↓ナントカお面さん↓
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2004/10/10 19:43 投稿番号: [13672 / 49973]
>人も文化も、中国の影響はあるがこれらはすべて「朝鮮反動を経由して」日本へ流れて来た。
「反動」ですか。(笑)
>日本は文化を受け入れただけの国だ。勿論、分化の独自化を図った事は事実だ。結局、文化における弟を持つ事ができなかった。
「分化」? 「弟」?
・・・・・・・・・・・・・・・・
○盧泰愚前大統領−90年5月の訪日時
「日本は兄の国、韓国は弟の国。劣ったものは力の強いものに対して嫉妬や羨望の感情を抱きやすいものだ」
・・・・・・・・・・・・・・・・
「王、倭国と好(よしみ)を結び、太子腆支(てんし)を以て質と為す。」(『三国史記』「百済本紀」)
「倭国と好を通じ、奈勿王の子、未斯欣を以て質と為す。(『三国史記』「新羅本紀」)
「詔して武を使持節 都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓 六国諸軍事 安東大将軍倭王に除す。」 (『宋書倭国伝』)
「新羅・百済、皆倭を以って大国にして珍物多しと為し、並びにこれを敬仰し、恒に通使往来す。」 (『隋書倭国伝』)
・・・・・・・・・・・・・・・・
わが国の中・高等学校教科書を見ると、百済・高句麗・新羅三国の文化が日本に伝えられた話が出てきますが、その内容は日本古代史書である 「日本書紀」を土台にしているもので、わが国の史書にはありません。
(そもそも韓国に古代の文献はほとんどない)ところが、日本の学者が 「日本書紀」を土台にして、古代日本が二百年余り朝鮮半島南部の伽耶(日本名任那)地域を支配したという「任那日本府説」を主張すると、 韓国の学界ではそれは信じることができないと主張しています。これは明白な矛盾であり、こうした姿勢ゆえに日本の学界が韓国の学界を軽く
見るのではありませんか、という身の程を知らぬ質問をした。そしたらL教授は黙り込んで答えず、横に居られたC教授が「自信がないんだよ」とおっしゃった。「日本書紀」 には日本が「任那日本府」という機構を置いて朝鮮半島南部を支配しつつ、三国文化を運んでいったようになっている。しかし、韓国の中・高等学校 では三国文化が日本に伝播される国際関係に関しては何の説明もされず、ただ高句麗・新羅・百済の三国が日本に文化を伝えた事実だけを教えている。
そこで学生達は日本を客観的に理解できずに、無条件、対日優越意識だけを 助長する結果をもたらせた。外国に出かけたわが国の学生が「任那日本説」に接して戸惑うのも無理はない。
高麗大学教授
金鉉球
《鄭大均 「日本(イルボン)のイメージ」より抜粋》
これは メッセージ 13670 (tachstone さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/4z9q7zbbkoc0a2ab4z9qbfma4nbb22ca1a2bg4bf7de_1/13672.html