元寇
投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2002/09/03 06:34 投稿番号: [1002 / 49973]
韓国でどう教えられているかは別として,事実は全く逆です.
>蒙古軍には高麗軍が同行していたのだから、日本の気候に関する情報も
>得ていたはずである。当然、台風の季節についても情報を得ていたと思わ
>れる。また、文永の役・弘安の役が始まったのは、それぞれ旧暦の十月、
>五月である。太陽暦でいえば、それぞれ十一月・六月頃となる。蒙古軍は、
>台風の季節の前後を見計らって来襲したものと思われる。
http://www55.tok2.com/home/kiyono/histo2.html従って,普通に考えれば台風には当らないはずでした.文永の役
では,神風は吹いていないという説が有力です.弘安の役では,
日本が半年に渡る奮闘で蒙古軍の上陸を阻止し,いつの間にやら
台風シーズンになったのです.
ところで,同じページに面白い資料を見つけました.日本では習わ
ない史実ですけど,これが韓国だったらどういう扱いでしょうか.
>我が国が外国の侵略を受けるのは、元寇が初めてではない。平安中期
>から末期にかけて、新羅・高麗・南蛮等、様々な異民族が、たびたび
>九州に攻めてきたのである。侵略は北九州のみならず、薩摩大隅に
>及んだ。
>寛平六年九月、新羅から賊二千五百人が四十五隻の船で対馬に来襲
>し、文室善友らが士卒百人を率いて防戦にあたった。のみならず、
>これに加えて島分寺の僧・面均など島民も戦闘に参加した。合戦に
>は、賊三百二人を射殺して勝利した。同月十九日には新羅賊二百人
>が、三十日には同じく二十人が討ち取られている。残敵の掃討か、
>また別の賊かは分からない。侵攻の発端は、捕虜が言うには「人民
>辛苦、倉庫悉空、王城不安、然王仰為取穀絹、飛帆参集」と、財政
>の窮迫によって、王が命令したことを述べている(『扶桑略記』)。
これは メッセージ 994 (inuwatabenaide さん)への返信です.
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