学校がほとんどなか在日本大韓国在日韓国民団(在日韓国民団)に属していたため、日本の名前で日本の学校に通った。公立工業高校に進学したかった彼に担任の教師は「片目が見えない人は工業高校に進学できない」と話した。小さかった時に左目を失明した彼は、止むえず私立高校に進学したが、 2年生の時にその教師に会って衝撃的な話を聞いた。「朝鮮人は公立高等学校を受けられないと嘘をついた。すまない。」
「これでは私は日本人になってしまう」と考えた彼は翌年、学校で「これからは韓国の名前を使う」と‘本名宣言’をした。当時は韓国人差別が深刻だった時で、就職もできなかった。韓国人としての民族意識を持ち始めた時、在日韓国青年同盟(韓青)の人々に会った。ハングルとさまざまな民族文化を学び、新しい世の中が開き始めた。
そんなとき、韓国で軍事独裁政権ができた。在日韓国民団も韓国政府の命令に徹底して従った。結局、在日韓国民団は韓青を除名した。日本で暮す韓国人として在日韓国民団から除名されることは、死刑宣告のようなものだった。人々は「アカ」と謗り、在日韓国民団からの保証も受けられず、在外国民登録、旅券発給なども不可能だった。余波は父母にも及んだ。ある会員は、刀を持った父から「君が韓青を出るか、私が死ぬか、どちらかを選べ」という話まで聞いた。「私は韓国人として祖国の民主化と統一を願っただけです。今では大韓民国政府が発給してくれたパスポートを持って祖国に帰ってくることができ、ただ感慨無量です。」
イジョンス(41)韓青中央本部委員長は在日同胞3世だ。自分が韓国人ということを知ったのも小学校3年の時だった。周辺の人々の差別は中学校の時に始まった。日本の子供たちはそれと無く「いじめ」をした。韓国人としてできることは、商売・運動選手・暴力団しかないという時だった。
そうしているうちに高等学校1年の時に韓青に出会った。「私は悠久な伝統を持った韓国人」という意識を持った人に会ったのは、その時が初めてだった。しかし自分のために、88年のオリンピックの時にどうしても韓国を訪問したかったお母さんが結局訪問できなかった時、一番胸が痛かったと言う。「一度も日本から行けなかった祖国に対する懐かしさを育て続けました。これからはもっとしばしば来て、韓国の若い人々と話をしたいです。」
この他にも44年ぶりに帰国したクァクトンウィ常任顧問、韓国訪問を願っていた同志の故キムテホン氏の遺影を持って帰国したキムグギル氏など、146人の韓統連訪問団は、祖国の秋の情趣に酔いしれている。
文イヒョンソプ記者 sublee@hani.co.kr
写真 イジョンチャン記者 rhee@hani.co.kr
原文(ハンギョレ)
無断翻訳:安田(ゆ)
http://www.labornetjp.org/labornet/worldnews/korea/knews/20041013korea
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編集2004.10.13(水)18:52
「祖国の無関心-日本の差別、韓国人の自負心でがんばる」
△クァクスホ在日韓国民主統一連合副議長、ソンセイル事務総長、イジョンス在日韓青年同盟委員長(右側から)。日本の韓国人民主化団体の関係者が13日にソウル市鍾路区壽松洞にある疑問死真相糾明委員会を訪問し、ハンサンボム委員長と面談をするために委員長室に入っている。
正式なパスポートで訪韓‥感慨に染まる韓統連会員
「日本で韓国人として生きていくということ、 それも故国からの何の助けも受けずに生きていくのは とてもつらかったです。」
去る10日、初めて正式なパスポートで入国した在日韓国民主統一連合の会員は、大部分が在日同胞2〜3世だ。韓統連の会員は韓国人だが、反国家団体の判決を受けたため、これまで日本で無国籍者のように生きてきた。
クァクスホ韓統連副議長は、民族学校がほとんどなか在日本大韓国在日韓国民団(在日韓国民団)に属していたため、日本の名前で日本の学校に通った。公立工業高校に進学したかった彼に担任の教師は「片目が見えない人は工業高校に進学できない」と話した。小さかった時に左目を失明した彼は、止むえず私立高校に進学したが、 2年生の時にその教師に会って衝撃的な話を聞いた。「朝鮮人は公立高等学校を受けられないと嘘をついた。すまない。」
「これでは私は日本人になってしまう」と考えた彼は翌年、学校で「これからは韓国の名前を使う」と‘本名宣言’をした。当時は韓国人差別が深刻だった時で、就職もできなかった。韓国人としての民族意識を持ち始めた時、在日韓国青年同盟(韓青)の人々に会った。ハングルとさまざまな民族文化を学び、新しい世の中が開き始めた。
そんなとき、韓国で軍事独裁政権ができた。在日韓国民団も韓国政府の命令に徹底して従った。結局、在日韓国民団は韓青を除名した。日本で暮す韓国人として在日韓国民団から除名されることは、死刑宣告のようなものだった。人々は「アカ」と謗り、在日韓国民団からの保証も受けられず、在外国民登録、旅券発給なども不可能だった。余波は父母にも及んだ。ある会員は、刀を持った父から「君が韓青を出るか、私が死ぬか、どちらかを選べ」という話まで聞いた。「私は韓国人として祖国の民主化と統一を願っただけです。今では大韓民国政府が発給してくれたパスポートを持って祖国に帰ってくることができ、ただ感慨無量です。」
イジョンス(41)韓青中央本部委員長は在日同胞3世だ。自分が韓国人ということを知ったのも小学校3年の時だった。周辺の人々の差別は中学校の時に始まった。日本の子供たちはそれと無く「いじめ」をした。韓国人としてできることは、商売・運動選手・暴力団しかないという時だった。
そうしているうちに高等学校1年の時に韓青に出会った。「私は悠久な伝統を持った韓国人」という意識を持った人に会ったのは、その時が初めてだった。しかし自分のために、88年のオリンピックの時にどうしても韓国を訪問したかったお母さんが結局訪問できなかった時、一番胸が痛かったと言う。「一度も日本から行けなかった祖国に対する懐かしさを育て続けました。これからはもっとしばしば来て、韓国の若い人々と話をしたいです。」
この他にも44年ぶりに帰国したクァクトンウィ常任顧問、韓国訪問を願っていた同志の故キムテホン氏の遺影を持って帰国したキムグギル氏など、146人の韓統連訪問団は、祖国の秋の情趣に酔いしれている。
文イヒョンソプ記者 sublee@hani.co.kr
写真 イジョンチャン記者 rhee@hani.co.kr
原文(ハンギョレ)
無断翻訳:安田(ゆ)
http://www.labornetjp.org/labornet/worldnews/korea/knews/20041013korea
これは メッセージ 1 (korea_is_mini_japan さん)への返信です.
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