Re: ボランティア救済併合100周年記念あげ7
投稿者: coreano_raza_infima 投稿日時: 2010/11/22 22:36 投稿番号: [4718 / 6946]
>しかし…倅の方は自分の民度の低さに気付いただけでも良しと@G
米西戦争でスペインが敗北した結果、米国人がフィリピンをスペインに代わって支配したニダが、
フィリピン人のことを「尻尾の無い猿」と呼んでいたバカにしていたことは有名な話ニダ、
そのくせ1941年から1942年の日本軍のフィリピン進攻時に米軍は第一線に地元フィリピン兵をたて後方で督戦、
彼らが日本軍の攻撃を支えきれず退却すると容赦なく銃殺にするというヘタレぶり・人種差別ぶりニダ、
しかも糧食も米兵より粗末なものしかフィリピン兵には支給されていなかったニダ、
日本軍もこれを見習って危険な最前線に当時の大日本帝国領だった鮮奴半島出身の
鮮奴兵をたてて弾除けにするべきだったニダ、しかし「危険な状況下では銃を捨てて”アイゴ〜(涙)と泣き叫ぶ」と
当時の日本軍に記録された鮮奴兵がどこまで使える存在だったかは大いに疑問ニダが・・。
まあ、ともかく口を開けば「差別ニダ、賠償汁!植民地化を謝罪汁!」と喚く鮮奴どもは本当の差別・植民地というのは
どういうものか欧米の植民地下に喘いでいた東南アジア・アフリカの人々の実態を直視すべきニダ。
さすれば日本への感謝の念が無限大に湧いてくるはずニダ。
日本軍の進攻時にフィリピン陸軍元帥だった倅マッカーサーも恥しらずにも豪州に軍用機で逃亡、有名な捨てゼリフ
"I saru return!!"(私は猿・・いや去る、戻ってくる!)・・じゃなかった 、"I shall return!!"(私は戻ってくる!)と
負け惜しみをホザいたニダ。オノレの拠点から逃亡したという点ではシブ猿と同類ニダ。
"I saru return!!"(私は猿だ、戻ってくる!)のセリフを吐いたのは↓の2代目シブラルだったニダ。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=0bfa4k7gbca8hd1na4naaabr&sid=1835396&mid=3237
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=0bfa4k7gbca8hd1na4naaabr&sid=1835396&mid=3241
倅マッカーサーはマザーコンプレックスで有名(シブ猿は対日コンプレックスで有名)だったニダ、
ついでにチビチ○ポコンプレックス(?)だったらしいニダ(真偽不明)、このあたり9㌢臼砲の
チビチ○ポコンプレックスをもつシブ猿と同類かもニダ。
倅マッカーサーが42歳の時に結婚した相手ルイズ・ブルックス(再婚)が弟に結婚式の翌日に述べた言葉↓
「彼は陸軍では将軍かもしれないけど、女性の寝室では一兵卒だったわよ」
以下、書籍「素顔のリーダー」児島襄著、文春文庫から引用。
------------------
(マッカーサー)元帥については、その評価はまちまちであるが、「孤独な秀才」という評言と、
能力が劣る者や欠点が少なくない者をあえて側近にあつめて、”忠誠”をつくさせる人事などから、
「弱者に強いリーダー」という評言が、多い。
また、晩年は、大統領の椅子にも意欲を燃やしたことでも知られているが、とりわけて軍人社会での
支持は少なかった。
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カンケーないが「ボランティア救済併合100周年記念あげ」は100周年の年内になんとか100まで達成したいものニダ。
米西戦争でスペインが敗北した結果、米国人がフィリピンをスペインに代わって支配したニダが、
フィリピン人のことを「尻尾の無い猿」と呼んでいたバカにしていたことは有名な話ニダ、
そのくせ1941年から1942年の日本軍のフィリピン進攻時に米軍は第一線に地元フィリピン兵をたて後方で督戦、
彼らが日本軍の攻撃を支えきれず退却すると容赦なく銃殺にするというヘタレぶり・人種差別ぶりニダ、
しかも糧食も米兵より粗末なものしかフィリピン兵には支給されていなかったニダ、
日本軍もこれを見習って危険な最前線に当時の大日本帝国領だった鮮奴半島出身の
鮮奴兵をたてて弾除けにするべきだったニダ、しかし「危険な状況下では銃を捨てて”アイゴ〜(涙)と泣き叫ぶ」と
当時の日本軍に記録された鮮奴兵がどこまで使える存在だったかは大いに疑問ニダが・・。
まあ、ともかく口を開けば「差別ニダ、賠償汁!植民地化を謝罪汁!」と喚く鮮奴どもは本当の差別・植民地というのは
どういうものか欧米の植民地下に喘いでいた東南アジア・アフリカの人々の実態を直視すべきニダ。
さすれば日本への感謝の念が無限大に湧いてくるはずニダ。
日本軍の進攻時にフィリピン陸軍元帥だった倅マッカーサーも恥しらずにも豪州に軍用機で逃亡、有名な捨てゼリフ
"I saru return!!"(私は猿・・いや去る、戻ってくる!)・・じゃなかった 、"I shall return!!"(私は戻ってくる!)と
負け惜しみをホザいたニダ。オノレの拠点から逃亡したという点ではシブ猿と同類ニダ。
"I saru return!!"(私は猿だ、戻ってくる!)のセリフを吐いたのは↓の2代目シブラルだったニダ。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=0bfa4k7gbca8hd1na4naaabr&sid=1835396&mid=3237
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=0bfa4k7gbca8hd1na4naaabr&sid=1835396&mid=3241
倅マッカーサーはマザーコンプレックスで有名(シブ猿は対日コンプレックスで有名)だったニダ、
ついでにチビチ○ポコンプレックス(?)だったらしいニダ(真偽不明)、このあたり9㌢臼砲の
チビチ○ポコンプレックスをもつシブ猿と同類かもニダ。
倅マッカーサーが42歳の時に結婚した相手ルイズ・ブルックス(再婚)が弟に結婚式の翌日に述べた言葉↓
「彼は陸軍では将軍かもしれないけど、女性の寝室では一兵卒だったわよ」
以下、書籍「素顔のリーダー」児島襄著、文春文庫から引用。
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(マッカーサー)元帥については、その評価はまちまちであるが、「孤独な秀才」という評言と、
能力が劣る者や欠点が少なくない者をあえて側近にあつめて、”忠誠”をつくさせる人事などから、
「弱者に強いリーダー」という評言が、多い。
また、晩年は、大統領の椅子にも意欲を燃やしたことでも知られているが、とりわけて軍人社会での
支持は少なかった。
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カンケーないが「ボランティア救済併合100周年記念あげ」は100周年の年内になんとか100まで達成したいものニダ。
これは メッセージ 4717 (grosser770 さん)への返信です.
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