或る掲示板猿の選択

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Re: 或る掲示板猿の選択

投稿者: coreano_raza_infima 投稿日時: 2006/12/11 21:23 投稿番号: [3466 / 6946]
すでに各種のマスコミによって報道されていますが、チリの軍事独裁政権
(73年-90年)時代の独裁者ピノチェト元大統領の死去のニュースが・・。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kok/20061211/eve_____kok_____001.shtml

個人的には初めて訪れた海外の国がピノチェト軍政最末期のチリだったので
(89年)時代の流れを感じます。

今日のA紙夕刊でも1面で報道されていますが、記事に「民主勢力を弾圧した
独裁者か、経済を立て直した救世主か」とあるようにチリでもピノチェト氏を
評価する声(富裕層に多い)も反ピノチェト派と同じくらいあります。
しかし、”民主主義”を国名に入れているどこぞの国の独裁者の自称”将軍”は
(ピノチェト氏は元陸軍総司令官の大将でありホンモノの将軍)
自国経済は疲弊しきった状態、民主主義などケンチャナヨ、
同じ独裁者の"将軍”でも功罪併せ持つピノチェト氏とは比肩もできぬ低レベルです。

このトピでもだいぶ以前にチリの民主主義の伝統について書きましたが、
チリでは1932年からピノチェト氏のクーデターが起こる73年まで民主的な
政権交代が続いてきました。
市民の民主主義への意識もどこぞの”民主主義”を国名に入れているくせに
独裁者の自称”将軍”へ唯々諾々と犬のような忠誠を誓う
「地上の楽園」とやらのミンジョクとはケタ違いの高さです。

以下、「燃える中南米(伊藤千尋著、岩波新書)」からの抜粋です。


(87年にローマ法王ヨハネ・パウロ2世がチリを訪問した時に市民代表が
法王への歓迎の辞と訴えを述べたときに多くの市民が”発言予定の文章”に
なかった軍政批判の発言をして)法王の前で衆目にさらされて意思を述べた
主婦や少年たちは、素顔で登場し、かつ発言のあともチリの国内で暮らさなければ
ならなかった。失職や最悪の場合は虐殺を覚悟しなければ出来ないことだ。
それでも軍政批判を公に口にする勇気が彼らにはあった。チリの民主主義を
守るのは国民の一人一人だと考え、一人の市民が立ち上がらなければ世の中は
変わらないし、まず自分がやらなければならないと、政党や組織の後ろ盾も
ないごく普通の市民が考え、実行したのだ。
(中略)
(軍政時代に首都サンティアゴの街角での売店で売られている新聞・雑誌について)
それを見るとアッと驚く。「ピノチェト、退陣せよ」「直ちに自由選挙を」などと
1面や表紙に印刷した新聞や雑誌が並んでいるからだ。
(略)軍政下で堂々と政府を批判する定期刊行物が公に出版できることに驚かされる。
それも1紙ではない。はっきり反軍政をうたっている新聞は日刊紙と週刊紙が
1紙ずつ、雑誌は週刊誌が5誌もあるのだ。
唯一の反政府日刊紙「ラ・エポカ」は87年3月に発刊されたばかりだが、84年に
政府に発刊申請して拒否されて以来、粘り強い法廷闘争でようやく発行を認めさせた
ものだ。軍政下でも政体を「民主主義」と名乗らざるを得ない状況下、司法界は
軍政に全面的に媚びる必要はなく、軍政もその決定を尊重せざるをえなかった。
戒厳令が布告されたり、報道の内容が政府の強い怒りをかった時には、これら
反政府出版物は発行禁止の処分を受けるが、民主主義を自称している以上、
政府は廃刊させることはできない。しばらくすると処分をとかざるを得ず、
再び発行を始めたとたん、雑誌は前にも増して激しい反政府の論陣を張るのだ。
(以降、割愛)

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投稿者: shibural7 (1歳/男性/kr)
     良く周りから言われるが、
     私の顔はポール ニューマンに似ってて
     彼に負けない位美しい瞳持ってるんですて。
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