>>中央アジアにスターリンによって移住
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/09/30 12:16 投稿番号: [8678 / 15709]
こういうのがありました。ちょっと古い記事ですが。
>「私の体の中の漢民族の血がこれほど強く感じられたのは初めてです。
>ロシア敵軍
>スターリン政権の粛正作業
この記事、誤表記が多いです。正解は「韓民族」「ロシア赤軍」「粛清」ですね。
・・・・・・・
「満州で独立闘争した祖父は誇り」 愛国志士2世、初めて韓国を訪問
「私の体の中の漢民族の血がこれほど強く感じられたのは初めてです。幸せで感激するばかりです」
カザフスタンから来たキム・バレリ・ビタルリイェビチ(51)さんが初めて訪れた祖父の国は、石や草さえも優しかった。在外同胞財団の招きで韓国を訪問したキムさんは、13日、韓国の古都、慶州(キョンジュ)を見学し「苦しかったこれまでの日々が1度に洗い流されたような気分」と話した。
キムさんの祖父は日本植民地時代、満州・ロシア地域で武装独立闘争を繰り広げていた金縕天(キム・キョンチョン/1888〜1942)将軍。咸鏡(ハムギョン)南道・北青(プクチョン)が故郷の金縕天将軍は、日本陸軍士官学校を卒業し、日本軍の将校として服務している中、3・1運動(韓国抗日独立運動)が発生すると、日本陸軍士官学校の同窓生だったチ・チョンチョン、イ・トンチョンと共に独立軍に投身した。
沿海州の馬賊を掃討し、「金将軍」と呼ばれた金縕天将軍は、ロシア敵軍と共に、日本軍に立ち向かいし烈な戦いを繰り広げたが、敵軍の裏切りにより力を失い、1930年台、スターリン政権の粛正作業の際に逮捕され死亡した。1998年、建国勲章の大統領章が授与された。
キムさんは「1度も見たことはないけれど、祖父はいつも私の心の英雄だった」とし、「朝鮮で7代続く軍人の家庭で生まれ、自宅で娘たちにも軍歌を歌わせた程、軍人精神の強い人だったそうです」
ロシアとカザフスタンにいる高麗(コリョ)人たちもキムさんを見ると、「おじいさんには本当に立派な人だった」と肩を叩いてくれたという。
しかし残された家族たちの人生はなだらかなものではなかった。金縕天将軍が粛正された後、家族は中央アジア・カザフスタンに強制移住された。母は工場で縫製の仕事をし、キムさんは14歳の時から汽車の駅で荷物の運搬をしなければならなかった。
キムさんは「苦しい人生だったけれど、独立運動をした祖父をいつも誇りに思ってきた」とし、「韓国で暮らしたいと口癖のように話している母の願いを韓国政府が叶えてあげて欲しい」と話した。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/08/15/20050815000013.html
>「私の体の中の漢民族の血がこれほど強く感じられたのは初めてです。
>ロシア敵軍
>スターリン政権の粛正作業
この記事、誤表記が多いです。正解は「韓民族」「ロシア赤軍」「粛清」ですね。
・・・・・・・
「満州で独立闘争した祖父は誇り」 愛国志士2世、初めて韓国を訪問
「私の体の中の漢民族の血がこれほど強く感じられたのは初めてです。幸せで感激するばかりです」
カザフスタンから来たキム・バレリ・ビタルリイェビチ(51)さんが初めて訪れた祖父の国は、石や草さえも優しかった。在外同胞財団の招きで韓国を訪問したキムさんは、13日、韓国の古都、慶州(キョンジュ)を見学し「苦しかったこれまでの日々が1度に洗い流されたような気分」と話した。
キムさんの祖父は日本植民地時代、満州・ロシア地域で武装独立闘争を繰り広げていた金縕天(キム・キョンチョン/1888〜1942)将軍。咸鏡(ハムギョン)南道・北青(プクチョン)が故郷の金縕天将軍は、日本陸軍士官学校を卒業し、日本軍の将校として服務している中、3・1運動(韓国抗日独立運動)が発生すると、日本陸軍士官学校の同窓生だったチ・チョンチョン、イ・トンチョンと共に独立軍に投身した。
沿海州の馬賊を掃討し、「金将軍」と呼ばれた金縕天将軍は、ロシア敵軍と共に、日本軍に立ち向かいし烈な戦いを繰り広げたが、敵軍の裏切りにより力を失い、1930年台、スターリン政権の粛正作業の際に逮捕され死亡した。1998年、建国勲章の大統領章が授与された。
キムさんは「1度も見たことはないけれど、祖父はいつも私の心の英雄だった」とし、「朝鮮で7代続く軍人の家庭で生まれ、自宅で娘たちにも軍歌を歌わせた程、軍人精神の強い人だったそうです」
ロシアとカザフスタンにいる高麗(コリョ)人たちもキムさんを見ると、「おじいさんには本当に立派な人だった」と肩を叩いてくれたという。
しかし残された家族たちの人生はなだらかなものではなかった。金縕天将軍が粛正された後、家族は中央アジア・カザフスタンに強制移住された。母は工場で縫製の仕事をし、キムさんは14歳の時から汽車の駅で荷物の運搬をしなければならなかった。
キムさんは「苦しい人生だったけれど、独立運動をした祖父をいつも誇りに思ってきた」とし、「韓国で暮らしたいと口癖のように話している母の願いを韓国政府が叶えてあげて欲しい」と話した。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/08/15/20050815000013.html
これは メッセージ 8676 (kuuboakagi00 さん)への返信です.
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