アル(`ハ´ )掲示板支那の鮮択
投稿者: coreano_raza_infima 投稿日時: 2012/06/12 22:10 投稿番号: [5985 / 6946]
最近、世界的経済不況でギリシャ、スペインをはじめ世界各地から悲惨な経済苦境の報道を良く聞くアル、
勿論、日本も大震災の痛手から未だ復興途上アル、こんな時代だからこそ↓の書籍を
紹介しておくアル。
ドイツのハインリッヒ・シュリーマン(1822−1890)と言えば世界で知らない人は少ないほどの著名人アルが、
我は最近その著書「古代への情熱 (シュリーマン著 村田数之亮訳 岩波文庫)」を購入して読んだアル。
↓は書籍の表紙からの抜粋アル
----------------------
トロヤ戦争の物語を絵本で読んだ少年シュリーマンは、美しい古都が必ず地下に埋もれていると信じ
その発掘を志す。長年にわたる猛烈な勉学と経済的苦闘をへて、ついに独力でトロヤの遺跡を発見、
少年の日の夢を実現する。いかなる環境にあっても自己の目標と希望を見失わず努力しつづけた意思と
情熱の生涯が小説以上の面白さで語られる
----------------------
書籍の大半は遺跡発掘に関する記述アルが、最初の部分にシュリーマン自身の不幸と苦労続きだった
少年時代の自伝が少し述べられているアル。以下に簡単に紹介しておくアル。
9歳での母親との死別、「母の死はなおも一つの大きな不運とかさなり、そのためにすべての知人が突然にわれわれに背を
むけて、わが家との交際を絶った(本書より)」、小売店での丁稚奉公の小僧時代の辛い体験
「私は朝の五時から夜の十一時までいそがしくすごして、勉強する自由な時間はすこしもなかった(本書より)」
そして失業、病気、貧乏の連続「窮迫していた私は、日々の食さえ得られるならば、どのような賤しい仕事でも
つかもうとして、船に職を求めようとはかった(本書より)」こうして船(南米ベネズエラとドイツを往復)の
給仕として船に乗り組むアル。「私はいつも貧乏であったけれども、この時ほど無一文であったことは
なかった。それにもかかわらず、一枚の純毛毛布をえるために、
私はただ一つの上着も売らねばならなかった(本書より)」この船はオランダ沖で暴風のために難破し、
シュリーマンは命が助かっただけではなく幸運にも彼の荷物のみは海を漂っているのを引き上げられているアル。
(他の乗組員の荷物は全て海没)
その後オランダで職を得たが相変わらずの貧乏暮らし「私の住居は
暖房設備のないあわれな屋根部屋であり、冬はそこで霜にふるえ、夏はこげつくような暑さに耐えなければ
ならなかった(本書より)」こんな境遇のシュリーマンが徐々に商人として成功してゆき大きな原動力に
なったのが彼が人並みならぬ努力で身につけた英語、ロシア語をはじめとする数カ国の語学アル、
「不休の猛勉強によって一年間に私の記憶力は強くなり、オランダ語、スペイン語、イタリア語および
ポルトガル語の習得が非常に容易になった。これらの言葉のいずれをもりゅうちょうに話し
また書くことができるためには、私は六週間以上を必要としなかった(本書より)」
こうしてようやく頭角を現しはじめたシュリーマンあるが、再び精神的ダメージが・・。
シュリーマンは幼馴染で唯一の理解者の恋人であるミナ・マインケに結婚を申し込もうとしたアルが、
「私はさきに述べたマインケ家の友人ノイシュトレーリッツのC・E・ラウエに手紙をかいて、
私のすべての経歴をのべ、私の名によってすぐにミナに結婚を申し込むことを依頼した。しかし一ヶ月後に、
彼女は数日前に他の人と結婚したという返事を受け取った時の、私の驚きはいかに大きかったであろう。
この落胆は私が会うかもしれないあらゆる運命のうちで、もっとも耐え難いものだと当時は思えた。
私はとうていいかなる仕事にも手をつける気になれず、病床についた(本書より)」
「当時の私には実際にミナを失った苦悩に決してうちかつことはできないと思えた。しかし時はあらゆる
傷をいやしてくれる。時はついに私の心にもそのなさけ深い作用をはたらかせて、私もまた失った
ものを長年のあいだ悲しみはしたけれども、しだいにふたたび商人としての活動に
休みなく専心することができた(本書より)」
(続く)
勿論、日本も大震災の痛手から未だ復興途上アル、こんな時代だからこそ↓の書籍を
紹介しておくアル。
ドイツのハインリッヒ・シュリーマン(1822−1890)と言えば世界で知らない人は少ないほどの著名人アルが、
我は最近その著書「古代への情熱 (シュリーマン著 村田数之亮訳 岩波文庫)」を購入して読んだアル。
↓は書籍の表紙からの抜粋アル
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トロヤ戦争の物語を絵本で読んだ少年シュリーマンは、美しい古都が必ず地下に埋もれていると信じ
その発掘を志す。長年にわたる猛烈な勉学と経済的苦闘をへて、ついに独力でトロヤの遺跡を発見、
少年の日の夢を実現する。いかなる環境にあっても自己の目標と希望を見失わず努力しつづけた意思と
情熱の生涯が小説以上の面白さで語られる
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書籍の大半は遺跡発掘に関する記述アルが、最初の部分にシュリーマン自身の不幸と苦労続きだった
少年時代の自伝が少し述べられているアル。以下に簡単に紹介しておくアル。
9歳での母親との死別、「母の死はなおも一つの大きな不運とかさなり、そのためにすべての知人が突然にわれわれに背を
むけて、わが家との交際を絶った(本書より)」、小売店での丁稚奉公の小僧時代の辛い体験
「私は朝の五時から夜の十一時までいそがしくすごして、勉強する自由な時間はすこしもなかった(本書より)」
そして失業、病気、貧乏の連続「窮迫していた私は、日々の食さえ得られるならば、どのような賤しい仕事でも
つかもうとして、船に職を求めようとはかった(本書より)」こうして船(南米ベネズエラとドイツを往復)の
給仕として船に乗り組むアル。「私はいつも貧乏であったけれども、この時ほど無一文であったことは
なかった。それにもかかわらず、一枚の純毛毛布をえるために、
私はただ一つの上着も売らねばならなかった(本書より)」この船はオランダ沖で暴風のために難破し、
シュリーマンは命が助かっただけではなく幸運にも彼の荷物のみは海を漂っているのを引き上げられているアル。
(他の乗組員の荷物は全て海没)
その後オランダで職を得たが相変わらずの貧乏暮らし「私の住居は
暖房設備のないあわれな屋根部屋であり、冬はそこで霜にふるえ、夏はこげつくような暑さに耐えなければ
ならなかった(本書より)」こんな境遇のシュリーマンが徐々に商人として成功してゆき大きな原動力に
なったのが彼が人並みならぬ努力で身につけた英語、ロシア語をはじめとする数カ国の語学アル、
「不休の猛勉強によって一年間に私の記憶力は強くなり、オランダ語、スペイン語、イタリア語および
ポルトガル語の習得が非常に容易になった。これらの言葉のいずれをもりゅうちょうに話し
また書くことができるためには、私は六週間以上を必要としなかった(本書より)」
こうしてようやく頭角を現しはじめたシュリーマンあるが、再び精神的ダメージが・・。
シュリーマンは幼馴染で唯一の理解者の恋人であるミナ・マインケに結婚を申し込もうとしたアルが、
「私はさきに述べたマインケ家の友人ノイシュトレーリッツのC・E・ラウエに手紙をかいて、
私のすべての経歴をのべ、私の名によってすぐにミナに結婚を申し込むことを依頼した。しかし一ヶ月後に、
彼女は数日前に他の人と結婚したという返事を受け取った時の、私の驚きはいかに大きかったであろう。
この落胆は私が会うかもしれないあらゆる運命のうちで、もっとも耐え難いものだと当時は思えた。
私はとうていいかなる仕事にも手をつける気になれず、病床についた(本書より)」
「当時の私には実際にミナを失った苦悩に決してうちかつことはできないと思えた。しかし時はあらゆる
傷をいやしてくれる。時はついに私の心にもそのなさけ深い作用をはたらかせて、私もまた失った
ものを長年のあいだ悲しみはしたけれども、しだいにふたたび商人としての活動に
休みなく専心することができた(本書より)」
(続く)
これは メッセージ 1 (shi*ur*l* さん)への返信です.
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