Re: 或る掲示板猿の選択
投稿者: coreano_raza_infima 投稿日時: 2009/07/23 21:37 投稿番号: [4169 / 6946]
http://www.chosunonline.com/news/20090723000065
>韓国料理の国際化に挑む「すし王」
>
>新会長に与えられた最優先の課題は、来年1月末にチリの首都サンティアゴで開催される
>世界司厨士協会連盟(WACS)総会の昼食会のメニューを考えることだ。
>
>ナム新会長は「来年のサンティアゴでの総会こそが、韓国料理を世界にアピールできる絶好の機会だ」
>と強調した。
コイツら鮮奴の分際で「すし両班」ならともかく勝手に「すし王」などと名乗りやがって生意気ニダ、
以前にも書いたが昔サンティアゴの鮮奴料理屋(鮮奴料理と日本の寿司を提供)で
食事した時に日本で修行した鮮奴板前が寿司を握っていたニダ、サンティアゴ市内北部のレコレータ
地区のベジャビスタ辺り(特にパトロナート通り)が昔から鮮奴棲息デンジャラスゾーンにだ、
鮮奴食品を扱った店(日本からの輸入食品も多い)もいくつかあるニダ。
サンティアゴは日本人より鮮奴の方がずっと多いと思われるニダが、レストランは日本レストランの
方が鮮奴食堂より多いと思うニダ、あまり日本人及び日系人もいない国にしては多いニダ、
中には経営者が明らかに日本人ではない(店名や料理が?)店もあり、以前にも書いたがウリは酢飯でない
寿司モドキを喰わされたことがあるニダ。もっとも寿司はチリでも完全に定着、
テイクアウト寿司もあるなど人気はあるニダ、しかし日本と比べるとネタが少ないのが弱点ニダ、
(アルゼンチンの寿司は更にネタが少ない)ウリもサンティアゴの9箇所の日本レストランを
利用しているニダが、お勧めは一番老舗の「ハポン」か「金太郎」ニダ。
寿司職人でチリの隣国ペルーの”屈指の有名人”の日本人板前の小西紀朗氏を思い出したニダ、
彼の言葉を書籍「在外日本人」(柳原和子著、晶文社)から引用するニダ。
96年のペルーでの左翼ゲリラ日本公使公邸占拠事件の時に公邸に日本食を差し入れした氏の
名前を日本の新聞でみた記憶があるニダ。(以下、長いのでごく一部のみの引用)
------------
ペルーに来てまず何をやったかって?まず1週間こっちの水を飲んだよ。
とにかく板前はその土地の水に慣れなければって思ったからさ。
板前が下痢そたらお客に失礼だろ。自分の体をペルーに合わせたんだ。
3日位でげっそり痩せてしまったけどね。だけど料理に使う水を変えることはできないだろ。
それから材料を探して歩いた。俺は板前であってそこらの鮨職人とは違うからね。
日本料理にこだわるのさ。大根の無い刺身とか俺はそういうの好きじゃないの。
アレンジしたくない。正統派、それには材料。漁師雇ってペルー国内を北から南まで
くまなく試食しながら歩いた。最終的にはリマ近郊で38種類の鮨ネタが手に入ることが
わかった。次は野菜と調味料。ここの米は元々はパサパサだった。それなら田んぼ作ろう
じゃないか、って台湾からジャポニカ米の種モミを持ってきた。ペルーで最初の日本米さ。
海苔、山葵、お茶、3種の神器だけはまいったね。海苔は作ろうとしたけど習字の
下敷きみたいな海苔になってしまった。緑茶もアンデスで栽培してもらった。だけど、
違うんだ。ブラジル産のお茶もあるけれど、お茶が不味いと鮨も不味くなるでしょ。
しかも当時は軍事政権。ペルーで作れる物は輸入禁止になってしまう。
だからこの3つだけは栽培を諦めて今も日本から持ってきてもらっている。
料理教室もやったよ。料理の本も出した。8千部売れたね。ペルーで8千部って
いったら聖書以来の大ベストセラーだぜ。
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氏はペルーのTVで「日本の化学調味料や調理器のCMタレントになり、料理番組を
4年間やり148種類の日本料理を紹介」したそうニダ。「93年にリマのシェラトンホテルに店を空けた」とあるニダ。
シブ猿トピ6周忌まであと
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■■■□■■■ 日
>韓国料理の国際化に挑む「すし王」
>
>新会長に与えられた最優先の課題は、来年1月末にチリの首都サンティアゴで開催される
>世界司厨士協会連盟(WACS)総会の昼食会のメニューを考えることだ。
>
>ナム新会長は「来年のサンティアゴでの総会こそが、韓国料理を世界にアピールできる絶好の機会だ」
>と強調した。
コイツら鮮奴の分際で「すし両班」ならともかく勝手に「すし王」などと名乗りやがって生意気ニダ、
以前にも書いたが昔サンティアゴの鮮奴料理屋(鮮奴料理と日本の寿司を提供)で
食事した時に日本で修行した鮮奴板前が寿司を握っていたニダ、サンティアゴ市内北部のレコレータ
地区のベジャビスタ辺り(特にパトロナート通り)が昔から鮮奴棲息デンジャラスゾーンにだ、
鮮奴食品を扱った店(日本からの輸入食品も多い)もいくつかあるニダ。
サンティアゴは日本人より鮮奴の方がずっと多いと思われるニダが、レストランは日本レストランの
方が鮮奴食堂より多いと思うニダ、あまり日本人及び日系人もいない国にしては多いニダ、
中には経営者が明らかに日本人ではない(店名や料理が?)店もあり、以前にも書いたがウリは酢飯でない
寿司モドキを喰わされたことがあるニダ。もっとも寿司はチリでも完全に定着、
テイクアウト寿司もあるなど人気はあるニダ、しかし日本と比べるとネタが少ないのが弱点ニダ、
(アルゼンチンの寿司は更にネタが少ない)ウリもサンティアゴの9箇所の日本レストランを
利用しているニダが、お勧めは一番老舗の「ハポン」か「金太郎」ニダ。
寿司職人でチリの隣国ペルーの”屈指の有名人”の日本人板前の小西紀朗氏を思い出したニダ、
彼の言葉を書籍「在外日本人」(柳原和子著、晶文社)から引用するニダ。
96年のペルーでの左翼ゲリラ日本公使公邸占拠事件の時に公邸に日本食を差し入れした氏の
名前を日本の新聞でみた記憶があるニダ。(以下、長いのでごく一部のみの引用)
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ペルーに来てまず何をやったかって?まず1週間こっちの水を飲んだよ。
とにかく板前はその土地の水に慣れなければって思ったからさ。
板前が下痢そたらお客に失礼だろ。自分の体をペルーに合わせたんだ。
3日位でげっそり痩せてしまったけどね。だけど料理に使う水を変えることはできないだろ。
それから材料を探して歩いた。俺は板前であってそこらの鮨職人とは違うからね。
日本料理にこだわるのさ。大根の無い刺身とか俺はそういうの好きじゃないの。
アレンジしたくない。正統派、それには材料。漁師雇ってペルー国内を北から南まで
くまなく試食しながら歩いた。最終的にはリマ近郊で38種類の鮨ネタが手に入ることが
わかった。次は野菜と調味料。ここの米は元々はパサパサだった。それなら田んぼ作ろう
じゃないか、って台湾からジャポニカ米の種モミを持ってきた。ペルーで最初の日本米さ。
海苔、山葵、お茶、3種の神器だけはまいったね。海苔は作ろうとしたけど習字の
下敷きみたいな海苔になってしまった。緑茶もアンデスで栽培してもらった。だけど、
違うんだ。ブラジル産のお茶もあるけれど、お茶が不味いと鮨も不味くなるでしょ。
しかも当時は軍事政権。ペルーで作れる物は輸入禁止になってしまう。
だからこの3つだけは栽培を諦めて今も日本から持ってきてもらっている。
料理教室もやったよ。料理の本も出した。8千部売れたね。ペルーで8千部って
いったら聖書以来の大ベストセラーだぜ。
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氏はペルーのTVで「日本の化学調味料や調理器のCMタレントになり、料理番組を
4年間やり148種類の日本料理を紹介」したそうニダ。「93年にリマのシェラトンホテルに店を空けた」とあるニダ。
シブ猿トピ6周忌まであと
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これは メッセージ 1 (shibural7 さん)への返信です.
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