Re: ソウルからヨボセヨ
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/02/12 15:22 投稿番号: [14151 / 15709]
>三田渡の“辱碑”
これの建立に至る経緯につきましては、私、自サイトでコンテンツをつくったので、かなり調べました(宣伝宣伝)。
>当時、清がなぜ朝鮮に侵攻したのかというと、中国大陸では漢族の明(みん)が滅び新しく満州族の清王朝が誕生していた。ところがこの清に対し朝鮮側は蛮族だからイヤだといって“臣下”となることを拒否し、怒った清は大軍で攻め込んだのだ。
1627年の第一次侵攻(丁卯胡乱)では、清を兄、朝鮮を弟として、明を援助して清へ敵対することはしないという条件で講和が成立、1636年末から37年正月の第二次侵攻(丙子胡乱)では、完全にノックアウトされて、三田渡で「三跪九叩頭」を行なって降伏して「臣下」となったわけです。
>当時の朝鮮は、清が蛮族のくせに“皇帝”を名乗っているのはケシカランといって反発した。
はい。正確には、この地上に皇帝は明しかありえない!ということでしたね。
清への服従が続く中、朝鮮の朱子学者は、蕃夷は絶対に中華の仲間に入れない!という学説発展をさせ、清人を「中華の民」じゃない!として認めない立場に進みました。これは、人種に関係なく中原の礼教に従い文化に浴すれば「中国人」になれるという中華世界のルールを逸脱したウリジナル進化の朱子学です。
これは メッセージ 14149 (imp_mania_jk さん)への返信です.
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