朝Pの紙面から
投稿者: guiseinoyuu 投稿日時: 2005/08/20 16:08 投稿番号: [7366 / 15709]
都裕史(ト・ユサ)さん曰く
>「だから、その息子の私は死ぬまで『反日』。それは消えないんです」と心情を訴え、
ゲラ
>無念さを背負って生き抜いた人たちの肉声を聴く機会も少なくなった。戦禍を知らない世代が事実から目をそらさないように。
あさぴぃがゆーな。不遜だ。
無念さを背負って英霊となった方々の名誉をとことん毀損してきたてめぇらがいうな!
http://mytown.asahi.com/hyogo/news02.asp?kiji=10903
戦後60年 県内各地で集い
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戦地で、そして空襲で、多くの命が失われたあの戦争が終わって、まる60年がたつ。無念さを背負って生き抜いた人たちの肉声を聴く機会も少なくなった。戦禍を知らない世代が事実から目をそらさないように。そんな思いも込めて、終戦記念日の15日、県内各地で平和を祈る集会が相次いだ。
県出身の戦没者約5万3千人の霊をまつる県神戸護国神社(神戸市灘区)では、遺族ら約150人が「終戦記念日祭」に参列。正午には太鼓の合図で1分間、黙祷(もくとう)をささげた。
境内には高齢の戦争体験者に混じって、若い世代の姿も見られた。終戦記念日の参拝は初めてという同区内の会社員、大石泰三さん(30)は「今は国を思って亡くなったすべての人に敬意を表したい」と話した。
洲本市内の神社では、市遺族会などによる戦没者慰霊祭があり、例年より多い約70人が参列した。戦争にちなんだ短歌を詠み続けてきた同市厚浜の短歌教室講師、荒浜悦子さん(73)は「語り継ぎ 伝えてゆかむ 戦いに 散りし人らの 遺(のこ)せる言葉」と詠んだ。「夫はフィリピンの激戦地から無事に帰還したが、多くの戦友が犠牲になった。忘れず、後世に伝えたい」
神戸市中央区の県中央労働センター。護憲を掲げる市民ら約40人が集まり、「平和のための市民の集い」を開いた。討論には在日韓国・朝鮮人も参加し、今春、韓国や中国で起こった「反日」運動の背景などを話した。
「米軍基地反対運動を通して沖縄と韓国民衆の連帯をめざす会」のメンバー、都裕史(ト・ユサ)さん(47)=東大阪市=の祖父は長崎・佐世保の炭坑で働かされ、破傷風で片足を失った。父は労働力を補うため、12歳で来日。過酷な作業を強いられた。「だから、その息子の私は死ぬまで『反日』。それは消えないんです」と心情を訴え、「戦時やその後の社会運動を生きてきた世代が体験を次の世代に正しく伝えてほしい。そうしないと溝は深まるばかりだ」と話した。
神戸市兵庫区の妙法華院では、住職の新間智照さん(78)が代表を務める平和団体の主催で「8・15平和のつどい」が開かれ、市民約60人が参加した。
5月、国連核不拡散条約(NPT)再検討会議に合わせてニューヨークへ行き、平和行進などに参加した新間さんは「最大の核保有国が協力しないため、核兵器の不拡散がなかなか進まない」と米国を批判。「核を持たない国の協力は深まっている。我々がもっと頑張らなくては」と語った。
芦屋市では正午、芦屋ユネスコ協会(広瀬忠子会長)のメンバーら約60人が市民センター前で黙祷し、平和の願いを込めて鐘を鳴らした。その後、戦時中は貴重な食べ物だったふかし芋とおにぎりを食べながら、被災や疎開の体験を語り合った。
広瀬会長は当時18歳。大阪市内の陸軍官舎に夫と住んでいた。玉音放送は帰省途中に阪神打出駅で聞き、敗戦の悔しさよりも「これで夫と暮らせる」と、ほっとした気持ちになったという。
神戸市兵庫区の湊川公園でも、神戸ユネスコ協会(伊藤育会長)主催の催しがあり、家族連れらが直径約50センチのいかり型の鐘を順番に鳴らした。参加した同市西区の斉藤千寿子さん(65)は「私も戦争の記憶はほとんどないですが、6歳になる孫と一緒に歴史を学んで、平和に過ごせることの大切さを次の世代に伝えたい」と話した。
(8/16)
>「だから、その息子の私は死ぬまで『反日』。それは消えないんです」と心情を訴え、
ゲラ
>無念さを背負って生き抜いた人たちの肉声を聴く機会も少なくなった。戦禍を知らない世代が事実から目をそらさないように。
あさぴぃがゆーな。不遜だ。
無念さを背負って英霊となった方々の名誉をとことん毀損してきたてめぇらがいうな!
http://mytown.asahi.com/hyogo/news02.asp?kiji=10903
戦後60年 県内各地で集い
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戦地で、そして空襲で、多くの命が失われたあの戦争が終わって、まる60年がたつ。無念さを背負って生き抜いた人たちの肉声を聴く機会も少なくなった。戦禍を知らない世代が事実から目をそらさないように。そんな思いも込めて、終戦記念日の15日、県内各地で平和を祈る集会が相次いだ。
県出身の戦没者約5万3千人の霊をまつる県神戸護国神社(神戸市灘区)では、遺族ら約150人が「終戦記念日祭」に参列。正午には太鼓の合図で1分間、黙祷(もくとう)をささげた。
境内には高齢の戦争体験者に混じって、若い世代の姿も見られた。終戦記念日の参拝は初めてという同区内の会社員、大石泰三さん(30)は「今は国を思って亡くなったすべての人に敬意を表したい」と話した。
洲本市内の神社では、市遺族会などによる戦没者慰霊祭があり、例年より多い約70人が参列した。戦争にちなんだ短歌を詠み続けてきた同市厚浜の短歌教室講師、荒浜悦子さん(73)は「語り継ぎ 伝えてゆかむ 戦いに 散りし人らの 遺(のこ)せる言葉」と詠んだ。「夫はフィリピンの激戦地から無事に帰還したが、多くの戦友が犠牲になった。忘れず、後世に伝えたい」
神戸市中央区の県中央労働センター。護憲を掲げる市民ら約40人が集まり、「平和のための市民の集い」を開いた。討論には在日韓国・朝鮮人も参加し、今春、韓国や中国で起こった「反日」運動の背景などを話した。
「米軍基地反対運動を通して沖縄と韓国民衆の連帯をめざす会」のメンバー、都裕史(ト・ユサ)さん(47)=東大阪市=の祖父は長崎・佐世保の炭坑で働かされ、破傷風で片足を失った。父は労働力を補うため、12歳で来日。過酷な作業を強いられた。「だから、その息子の私は死ぬまで『反日』。それは消えないんです」と心情を訴え、「戦時やその後の社会運動を生きてきた世代が体験を次の世代に正しく伝えてほしい。そうしないと溝は深まるばかりだ」と話した。
神戸市兵庫区の妙法華院では、住職の新間智照さん(78)が代表を務める平和団体の主催で「8・15平和のつどい」が開かれ、市民約60人が参加した。
5月、国連核不拡散条約(NPT)再検討会議に合わせてニューヨークへ行き、平和行進などに参加した新間さんは「最大の核保有国が協力しないため、核兵器の不拡散がなかなか進まない」と米国を批判。「核を持たない国の協力は深まっている。我々がもっと頑張らなくては」と語った。
芦屋市では正午、芦屋ユネスコ協会(広瀬忠子会長)のメンバーら約60人が市民センター前で黙祷し、平和の願いを込めて鐘を鳴らした。その後、戦時中は貴重な食べ物だったふかし芋とおにぎりを食べながら、被災や疎開の体験を語り合った。
広瀬会長は当時18歳。大阪市内の陸軍官舎に夫と住んでいた。玉音放送は帰省途中に阪神打出駅で聞き、敗戦の悔しさよりも「これで夫と暮らせる」と、ほっとした気持ちになったという。
神戸市兵庫区の湊川公園でも、神戸ユネスコ協会(伊藤育会長)主催の催しがあり、家族連れらが直径約50センチのいかり型の鐘を順番に鳴らした。参加した同市西区の斉藤千寿子さん(65)は「私も戦争の記憶はほとんどないですが、6歳になる孫と一緒に歴史を学んで、平和に過ごせることの大切さを次の世代に伝えたい」と話した。
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これは メッセージ 1 (guiseinoyuu さん)への返信です.
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