Re: 或る掲示板猿の選択
投稿者: coreano_raza_infima 投稿日時: 2009/12/08 21:34 投稿番号: [4296 / 6946]
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=123057
NHKテレビで司馬遼太郎の歴史小説「坂の上の雲」の放映が始まったニダ、
鮮奴どもは「ファビョ〜ン!(火病炸裂)日本はじぇんじぇん反省していないニダ、
ウリらも対抗措置として蒙古(元)と共同で倭奴征伐した輝かしい歴史をテレビドラマ化してやるニダ、
おっ、丁度日本の歴史小説にこれを題材にした”風濤(井上靖著)”というのがあったニダ、
これを元にドラマ化ニダ〜!きっとこの小説にはウリナラの倭奴征伐の武勇伝が満載のはずニダ、ホルホル♪」
とまではよかったニダが、その「風濤」を読み始めて何度もファビョ〜ン!するのであった。
「風濤」は蒙古の属国だった高麗の悲惨な運命を描いており日本との戦闘記述は皆無、以下「風濤」より引用。
「風濤」↓
http://lounge.cafe.coocan.jp/novels/000985.php
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高麗はこれ以前のチンギスハンの時代に於いても蒙古に貢物を収める一時期があったが
直接蒙古の武力に怯かされてのことではなかった、ところがオゴタイ即位して3年、突如蒙将サルタクは
半島の北部に現れ、はっきりと征服の野望を前面に掲げて武力を用いてきたのだった・・・
高麗は已む無く臣服の態度を示し莫大な金品を献じ西京(平壌)以北の14城に達魯花赤(ダルガチ)を
置くことを承認させられた。達魯花赤というのは、占領地内の民政を監察する蒙古官吏の称で、
当然占領地のあらゆることに関する権利はこの達魯花赤に属した・・・サルタクは大軍を率いて半島の
北辺に侵入、使いを江華島に出して高宗(鮮奴酋長)に島を出ることを促した。高宗は応じなかった。
やがてサルタクは軍を動かし都開京から更に南下し漢陽山城(京城)を陥れ・・・半島の南東部へまで
進入した蒙古の一部隊の依って大邱の東北、八公山中符仁寺の大宝として蔵せられていた大蔵経の
経版はその尽くを焚かれた・・・今度は将タングが兵を率いて半島に姿を現した。タングの部隊は
江都(高麗の臨時首都)の権力者たちには何らの交渉も試みることなく、ただ半島全土を蹂躙し、
蹂躙し尽すこと6年に及んだ。慶州の皇竜寺の塔の焼かれたのもこの期間のことである
(高麗太子(後の忠烈王)が元より帰国した折の高麗酋長の元宗への報告)
「蒙古はもはや昨日までの蒙古ではなく大元国である。その大元国は父王が考えているよりも
ずっと強大でずっと大きい富と兵力をもっている・・・現在、高麗は形の上では一国としての
体面を持しているが、実質的には大元国の一藩属国であるに過ぎない。世祖フビライの許可が
なければ王宮の一門をすら移すことは出来ない状態である・・・彼らは父王が考えているように
高麗という国を独立した国とは考えていない。父王もこの際従来の考え方を一藩属国の長として
世祖に臣事するぐらいの気持ちに切り替えるべきである。そういう気持ちになった時初めて、
国を樹てていく道も自ずから開けていくであろう。それ以外に高麗の生きていく道はないと思う」
公主クツルガイミシ(フビライの娘、高麗酋長に降嫁)が嫁いで来てみて自分の送られた国が
いかに貧しく、いかに小さいかを知った時から、いかなるものがその心の中に這入り込んで来るか
ということも、また忠烈王(高麗酋長)の考えてみなかったことであった。クツルガイミシの
到底高麗の女では考えられぬ稀有な性格の烈しさは生まれながらにして持って来たものであったが、
それがあらゆる歪んだ形をとって言動に現れ出したのは、自分が妃として一生を送る国が
いかなる国であるかを、己が眼で見、己が肌で感じた時からであるに違いなかった
(高麗酋長の忠烈王がフビライに日本侵攻をそそのかす場面)
忠烈王は世祖に謁するとすぐには事務的なことには触れないで「先に車駕の北征するのを聞きますや
表して征を助けんことを申し出ました。帝には遠地なるを以ってお許しありませんでした。
臣、いま入朝いたしました。北辺なお余燼ありますようなら、ぜひお役に立ちたいと思います」
と言った。すると「折角のことだが、北辺はすでに静まっている」世祖(フビライ)は言った。
ひどくすげない感じの返事であった。忠烈王はまた言った。
「この広い世界の中で日本という小さい島だけが険をたのんで不逞であります。が、やがては
皇恩に浴する日も参りましょう。そのために臣が為すことがあれば、何なりとご命令くださいますよう」
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NHKテレビで司馬遼太郎の歴史小説「坂の上の雲」の放映が始まったニダ、
鮮奴どもは「ファビョ〜ン!(火病炸裂)日本はじぇんじぇん反省していないニダ、
ウリらも対抗措置として蒙古(元)と共同で倭奴征伐した輝かしい歴史をテレビドラマ化してやるニダ、
おっ、丁度日本の歴史小説にこれを題材にした”風濤(井上靖著)”というのがあったニダ、
これを元にドラマ化ニダ〜!きっとこの小説にはウリナラの倭奴征伐の武勇伝が満載のはずニダ、ホルホル♪」
とまではよかったニダが、その「風濤」を読み始めて何度もファビョ〜ン!するのであった。
「風濤」は蒙古の属国だった高麗の悲惨な運命を描いており日本との戦闘記述は皆無、以下「風濤」より引用。
「風濤」↓
http://lounge.cafe.coocan.jp/novels/000985.php
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高麗はこれ以前のチンギスハンの時代に於いても蒙古に貢物を収める一時期があったが
直接蒙古の武力に怯かされてのことではなかった、ところがオゴタイ即位して3年、突如蒙将サルタクは
半島の北部に現れ、はっきりと征服の野望を前面に掲げて武力を用いてきたのだった・・・
高麗は已む無く臣服の態度を示し莫大な金品を献じ西京(平壌)以北の14城に達魯花赤(ダルガチ)を
置くことを承認させられた。達魯花赤というのは、占領地内の民政を監察する蒙古官吏の称で、
当然占領地のあらゆることに関する権利はこの達魯花赤に属した・・・サルタクは大軍を率いて半島の
北辺に侵入、使いを江華島に出して高宗(鮮奴酋長)に島を出ることを促した。高宗は応じなかった。
やがてサルタクは軍を動かし都開京から更に南下し漢陽山城(京城)を陥れ・・・半島の南東部へまで
進入した蒙古の一部隊の依って大邱の東北、八公山中符仁寺の大宝として蔵せられていた大蔵経の
経版はその尽くを焚かれた・・・今度は将タングが兵を率いて半島に姿を現した。タングの部隊は
江都(高麗の臨時首都)の権力者たちには何らの交渉も試みることなく、ただ半島全土を蹂躙し、
蹂躙し尽すこと6年に及んだ。慶州の皇竜寺の塔の焼かれたのもこの期間のことである
(高麗太子(後の忠烈王)が元より帰国した折の高麗酋長の元宗への報告)
「蒙古はもはや昨日までの蒙古ではなく大元国である。その大元国は父王が考えているよりも
ずっと強大でずっと大きい富と兵力をもっている・・・現在、高麗は形の上では一国としての
体面を持しているが、実質的には大元国の一藩属国であるに過ぎない。世祖フビライの許可が
なければ王宮の一門をすら移すことは出来ない状態である・・・彼らは父王が考えているように
高麗という国を独立した国とは考えていない。父王もこの際従来の考え方を一藩属国の長として
世祖に臣事するぐらいの気持ちに切り替えるべきである。そういう気持ちになった時初めて、
国を樹てていく道も自ずから開けていくであろう。それ以外に高麗の生きていく道はないと思う」
公主クツルガイミシ(フビライの娘、高麗酋長に降嫁)が嫁いで来てみて自分の送られた国が
いかに貧しく、いかに小さいかを知った時から、いかなるものがその心の中に這入り込んで来るか
ということも、また忠烈王(高麗酋長)の考えてみなかったことであった。クツルガイミシの
到底高麗の女では考えられぬ稀有な性格の烈しさは生まれながらにして持って来たものであったが、
それがあらゆる歪んだ形をとって言動に現れ出したのは、自分が妃として一生を送る国が
いかなる国であるかを、己が眼で見、己が肌で感じた時からであるに違いなかった
(高麗酋長の忠烈王がフビライに日本侵攻をそそのかす場面)
忠烈王は世祖に謁するとすぐには事務的なことには触れないで「先に車駕の北征するのを聞きますや
表して征を助けんことを申し出ました。帝には遠地なるを以ってお許しありませんでした。
臣、いま入朝いたしました。北辺なお余燼ありますようなら、ぜひお役に立ちたいと思います」
と言った。すると「折角のことだが、北辺はすでに静まっている」世祖(フビライ)は言った。
ひどくすげない感じの返事であった。忠烈王はまた言った。
「この広い世界の中で日本という小さい島だけが険をたのんで不逞であります。が、やがては
皇恩に浴する日も参りましょう。そのために臣が為すことがあれば、何なりとご命令くださいますよう」
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これは メッセージ 1 (shibural7 さん)への返信です.
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