インド独立運動激化は1905年以後
投稿者: CDU_CSU 投稿日時: 2004/09/18 22:53 投稿番号: [11880 / 49973]
インドの独立運動は18世紀末のティラクの全インド国民協議会が結成されてからだ。
しかしイギリス政府がインド国民会議をつくって独立派の懐柔をはかったので独立運動はしぼんでしまった。
しかし1905年の日露戦争の日本の勝利によってアジア人でもヨーロッパ人に勝てるということが証明された。
これはインド人のみならず多くの有色人種を勇気付けた。
「私が若いころ、日露戦争があったが日本勝利のニュースが見たくて新聞が待ち遠しかった。また大国ロシアに勝った日本を知りたくて日本に関するあらゆる本を読んだ。日本の勝利はアジアにとって偉大な救いだった。」
「その感動は私の一生をとらえた。私はこのときはじめて、自分の生涯をインドの独立運動のためにささげることを誓った。」
インド初代首相ジャワハルラル・ネルー
「日本が西欧との戦いに勝利したことを誇りに思う。我々は心から日本人の勇気と規律、鉄のような意志、不屈の力によって勝利を収めた日本に祝意を贈る。日本だけがアジアの名誉を救った。」
インドの新聞”メサイ”紙
「インドのようなおとなしい羊でも虎に変身できる。我々は羊は虎にはなれないのだという考えのあやまちに気がついた。
日本の勝利がインド人を覚醒し英国と対等であるという前向きの思想に目覚めさせた。」
インドの新聞”ヒタバデイ”紙
日本がロシアに勝った翌年1906年に国民会議派はカルカッタ四綱領を採択する。
ここでスワラージ(独立)運動が本格的になる。
しかし第1次世界大戦が勃発してイギリス・インド植民地大臣モンタギューは、インドに「戦争が終わったら自治を認めてやるから協力しろ」と言ってインド兵をイギリス軍にくみこんで戦場へ送った。
結局40万のインド人が戦死している。
ところが戦後、イギリスは約束を完全無視。
怒ったインド民衆のデモ隊をイギリス軍が虐殺するアムリットサル事件が1919年に起こって、それをきっかけにガンジーが国民会議派の指導者となり非暴力不服従運動をはじめた。
この国民会議派にはのちの初代インド首相ネルーやチャンドラ・ボースがいた。
ベンガル出身のチャンドラ・ボースは2次大戦のとき日本軍と協力してイギリスと戦った。
だからインド、特にベンガルではボースは非常に尊敬されているし、一緒に戦った日本に対しても好意的。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/column/200409/at00002399.html
だから西ベンガル州にある、インド第二の都会コルカタの国際空港はその名もChandra Bose国際空港だし、
http://www.calcuttaairport.com/
かつての東ベンガル、今のバングラデッシュ共和国の国旗は日本の日の丸の影響をうけているわけ。
http://www.flag.or.jp/nf/bd.html
で、あなたのリンクのどこにもガンジーと朝鮮とのつながりがあるとは書いて無いようだけど、記述があるのはどこ?
しかしイギリス政府がインド国民会議をつくって独立派の懐柔をはかったので独立運動はしぼんでしまった。
しかし1905年の日露戦争の日本の勝利によってアジア人でもヨーロッパ人に勝てるということが証明された。
これはインド人のみならず多くの有色人種を勇気付けた。
「私が若いころ、日露戦争があったが日本勝利のニュースが見たくて新聞が待ち遠しかった。また大国ロシアに勝った日本を知りたくて日本に関するあらゆる本を読んだ。日本の勝利はアジアにとって偉大な救いだった。」
「その感動は私の一生をとらえた。私はこのときはじめて、自分の生涯をインドの独立運動のためにささげることを誓った。」
インド初代首相ジャワハルラル・ネルー
「日本が西欧との戦いに勝利したことを誇りに思う。我々は心から日本人の勇気と規律、鉄のような意志、不屈の力によって勝利を収めた日本に祝意を贈る。日本だけがアジアの名誉を救った。」
インドの新聞”メサイ”紙
「インドのようなおとなしい羊でも虎に変身できる。我々は羊は虎にはなれないのだという考えのあやまちに気がついた。
日本の勝利がインド人を覚醒し英国と対等であるという前向きの思想に目覚めさせた。」
インドの新聞”ヒタバデイ”紙
日本がロシアに勝った翌年1906年に国民会議派はカルカッタ四綱領を採択する。
ここでスワラージ(独立)運動が本格的になる。
しかし第1次世界大戦が勃発してイギリス・インド植民地大臣モンタギューは、インドに「戦争が終わったら自治を認めてやるから協力しろ」と言ってインド兵をイギリス軍にくみこんで戦場へ送った。
結局40万のインド人が戦死している。
ところが戦後、イギリスは約束を完全無視。
怒ったインド民衆のデモ隊をイギリス軍が虐殺するアムリットサル事件が1919年に起こって、それをきっかけにガンジーが国民会議派の指導者となり非暴力不服従運動をはじめた。
この国民会議派にはのちの初代インド首相ネルーやチャンドラ・ボースがいた。
ベンガル出身のチャンドラ・ボースは2次大戦のとき日本軍と協力してイギリスと戦った。
だからインド、特にベンガルではボースは非常に尊敬されているし、一緒に戦った日本に対しても好意的。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/column/200409/at00002399.html
だから西ベンガル州にある、インド第二の都会コルカタの国際空港はその名もChandra Bose国際空港だし、
http://www.calcuttaairport.com/
かつての東ベンガル、今のバングラデッシュ共和国の国旗は日本の日の丸の影響をうけているわけ。
http://www.flag.or.jp/nf/bd.html
で、あなたのリンクのどこにもガンジーと朝鮮とのつながりがあるとは書いて無いようだけど、記述があるのはどこ?
これは メッセージ 11867 (j874562387n さん)への返信です.
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