世が世なら、コイツも候補?
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2009/08/31 04:41 投稿番号: [20 / 1090]
記事入力 : 2009/08/30 07:41:37
高宗、 安重根救出のため密使を派遣
日本、安重根事件の背景として高宗に注目
1909年10月26日に安重根(アン・ジュングン)がハルビンで伊藤博文を暗殺し逮捕された直後、高宗がロシア・ウラジオストクに密使を送り、安重根救出作戦を企てていた事実が明らかになった。また、日本政府がハルビンでの事件の背後勢力として高宗に注目していたことも判明した。
安重根ハルビン学会の共同代表を務める李泰鎮(イ・テジン)ソウル大名誉教授(国史学)は28日、ハルビンでの事件の翌年に当たる1910年2月と3月に、駐ウラジオストク日本総領事が当時の小村外務大臣に送った機密報告書3通を公開した。この機密報告書は、京城からハルビンを経て、10年1月27日にウラジオストクに到着した高宗の密使二人が、安重根の管轄権を日本の法廷からロシアの法廷に移し、救い出そうとした動向を追跡している。短髪に洋服姿のこの密使の名前はソン・ソンチュンとチョ・ビョンハン。ソン・ソンチュンは37−38歳の官吏出身者で日本語と英語に熟達し、日本や米国にも出向いた経験があると記録されている。
1910年2月17日付「太皇帝密使」と題する報告書は、これらの密使がウラジオストクの居留民会に出席し、「わが太皇帝陛下(高宗)の勅命を受け、このように陛下の親璽が押された密書を携え、旅順の獄中にある安重根を救い出し、ロシア領にいるわれわれの同胞と共に、極力安重根をロシアの裁判に付するため当地にやって来た」と語ったと記録している。五日後の2月22日付報告書「韓皇の密使宋某に関する件」には、「上の密使は到着当時、多くの韓人からやや真偽を疑われていたが、今では韓人が上の密使の密勅を信ずるに至った」と記されている。
さらに3月2日付の報告書「韓国宮廷からの密使」には、「密偵の言葉によると、目下ここを発ち旅順に向かっているソン、チョ両密使は決して偽物ではなく、ニコリスク市で死亡したイ・ヨンイクも韓国皇帝の密使で、当時彼が持参した所持金の残額7000円は、今もチェ・ボンジュンの家に保管されているという」と記されている。
この日の報告書は、特に「排日の本元はもちろん、韓国皇帝だという。一昨年、京城および平壌から多数の人々がやって来て排日を勧めたのも、宮廷から資金が支給され、このころから当地の居留民会および新聞社が漸次勢力を得ており、昨年10月のハルビンでの凶変事件も、宮廷から煙秋(クラスキノ)のチェ・ジェヒョンの家に扇動してきたものだ…」と記し、安重根の背後勢力として高宗に注目した。
一方、曾禰荒助朝鮮統監が小村寿太郎外務大臣に送った10年1月8日付の別の報告書は、安重根を救出するために雇われた中国・上海のイギリス人弁護士ダグラスの弁護費用を、高宗の側近であるミン・ヨンイク、ミン・ヨンチョル、玄尚健(ヒョン・サンゴン)が負担したと記録している。
このように、高宗が派遣した二人の密使は沿海州の韓人を相手に安重根の支援を訴えるなど救出作業に乗り出し、ダグラス弁護士も旅順の法廷に出廷したが、外国人だとの理由により弁論を拒否され、最終的に安重根は死刑の判決を受けた。
李泰鎮教授は「これらの密使は、高宗が1902年に韓国国内での秘密情報活動と海外情報収集のために設立した情報機関・益聞社の要員だったと推定される。機密報告書は、高宗が沿海州に建設した抗日独立運動基地を背景にハルビン義挙が行われ、日本側がこうした事実に注目していた可能性を示唆している」と語った。
キム・ギチョル記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
高宗の書を観たことあるが、縦にグニャグンタ、行間は一定しない・・・
高宗、 安重根救出のため密使を派遣
日本、安重根事件の背景として高宗に注目
1909年10月26日に安重根(アン・ジュングン)がハルビンで伊藤博文を暗殺し逮捕された直後、高宗がロシア・ウラジオストクに密使を送り、安重根救出作戦を企てていた事実が明らかになった。また、日本政府がハルビンでの事件の背後勢力として高宗に注目していたことも判明した。
安重根ハルビン学会の共同代表を務める李泰鎮(イ・テジン)ソウル大名誉教授(国史学)は28日、ハルビンでの事件の翌年に当たる1910年2月と3月に、駐ウラジオストク日本総領事が当時の小村外務大臣に送った機密報告書3通を公開した。この機密報告書は、京城からハルビンを経て、10年1月27日にウラジオストクに到着した高宗の密使二人が、安重根の管轄権を日本の法廷からロシアの法廷に移し、救い出そうとした動向を追跡している。短髪に洋服姿のこの密使の名前はソン・ソンチュンとチョ・ビョンハン。ソン・ソンチュンは37−38歳の官吏出身者で日本語と英語に熟達し、日本や米国にも出向いた経験があると記録されている。
1910年2月17日付「太皇帝密使」と題する報告書は、これらの密使がウラジオストクの居留民会に出席し、「わが太皇帝陛下(高宗)の勅命を受け、このように陛下の親璽が押された密書を携え、旅順の獄中にある安重根を救い出し、ロシア領にいるわれわれの同胞と共に、極力安重根をロシアの裁判に付するため当地にやって来た」と語ったと記録している。五日後の2月22日付報告書「韓皇の密使宋某に関する件」には、「上の密使は到着当時、多くの韓人からやや真偽を疑われていたが、今では韓人が上の密使の密勅を信ずるに至った」と記されている。
さらに3月2日付の報告書「韓国宮廷からの密使」には、「密偵の言葉によると、目下ここを発ち旅順に向かっているソン、チョ両密使は決して偽物ではなく、ニコリスク市で死亡したイ・ヨンイクも韓国皇帝の密使で、当時彼が持参した所持金の残額7000円は、今もチェ・ボンジュンの家に保管されているという」と記されている。
この日の報告書は、特に「排日の本元はもちろん、韓国皇帝だという。一昨年、京城および平壌から多数の人々がやって来て排日を勧めたのも、宮廷から資金が支給され、このころから当地の居留民会および新聞社が漸次勢力を得ており、昨年10月のハルビンでの凶変事件も、宮廷から煙秋(クラスキノ)のチェ・ジェヒョンの家に扇動してきたものだ…」と記し、安重根の背後勢力として高宗に注目した。
一方、曾禰荒助朝鮮統監が小村寿太郎外務大臣に送った10年1月8日付の別の報告書は、安重根を救出するために雇われた中国・上海のイギリス人弁護士ダグラスの弁護費用を、高宗の側近であるミン・ヨンイク、ミン・ヨンチョル、玄尚健(ヒョン・サンゴン)が負担したと記録している。
このように、高宗が派遣した二人の密使は沿海州の韓人を相手に安重根の支援を訴えるなど救出作業に乗り出し、ダグラス弁護士も旅順の法廷に出廷したが、外国人だとの理由により弁論を拒否され、最終的に安重根は死刑の判決を受けた。
李泰鎮教授は「これらの密使は、高宗が1902年に韓国国内での秘密情報活動と海外情報収集のために設立した情報機関・益聞社の要員だったと推定される。機密報告書は、高宗が沿海州に建設した抗日独立運動基地を背景にハルビン義挙が行われ、日本側がこうした事実に注目していた可能性を示唆している」と語った。
キム・ギチョル記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
高宗の書を観たことあるが、縦にグニャグンタ、行間は一定しない・・・
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