結局3.1運動のきっかけは第一次大戦
投稿者: CDU_CSU 投稿日時: 2004/09/21 00:27 投稿番号: [12236 / 49973]
>長かった第一次大戦が終わり、ベルサイユ講和会議の最中で、日米が共同でシベリヤ出兵中でした。
オーストリア=ハンガリー帝国が解体して多くの民族国家にわかれた時期でもあります。
第一次大戦期の1917年から1918年にかけてフィンランドやポーランドなど北・東欧の諸国が独立した事によって、世界中の属国・植民地で「俺たちも独立できるんじゃないか」という運動がもりあがったのが1919年という年だったわけですよね。
(もっとも”民族自決”が適用されたのは、北・東欧の白人国家に対してだけで、多くのアジア・アフリカ諸民族は無視されたわけですが。)
1917年以後の世界の主な独立・革命運動を拾ってみますと、
1919年のケマル・アタチュルクのトルコ革命、
1918年エジプト・ワフド党の反英独立闘争開始、
1921年のイラン、レザー・ハーンのクーデタとイランの独立回復、
そしてこのスレで話題の1919年のインド・ガンジーの反英独立運動、
1920年代のインドネシア共産党やベトナム青年革命同士会の結成、
1919年の中国の五・四運動、
こういった世界の一連の民族運動の一環として朝鮮の3.1万歳事件があったわけで、
例えるなら一次大戦終結と東欧独立という”太陽”があったからガンジーの反英闘争や3.1事件という”惑星”が照らし出されたわけで、これを3.1事件という”惑星”がみずから輝いて、ガンジーの反英闘争や五・四運動といった別の”惑星”を照らしたと主張するのは本末転倒もいいとこですよね。
おおかた3.1事件とガンジーの非暴力不服従運動と五・四運動が偶然同じ1919年だったので「これはもうウリナラが起源としか考えられないニダ!」といういつもの単なる妄想なんじゃないでしょうか。
これは メッセージ 12227 (matikadono_fukurou さん)への返信です.
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