「抗日」運動家で学術会議を開催するニダ
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2009/11/26 17:24 投稿番号: [144 / 1090]
記事入力 : 2009/11/26 14:00:20
抗日運動家3人の思想に照明、大連で学術会議
中国・大連市旅順は、朝鮮の植民地化を早めた日露戦争の激戦地であると共に、安重根(アン・ジュングン)、李会栄(イ・フェヨン)、申采浩(シン・チェホ)らの抗日独立闘士が日帝に捕まり、殉国した場所でもある。安重根は、ハルビンで伊藤博文を射殺した直後の1910年3月26日に旅順監獄で殉国し、友堂・李会栄は32年11月17日、満州地域の抗日運動を組織するため上海から大連入りしたところ日帝に逮捕され、激しい拷問の末に謎の死を遂げた。丹齋・申采浩は、独立運動の資金を集めようとして日帝に逮捕され、旅順監獄に服役中の36年2月21日に獄死した。
旅順監獄で最期を迎えた3人の抗日闘士の生と思想に再びスポットライトを当てる学術会議が25日午前、旅順港近くの宏光天宝ホテルで行われた。檀国大東西文化交流研究所(徐相国〈ソ・サングク〉所長)が主管し、東北アジア歴史財団、檀国大、友堂記念事業会が後援する学術会議「東アジア平和論の現代的照明」だ。
ハンガラム歴史文化研究所のイ・ドクイル所長は、「3人はいずれも儒教の家門で育ったが、新学問を積極的に受け入れ、学校設立による新学問の普及に乗り出し、積極的な抗日武装闘争を主張、あるいは展開しただけでなく、東洋平和や世界平和について確固とした思想体系を持っていた」と分析、さらに「日本は韓国や中国を侵略し、西洋に対抗することを東洋平和だと主張したが、3人の先烈はいずれも、民族が独立した状態で主権を持ち、互いに平等に過ごすことが東洋平和だと考えた」と語った。
日本の安重根研究の現況を紹介した世宗大の保坂祐二教授は、1972年に最初の研究書が出版されて以降、今年までに安重根の研究書は14冊、論文は11本だと発表した。金正明は72年、安重根の尋問調書や公判記録などを収めた『伊藤博文暗殺記録 その思想と行動』を出版したのに続き、79年に出した『安重根と日韓関係史』には、安重根の獄中記録「安応七歴史」を載せた。また中野泰雄は、84年に『安重根−日韓関係の原像』、95年に『安重根と伊藤博文』を出版した。
丹齋・申采浩のアナーキズムと東方被圧迫民族連帯論を分析した忠清大のパク・コルスン教授は、「申采浩は朝鮮の独立について、中国だけでなく東洋平和にも重要な意味を持つと確信し、その延長線上で東方民族連帯論を主張した」と紹介した。また、一部では日本の無産民衆との連帯が主張されたのに対し、申采浩は日本の無産民衆と帝国主義を同一視し、植民地・半植民地東方被圧迫民族の連帯を打ち出した。パク教授は、「申采浩の無政府主義思想は独立運動の過程で、同運動の条件と状況に合うよう思想の主体的変容を遂げた」と評価した。
「東アジア平和共同体と李会栄」を発表した檀国大東西文化交流研究所のキム・ミョンソプ研究委員は、最近発見された中国側の資料「東北抗日義勇軍司令部の報告書」を利用し、友堂・李会栄の逮捕と死に至る過程を改めて発表した。李会栄が死亡した場所は、従来考えられていた大連・水上警察署ではなく、旅順監獄だという。李会栄を出迎えるために東北抗日義勇軍司令部からキム・ヒョサムら4人が派遣され、また李会栄の満州行きの目的も、「東北抗日義勇軍」創設者として独立運動の根拠地を作るためだったという。この日の学術会議には、李会栄の息子のイ・ギュドンさんと孫のイ・ジョンチャンさん(友堂奨学会名誉会長)も参加した。
大連=金基哲(キム・ギチョル)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
保坂はジミ〜に頑張っているな。(嘲笑)
抗日運動家3人の思想に照明、大連で学術会議
中国・大連市旅順は、朝鮮の植民地化を早めた日露戦争の激戦地であると共に、安重根(アン・ジュングン)、李会栄(イ・フェヨン)、申采浩(シン・チェホ)らの抗日独立闘士が日帝に捕まり、殉国した場所でもある。安重根は、ハルビンで伊藤博文を射殺した直後の1910年3月26日に旅順監獄で殉国し、友堂・李会栄は32年11月17日、満州地域の抗日運動を組織するため上海から大連入りしたところ日帝に逮捕され、激しい拷問の末に謎の死を遂げた。丹齋・申采浩は、独立運動の資金を集めようとして日帝に逮捕され、旅順監獄に服役中の36年2月21日に獄死した。
旅順監獄で最期を迎えた3人の抗日闘士の生と思想に再びスポットライトを当てる学術会議が25日午前、旅順港近くの宏光天宝ホテルで行われた。檀国大東西文化交流研究所(徐相国〈ソ・サングク〉所長)が主管し、東北アジア歴史財団、檀国大、友堂記念事業会が後援する学術会議「東アジア平和論の現代的照明」だ。
ハンガラム歴史文化研究所のイ・ドクイル所長は、「3人はいずれも儒教の家門で育ったが、新学問を積極的に受け入れ、学校設立による新学問の普及に乗り出し、積極的な抗日武装闘争を主張、あるいは展開しただけでなく、東洋平和や世界平和について確固とした思想体系を持っていた」と分析、さらに「日本は韓国や中国を侵略し、西洋に対抗することを東洋平和だと主張したが、3人の先烈はいずれも、民族が独立した状態で主権を持ち、互いに平等に過ごすことが東洋平和だと考えた」と語った。
日本の安重根研究の現況を紹介した世宗大の保坂祐二教授は、1972年に最初の研究書が出版されて以降、今年までに安重根の研究書は14冊、論文は11本だと発表した。金正明は72年、安重根の尋問調書や公判記録などを収めた『伊藤博文暗殺記録 その思想と行動』を出版したのに続き、79年に出した『安重根と日韓関係史』には、安重根の獄中記録「安応七歴史」を載せた。また中野泰雄は、84年に『安重根−日韓関係の原像』、95年に『安重根と伊藤博文』を出版した。
丹齋・申采浩のアナーキズムと東方被圧迫民族連帯論を分析した忠清大のパク・コルスン教授は、「申采浩は朝鮮の独立について、中国だけでなく東洋平和にも重要な意味を持つと確信し、その延長線上で東方民族連帯論を主張した」と紹介した。また、一部では日本の無産民衆との連帯が主張されたのに対し、申采浩は日本の無産民衆と帝国主義を同一視し、植民地・半植民地東方被圧迫民族の連帯を打ち出した。パク教授は、「申采浩の無政府主義思想は独立運動の過程で、同運動の条件と状況に合うよう思想の主体的変容を遂げた」と評価した。
「東アジア平和共同体と李会栄」を発表した檀国大東西文化交流研究所のキム・ミョンソプ研究委員は、最近発見された中国側の資料「東北抗日義勇軍司令部の報告書」を利用し、友堂・李会栄の逮捕と死に至る過程を改めて発表した。李会栄が死亡した場所は、従来考えられていた大連・水上警察署ではなく、旅順監獄だという。李会栄を出迎えるために東北抗日義勇軍司令部からキム・ヒョサムら4人が派遣され、また李会栄の満州行きの目的も、「東北抗日義勇軍」創設者として独立運動の根拠地を作るためだったという。この日の学術会議には、李会栄の息子のイ・ギュドンさんと孫のイ・ジョンチャンさん(友堂奨学会名誉会長)も参加した。
大連=金基哲(キム・ギチョル)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
保坂はジミ〜に頑張っているな。(嘲笑)
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