Re: 或る掲示板猿の選択
投稿者: coreano_raza_infima 投稿日時: 2009/07/12 09:58 投稿番号: [4155 / 6946]
前述の書籍からのフィリピン派遣の青年海外協力隊員の回想を引用しておくニダ、
今尚、被害を捏造・妄想でデッチあげ日本に「謝罪汁!賠償汁!反省汁!」と醜く喚く
鮮奴どもと比較しながら読むといいニダ。太平洋戦争でもっとも多くの日本兵が戦死した
戦場がフィリピン(63万中の48万が戦死)だったことからわかるように北は
アリューシャン列島南は赤道以南のニューギニア、西はビルマ、東はガダルカナル島までの
広大な戦域でもっとも悲惨な戦場だったフィリピンで対日感情が↓のようであれば
他の戦場となったアジア諸国(中国、南北鮮奴半島除く)の対日感情は推して知るべしニダ。
(昭和42年セブ島派遣の隊員)
セブ島のある漁村へ水道工事の測量にゆき、町長さんのお宅に寝泊りした時のことです。
ビサヤ地方はルソン以上に激しい戦いが行われ、この村もかなりの被害を受けたとのこと。
しかし、それは昔のことだから仲良くやろうと、昼は一緒に仕事をし、夜は村をあげて
ダンスパーティー、町長宅での歓迎パーティーなど、日本からの青年に対する歓迎以上の
ものを感じたので、ヘタな英語で尋ねてみました。
すると、戦争中この村の海に日本の飛行機が不時着し村人が助けたパイロットが私に
よく似ているのでとても懐かしく、それに私が30年ぶりの日本人だからということでした。
その後で町長の頬にある傷は日本軍につけられたものだということも聞きました。
しかし、その町長は静かに笑っていました。
(昭和48年ルソン島ナガ市派遣の隊員)
私が女性ということもあってか、非難の言葉は聞きませんでした。「近くに日本兵が住んでいて
日本の歌なども教えてもらって・・」という方もいましたが、真実はわかりません。戦争の
話題は意識的に避けていたように思われます。
(昭和49年ミンダナオ島マライバライ派遣の隊員)
小学校の先生が親しげに片言の日本語で話しかけてくるので、聞いてみると「戦争中に
日本人と一緒に暮らしたことがある。そして、自分の父と兄は日本人を助けてあげた為に
殺された」と言うのです。びっくりした私に彼女は付け加えました。
「私は日本人が好きだ。日本人はとっても親切だ。この下敷きはミスター・スミノ(彼女の
父や兄に助けられた日本兵)が送ってくれたものだ・・」私はまたまたびっくりしました。
もしも私が彼女なら罪も無い自分の父と兄を殺させてしまったにっくき日本人、どんなことが
あってもきっと恨み続けるに違いないでしょう。でも彼女にはそんな恨みは微塵も無く、
むしろ親日的で私の一番の理解者ともなってくれました。(以降長いので割愛)
(昭和50年ミンダナオ島マライバイ派遣の隊員)
私の知人マニュエル氏は戦時中日本兵に軍刀で首を切られ、今でも大きな傷跡があります。
当然のこととして日本人をよく思っていないと思っていたのですが、私が単車を盗まれたり
ぴすとる強盗にやられた時「フィリピン人は君になんて悪いことをするんだ!気が済むまで
俺を撲ってくれ」と真剣に言って私の前に顔を差し出したのです。私は胸が熱くなりました。
(昭和50年マニラ派遣の隊員)
職業柄ふだん接する人に高等教育を受けた人が多く、戦争のことに触れるのは友好上まずいと
考えるせいか、あまり戦争の話はでませんでした。しかし私を娘のように可愛がってくれた夫妻が
いたのですが、その奥さんの従兄は日本軍に殺されたそうです。フィリピンでは従兄といえば
兄弟のように近い間柄なのに、なぜこんなにも私に親切にしてくれるのか不思議な気がしたものです。
シブ猿トピ6周忌まであと
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■■■□■■■ 日
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在日に頼む
2003/ 8/ 1 9:37
メッセージ: 973 / 977
投稿者: shibural7 (男性/静かな朝の国、高麗)
猿島の治安をめちゃくちゃにしてくれ
今尚、被害を捏造・妄想でデッチあげ日本に「謝罪汁!賠償汁!反省汁!」と醜く喚く
鮮奴どもと比較しながら読むといいニダ。太平洋戦争でもっとも多くの日本兵が戦死した
戦場がフィリピン(63万中の48万が戦死)だったことからわかるように北は
アリューシャン列島南は赤道以南のニューギニア、西はビルマ、東はガダルカナル島までの
広大な戦域でもっとも悲惨な戦場だったフィリピンで対日感情が↓のようであれば
他の戦場となったアジア諸国(中国、南北鮮奴半島除く)の対日感情は推して知るべしニダ。
(昭和42年セブ島派遣の隊員)
セブ島のある漁村へ水道工事の測量にゆき、町長さんのお宅に寝泊りした時のことです。
ビサヤ地方はルソン以上に激しい戦いが行われ、この村もかなりの被害を受けたとのこと。
しかし、それは昔のことだから仲良くやろうと、昼は一緒に仕事をし、夜は村をあげて
ダンスパーティー、町長宅での歓迎パーティーなど、日本からの青年に対する歓迎以上の
ものを感じたので、ヘタな英語で尋ねてみました。
すると、戦争中この村の海に日本の飛行機が不時着し村人が助けたパイロットが私に
よく似ているのでとても懐かしく、それに私が30年ぶりの日本人だからということでした。
その後で町長の頬にある傷は日本軍につけられたものだということも聞きました。
しかし、その町長は静かに笑っていました。
(昭和48年ルソン島ナガ市派遣の隊員)
私が女性ということもあってか、非難の言葉は聞きませんでした。「近くに日本兵が住んでいて
日本の歌なども教えてもらって・・」という方もいましたが、真実はわかりません。戦争の
話題は意識的に避けていたように思われます。
(昭和49年ミンダナオ島マライバライ派遣の隊員)
小学校の先生が親しげに片言の日本語で話しかけてくるので、聞いてみると「戦争中に
日本人と一緒に暮らしたことがある。そして、自分の父と兄は日本人を助けてあげた為に
殺された」と言うのです。びっくりした私に彼女は付け加えました。
「私は日本人が好きだ。日本人はとっても親切だ。この下敷きはミスター・スミノ(彼女の
父や兄に助けられた日本兵)が送ってくれたものだ・・」私はまたまたびっくりしました。
もしも私が彼女なら罪も無い自分の父と兄を殺させてしまったにっくき日本人、どんなことが
あってもきっと恨み続けるに違いないでしょう。でも彼女にはそんな恨みは微塵も無く、
むしろ親日的で私の一番の理解者ともなってくれました。(以降長いので割愛)
(昭和50年ミンダナオ島マライバイ派遣の隊員)
私の知人マニュエル氏は戦時中日本兵に軍刀で首を切られ、今でも大きな傷跡があります。
当然のこととして日本人をよく思っていないと思っていたのですが、私が単車を盗まれたり
ぴすとる強盗にやられた時「フィリピン人は君になんて悪いことをするんだ!気が済むまで
俺を撲ってくれ」と真剣に言って私の前に顔を差し出したのです。私は胸が熱くなりました。
(昭和50年マニラ派遣の隊員)
職業柄ふだん接する人に高等教育を受けた人が多く、戦争のことに触れるのは友好上まずいと
考えるせいか、あまり戦争の話はでませんでした。しかし私を娘のように可愛がってくれた夫妻が
いたのですが、その奥さんの従兄は日本軍に殺されたそうです。フィリピンでは従兄といえば
兄弟のように近い間柄なのに、なぜこんなにも私に親切にしてくれるのか不思議な気がしたものです。
シブ猿トピ6周忌まであと
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在日に頼む
2003/ 8/ 1 9:37
メッセージ: 973 / 977
投稿者: shibural7 (男性/静かな朝の国、高麗)
猿島の治安をめちゃくちゃにしてくれ
これは メッセージ 4154 (coreano_raza_infima さん)への返信です.
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